窓から広がる未来

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 聡一郎と綾香は並んで歩いていた、いつの間にか引っ張られていた手は遠くへ行ってしまっていたが、手汗を気にし始めた聡一郎にはそのほうが都合がいいとも思っていた。緊張していることを悟られるのは少しだけ気恥ずかしかったのだったが、それまで引っ張ってくれていた力強さがないと少し寂しかったが、それよりも恥ずかしい思いの方が勝った。  聡一郎が手を引かれた記憶はほとんどない、基本的に自分から突っ走っていくタイプの人間だと思っているし、実際そうやって生きてきたとも思っている。自分一人で生きてきたなどと傲慢なことは考えてはいなかったが、それでも誰かに引っ張られていくというのは新鮮な気持ちと、気恥ずかしさが入り混じって、そのせいもあってか頭の中が少しの間白くなっていた。  される質問に生返事で返していることに気づいたのもそのくらいで、もはや自分が何を聞かれたのか、何を答えたのかもあやふやだった。 「あ、そろそろ本屋につきますよ」 辺りの景色が見覚えのあるものに変わってきた。漂ってくる香りは学校帰りの人間の食欲を刺激し、活気のいい店はその前で客引きをしている。ちらほらと同じ学生服を着た人間が見当たるここは、学校から一番近い繁華街だった。本屋に行こうと決めて歩き出した時点で聡一郎はある程度の予想がついていた、その方向にあるものを知っていたからだった。    今日より前に聡一郎がこの辺りに来るのはスポーツ用品店があるからだった、近くにサッカーの強豪校があるのもあってか、普通の店よりも品ぞろえが良かったり、無いものを取り寄せてくれたりと非常に便利な店だったからだ 。そういう意味で重宝していたため、たまに学校帰りに寄ることがあった。だからその雰囲気だけは知っていたはずなのだが、今回はその目的が違うせいなのか違った景色のように見える。 「こんなにご飯食べるところ多かったけ」 「こんなものですよ、暫く来てなかったから忘れてるんですよきっと」 「あ、もうすぐ本屋ですよ、ほらあそこ」 そう言って綾香の指さす方をみると、その道もやはり覚えている、その少し先に件のスポーツ店があるのだから。しかし聡一郎はその本屋の存在には初めて気づいた。 「こんな店あったっけ」 「ありましたよ、ずっと前から、私もあまり頻繁に行ったりはしてないんですけどね」 そうだったのだろうか、聡一郎は自分の視野が狭かったことに気づいた、サッカーだとボール以外にも相手の選手や味方の事に注意を払うことができていたはずなのに、ちょっとその枠組みから外れると何も見えていなかったらしい、そう思うと誰にばれたわけでもないのに顔が赤くなった。世間知らずにもほどがあるだろと聡一郎は自分を責めた。  本屋に入ったまず驚いたのはその臭いだった、紙とインク特有の独特な香りは見知ったものだった、家の中がいまや小さな図書館になろうとしている聡一郎にとってその香り自体はよく知ったものだった、しかしその濃度が違った、家の中だとその香りが落ち着くのだが、逆に濃すぎると興奮するらしい、聡一郎は昂る気持ちが抑えられそうになかった。自分の知らない本がそこら中に置いてあるからだ。  聡一郎が本を買う手段は基本的に親に買ってきてもらうか、インターネットで評価を見て選んだりすることだった、しかし親が買ってくるものは大体売れ筋なもの、ネットの評価は参考にならないこともある。調べてみてわかったのだが、読んでもいないのに書くという人間がいるというのもその時に知った。それでも書いている人を信用して買っていたのは、他の選択肢がなかったからだった。だけど今は違う、確かに時間制限の様なものはあるかもしれないが、自分の手に取って冒頭を少しだけ読むくらいはできる、自分で自分好みの本を選ぶことができるということだ、そういう意味ではネットで本を選ぶときの気持ちよりも、もはやあらぶっていたと言っても良かった、目の前に広がるそれは聡一郎にとって宝の山のように見えていた。 「ちょっとだけ、綾香、ちょっとだけ自由行動に出来ないかな」 逸る気持ちが口をついて出てしまったのは、それが本心からの言葉だったからだった。