1人が本棚に入れています
本棚に追加
ホームルームが終わるまであっという間だった。担任からなされる報告は聡一郎に関係のない物ばかりで、その耳を通り抜け本当に必要とされる人たちへと伝わっていく。その声をどこか遠い物に感じながら聡一郎は考えていた、放課後はどんな場所に連れて行ってもらえるのだろうかと。雄介は好青年といった風に見えるが、スポーツをしているようには見えない、だけど恰好が整っている、髪にワックスをつけているのか人からの見られ方は気にしている、遊びなれているようにもみえるけれどそれが本当かどうかは分からない、そんな人間の遊びに行くという言葉には期待がどんどんと膨らんでいく。
普段はいつ終わるのだろうかと、眺めることが多い時計を今日の聡一郎は眺める余裕がないほど興奮していた。昨日手を引かれて教室を出て行ったたときと同じくらいに昂っていたが、その時とは少し感じ方が違った。昨日のそれは緊張で、今日は期待だった。まだ少しだけ教室の外が怖くはあったが、誰かと一緒にいるときに話しかけられることはないだろう、そういう気持ちが聡一郎の心を軽くしていたのだった。
「よし、じゃあ今日は、っていってもこの近くなんてあの繁華街くらいしかねえんだよな、そこまで行こう」
「よろしくお願いします」
「んなかしこまるなって、痒くなる」
雄介と一緒に聡一郎が学外に出るとき、視線がグラウンドに吸い込まれていった。見ようとしてみたつもりではない、見なければいけないという自分の中にいる誰かに背中を押されるような感覚で見ていた。怖いもの見たさではない、だけど確認しなければという、もはや自分ではどうしようもない習慣だった。その先でグラウンドの男と目があった、そしてこちらを見て笑ったような気がした。はっきりと見たわけではないはずなのに、その男に下卑た笑みがくっついたような顔が頭の中に居座ると、聡一郎は途端に気分が悪くなった、なんでグラウンドなんかを見てしまったのだろうかと後悔をし始める、先ほどまでの高揚していた気持ちが急速に萎んでいく。
「いや、今日は、やっぱいいかなもう」
「どうした」
「うん、ちょっと、あんまり気分よくなくて」
雄介はお調子者のように見えて良く周りを見ている、聡一郎は自分の気が乗らない様子を見せれば中止にしてくれるだろうと考えていた。
「本当はなんか用事があったとか」
「いや、それは、ないけど」
少し考えるそぶりをしていたかと思うと、雄介は聡一郎の体を強引に押してきた、踏ん張るだけの力がなかった聡一郎は押されるがままに歩いていく。
「ちょ、ちょっと、あぶ」
「言わせとけばいいんだよ、んなやつら」
雄介が何か言ったが、聡一郎にその声は届かなかった。ただ押される力にさっきまで考えていたことをどこかへと追いやられていた。
「んな顔すんなよ、遊びに行くんだぞ、もっとにっこりしろ」
「こ、こう」
「笑顔下手くそだなおまえ」
周りに聞こえるような大きな声で騒ぐ、身体の周りに纏わりつこうとしていたいやな気配を払うかのように、そして押されるがままに聡一郎は学校の外へと追いやられていった。
前日に聡一郎が言った繁華街の奥に、そのアミューズメント施設はあった、横目にスポーツ店がある場所を通り過ぎて、進んでいくと見たことのない店が並んでいるのは新鮮な感覚だった。飲食や服屋がこんな場所にあるのかという発見はどんどん期待を高めていく材料のようにも感じていた。
「バッティングとかボーリングは、ちょっとあれか」
横を歩く雄介の、小さく呟く声が聞こえてきた、今日行くという場所について吟味しているようだった。
「よし、じゃあゲーセンとかカラオケいくか、っていっても全部一つの建物にあるんだけどな。なんか嫌いだったりするか」
「どっちも言ってみたいけど、あんまり長居するとまだちょっと足があれだから」
「じゃあどっちか片方だけかもな、ゲーセンでいっか今日は」
幼いころに違う場所だが、傍目にゲームセンターを見たことはあった。音の濁流とでもいうのか、その煩雑さに普通の人が入ってはいけない雰囲気を覚えていた、まるでアウトローのたまり場の様な印象を覚えている。その時一緒にいた両親もあまり入らないように言っていた。そんな場所に入れると思うと、不安と一緒に期待も半分くらいは湧いてくるのだった。
「うん」
