窓から広がる未来

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 退院してから学校へ復帰するその日まで、聡一郎はずっと考えていることがある、サッカーというものが無くなった自分は高校でどんな存在になるのかという事だった。お世辞にもスポーツ特待で高校に進学した人間であり、勉強はそれほど優秀という事ではなかった、下から数える方が早いくらいで、だけどそのことをカバーできていたサッカーという武器はもう失われている。  人より優れたものを持っていたという自覚はあった、だけどそれを振り回したことも無かったけれど、それでも悪意と言うものは関係なく向けられることを聡一郎は既に体験していた。今思い返せば部室内で小物が無くなる事があったが、それも嫌がらせだったのだろうと今になって気づいたのだから。  目の前に好きなものが無くなって視界が広がると、そこには今まで考えたことも無い現実が広がっていた。クラスメイトと険悪な関係というものはなかったが、どうしても部内での扱いの酷さが思い起こされる。どうしても二の足が踏み出せそうにない。  高校自体がそれほど大きなものではないことも一つの理由で、サッカー部が大きな組織だという事も考えれば部員とすれ違わないという事はまずない、彼らと出会わないという可能性は0に等しかった。それでも聡一郎が学校に行くという選択肢を取ったのはもはや意地に近いものがあった、ここで不登校になれば、無作為に向けられた悪意に屈するようで聡一郎は悔しかった。学校に行くのを苦痛に思うことなど、入院する前にあったことだろうかと考えたが、それが無駄なことだとすぐに考え直した。  教室に入った瞬間、それまでざわついていた室内が、聡一郎が入った一瞬だけ静まり返った。直接こちらをガン見しているわけではないが、サッカーで相手チームがボールを狙っているときの視線のような、見てはいるけどそれを隠そうとする視線と言うものに聡一郎が敏感だったからだった。勿論クラスメイトはその道のプロではないのでわかりやすかったが、その気持ちを分からないでもなかった。もし自分が同じような立場でもおいそれと事情を聴きに行くことができないだろうと。だけどどんな事情だったのか、そんな下世話な気持ちは理解できないわけでもない、自分が同じような立場ったなら、なるほどいまの状態ができるだろうと、そんな考えをしながらも、それでも聡一郎自身は針の筵に立たされた気分だった。腫れ物には触りたくない、でもついつい気になってしまうと言った感じだろうか、腫れ物である聡一郎にはとても居心地がいいとは思えなかったが、いまはあまり話しかけられたくないという気持ちも相まって複雑な気持ちだった。  そんな沈黙が数秒、それがどれほど長く感じただろうか。永遠にも思えそうな沈黙を破ったのは酒井雄介だった、雄介は聡一郎の隣の席に座っている男で、クラスの中で比較的聡一郎の印象に残っている男でもあった。何しろ入学してからずっと話しかけられ続けると言った関係だからだ。明るく、誰とでも仲良くなれて、成績もそこそこいいらしい彼は大体グループがあればその中心にいる。だけど何故か聡一郎によく話しかけていた。何かしら共通の話題があるわけでもないから、一方的に雄介が話しかけることが多かったが、話をして退屈したということも無く、気づけば聡一郎の相槌は返事へと変わり、たまに話を振る程度の関係にはあった。 「おう、大丈夫だったか―心配したぞー」  普段から雄介は空気を読まずに話しかけてくる男だと聡一郎は思っていたが、この時ばかりは本当に読めないやつだったのかと思わされる。その声に釣られるように、見まいとしていた他のクラスメイトの視線も集めていた。自分に向けられていた悪意を肩代わりしているかのようで聡一郎はあまりいい気はしない、だけど雄介自体が自分の席から大声で話しかけながら駆け寄ってきたのだからどうしようもなかった。いまはあまり人の相手をしたくないと思っていた聡一郎はそれなりに迷惑に思ってもいた。だけど周りからたくさんの観察するような視線がある中、その渦中に自分から飛び込んでくるようなやつが果たして他にいるだろうかと思うと、そのあまりにも普段と変わらない様子に安心させられる、そしてその調子に乗せられて茶化すように応えていた 「ああ、やっちゃった、かな」 自分でもおかしいと思っていた、なにを言ってるんだろうかと 「やっちゃったって……なんだよ、もう大丈夫なのか」 そんな雰囲気に反して雄介は本気で心配してくれているようで、そんな態度を取った自分が少し虚しくなった 「ちょっとリハビリすれば、日常生活には問題ないってさ」 「そっか、わかった、困ったら何でも言ってくれよ、他の奴らも心配してたからな」 そう言って雄介は自分の席へと戻って行った。