連れてきてもらって自由行動というのも失礼な話じゃないかと思ったが、その気持ちは抑えられなかった、柄にもなく聡一郎自身がはしゃいでるのだが、その姿を誰かに見られたくないと思う気持ちの方が強かったのだった。 「いいですよ、私もいろいろとみてみたいものが目に入ったので」 そういえば綾香は本を読んだりするのだろうか、自分が語るばかりで綾香の事は何も知らなかった、いや綾香の事も知らなかった。雄二の事も知らなかったように、綾香の事を知らないと思うと途端に知りたくもなってくる、だがそう思ったときには既に綾香の姿はなかった。見てみたいものというのが何かはわからないが、それを知りたいという気持ちを膨らませながら、聡一郎は本屋の中を物色していった。  見たことも聞いたことも無い作家の名前に興味を強く引かれる、ここには無数の作品があるが、その全てを読むことは出来ない、そう思うともどかしかった。気になった本を見つければ、その度に手に取って話の起こりを数ページくらい読んで、どんな話かだけを見ることにした。インターネットではできない行為だけに、その手つきも少しだけ慎重になっていた。  電子書籍にすればいいのにと思っていた聡一郎も少しだけ紙の方がいいのかもと傾きはしたが、それはいざ買うときになって気づいた、物理的な重さが問題でそう何冊も買えない事に気づいたのだった。いっそのこと買えるだけ買おうかとも思ったが、膝の調子も怪しかった、歩きっぱなし立ちっぱなしで、普通の人には問題のない行動でも聡一郎には限界が来ていたので一冊だけ選んだ、それは高校生の物語で、自分とは違う同世代の人間がどんなものなのか知ってみたいという気持ちからだった。   その本をレジに持っていき、綾香を探そうと辺りを見渡したらふっと目が合った。その手には同じビニールの袋が掲げられていた、綾香も同じように本を買ったのだとわかった。 「どんな本買ったんですか」 「高校生が主人公の話だよ、普通の高校生ってのがどんなものか知らなかったからさ、あらすじとかそういうのはあまり読んでないからわからないけどさ、綾香は」 「私は表紙が気になって、少し読んでみたら面白かったので買いました、社会人の恋愛ものですね」 「そっちも面白そうだね」 「なんだったら、読み終わったら交換でもします」 思ってもいなかった提案に聡一郎は喜んだ、だけどあまりにとんとん拍子に事が行き過ぎてむしろ不信感を覚え始める、急に遊びに行くこともそうだ、どうして自分だったのか、サッカー部での記憶がその不信感を補強する。ひょっとしてからかわれているのかとも。 「読むの遅いから、いつになるかわからないよ」 嘘だった、本は大体一日で読み終える、持っているものがタブレットだからでこそ変化が分かりにくいが、その小さな板の中は目まぐるしく変わっている。 「私も遅いんで大丈夫ですよ、読み終わったら教えてくださいね」 「もう結構遅いですね、今日はもう解散にしますか」 自分から言おうと思っていた聡一郎は出ばなをくじかれた、だけど時計を見ると、いつこんな時間が経ったのかというくらいには本屋で過ごしていたらしい。 「うん、そうだね、今日はごめんね本屋に連れて行ってもらうだけでずっと自由行動だったし」 「いえいえ、良いですよ別に。あ、じゃあ、また一緒に出掛けませんか」 聡一郎が断れるはずもなかった。 帰り道も一緒だった、聡一郎は解散と言いつつも一緒に帰っていることに恥ずかしいものを感じていた。そんな気持ちを悟られないように、その勢いのままに話しかけていた 「本当は、さ、たくさん買いたかったんだけど、ちょっと重すぎて無理だった」 「私はハードカバーみたいな本はあまり買えなくって、結構高いですしね、それにバイトも出来なかったですからねマネージャー忙しかったから」 部活のマネージャーも楽な仕事ではない、それは視界の端に映り込む姿から知っていた、そんな綾香が忙しかったからと言ったことで、聡一郎は綾香がマネージャーを辞めたことを悟った。だけどそれを聞くのはやめておいた、なにか触れてはいけないような圧力を感じたのだった。
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