その話を聞いて周りを伺ってみると何を恐れていたのだろうか、その視線に悪意などない事に気づいた。もし自分が同じような立場に立たされたなら、確かに自分も知りたいと思うんじゃないだろうかと。だけどそれを直接聞くだけの勇気もまた持ってないだろうとも思うと、その視線が少し軽くなったような気がした。聡一郎と雄介の会話で聞きたかったことを知ることができたのか、周りの様子は段々と元に戻って行った、 言いたいことだけ言って帰っていく聡一郎は度肝を抜かれたような気持ちで。まるで台風が通り過ぎたかのようだった。そんな雄介を目で追ってみるとそこに先ほどまでいたグループがあった、明るく快活で人付き合いも良い、そんな男はいつも大体グループを作っている、そこはさっきまで視線を感じていたところの一つだった、人間を狙う視線には敏感になっていたからか、誰に関心を向けているのかもすぐに分かっていた。だが雄介が戻っていったグループを見ると、その視線は霧散していたもう興味はないと言った風であり、そしてさりげなくもう一度周りに気を配ってみるとさっきまで聡一郎に付き纏っていた視線は嘘のように消えていた。  それでも気になるクラスメイトは休み時間に話しかけてきた、なんだかんだで話を聞きたいクラスメイトが多かったみたいだった。入院中はどんな様子だったのか、リハビリはどういったことをするものなのか、入院中はどんなことをして時間を潰していのかといった他愛のない話まで。入院中に小説を読んでいたことを話してみると、この学校に文化部があるという話も聞いた、部活動に入ることは決して強制では無かったが、少しだけ頭の片隅に置くことにした。  入学当初もサッカーの特待生だという事で質問ばかりされたことはあったが、なににおいてもサッカーを優先させていたからか、あまりクラスメイトと話をした記憶もなかったなと思うと、ひどい態度を取っていたかもしれないなと後悔していた。だけどなぜ今になってこんなに話かけてくるようになったのだろうかと。話をしているとそのうちの一人のクラスメイトが教えてくれた 「雄介からさ、聡一郎君は別に嫌なやつじゃない、ただサッカーに夢中なだけなんだって聞いてたからいろいろ話を聞いてみたいと思ったんだよ、授業終わったらすぐに居なくなるから話しかけづらくてさ、こんな事だったらもっと早く話しかければよかったかな」 聡一郎の入院が決まった時、クラス担任から説明があったらしい、だけど聡一郎はあまりクラスメイトと話をしていなかった、クラスの中では特待生という名前だけが独り歩きをして、どんな人間なのか知らないという人が多かったらしい。だからよく話しかけている雄介に聞いてみたら、そういわれたという話だったそうだ。 クラスメイトには協力的な人が多かった、サッカーができない代わりに勉強で成果を出さなければいけなくなったことを説明すると、ノートを見せてくれるという生徒も少なくはなかった。小説をよく読むようになったという話をすると、おすすめの本なんかを教えてもくれた。半ば自棄になりつつあった聡一郎だったが、少なくとも教室で不安を覚えるようなことはなくなっていた。  そこまで考えるようになったからか、ふと思うようになった、あのとき雄介が空気も読まず、それなりに大きな声で話しかけてきたのはわざとなのではないのかということだ。思えば周りに言い含めるようなニュアンスがあって、そんな違和感をその場では無視していたが、違和感の正体はこれだったのではないのかと。だがそれだけではないなにか違う理由がそこにあるように思えた、そうでなければここまで先を読めた行動を取れるのがおかしいと思ったからだった、だけどそこまで考えて聡一郎は気づいた、聡一郎は雄介とそれなりに話をする相手ではあるが、聡一郎自身は雄介の事を何も知らないという事を。雄介から振られる話題は必然的に聡一郎がついていける話題に限られる、せいぜいがスポーツだったり、学校の事ばかりで雄介自身の話は一度も聞いたことがなかった。よく話す相手を表面だけでしか知らないことに気づいた聡一郎は、雄介について興味を抱き始めたのだった。  
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