最終的には後ろから押されるようにうなづいていた、聡一郎を押しているのは雄介の善意だった。
「なんかうれしそうだな」
「だって初めてだし」
「まじかよ、どんだけ箱入りだったんだよ、そんなキャラでもねえだろ。あー、やったかなおれひょっとして、どうか聡一郎くんのお母さまお父様お許しください、私はいまからこの純粋無垢な男を少しだけ黒く染めようと思います」
「誰だよお前は」
二人して笑いながら店に入っていった。
聡一郎の入ったゲームセンターは初めて見たものだったが、思った以上にうるさくもなく、小さいころに感じたたばこの香りもしなかった。
「あんま臭くないね」
「学生が来ることも多いからって、基本禁煙になってるらしい。よそは知らないけどさ」
そういう雄介はそれなりに来ているのか、おおざっぱにゲームセンターにどんなゲームがあるのかを教えてくれた
「先達者として俺がアドバイスをしよう、まず1000円をだしなさい」
「はい、出しました」
「それを全て100円に崩しましょう」
言われるがままに入れるとじゃらじゃらと小銭が出てきた。一枚の薄い紙が音を立てて落ちてくる硬貨に代わるのだが、その重さのせいか、変わってはいないはずなのに少しだけお金が増えているような錯覚も覚えていた。
「くわしいね、よくくるのここ」
「いや俺もあんまりは来ないよ、でもちょいちょい見てみたくなるんだ、そしたら覚えた」
その気持ちが聡一郎にはなんとなくわかった、十分お金がある状態で入ると何でもできる気がしてくるのだった。
聡一郎と雄介はレースゲームの筐体に座った。操作が簡単で差がつきにくいだろうということで選んだものだった。初めてのゲームで聡一郎が操作方法をじっくりと聞いていると
「普通にやっても面白くねえからさ、なんか賭けようぜ」
雄介がそう言いだした。
「大したもの賭けられないよ」
「いいって、そんなたいそうなもんじゃねえから。そうだな、だったら勝った方が負けた方になんでも一回聞けるってどうだ」
そういわれると聡一郎も少し興味がわいた、別に特別なことを聞こうとは思っていなかったが、それでもプライベートなことに踏み入ることでもこれなら堂々と聞けるようになると、そしてなんだかんだ言って聡一郎自身勝負事が嫌いではなかった。
「のった」
「そうこなきゃな」
レースが始まった、二人の差はそれほどついていなかったが、あと少しで聡一郎が雄介を追い越すことが出来るくらいの距離だった。
「雄介はさ、普段なにしてんの」
「なんだ、番外戦術か、いいぞかかってこい」
「そんなんじゃねえって、いつもさ、急いで教室でていくでしょ」
「あれか、別に隠すことじゃないから言うけどバイトだ」
聡一郎の記憶にある雄介の笑顔は本当にそんなものだったのだろうか、ひょっとすると働くのが好きな男なのかもしれない。
「そんなにバイト好きなの」
「そこまで好きではないかな、楽しくはあるけどまあバイトだしな」
だから聡一郎は自分の疑問をぶつけることにした
「でも凄い楽しそうな顔してるからさ」
雄介は聡一郎をちらっと横目に見た、
「おれそんなに楽しそうだった」
「うん、一日で一番輝いてそうだった」
筐体から聞こえる効果音がしばらく鳴り響いたかと思うと雄介は喋り出した。
「バイト先にさ、気になる女性がいるんだ」
「なんで告白しないの」
「んな単純なもんじゃねえだろ」
そういった気持ちは聡一郎にも理解できていた、だけど前に読んだ本が頭の中をちらつく、主人公は猛烈にアタックしていたが、あの女性の周りの男もアタックをしていたらどうなったのだろうかと。
「雄介が好きになるような女性なんだから、周りも放っておかないと思うよ」
「えらい俺の評価高いな、おれなんかやったっけ」
「俺にとっては仲良くなりたい人だよ」
「もう友達だろ」
さらっとそういう言葉をいう雄介が格好良かった、格好つけなくても格好がつくその姿なら、自分の想像通り気になる女性というのも他の人が気にしていてもおかしくないだろうと。
「な、なんかえらいぐいぐいくるな……わ、わかった、少しくらいいってみるわ」
その言葉と同じくらいにゴールの音が筐体から響いてきた。一位は雄介で、CPUにも負けて5位だったのが聡一郎だった。話をして邪魔をする考えは最初からなかったのだが、気づけば聡一郎の方が集中できていなかった。だが追いつけそうなぎりぎりで走り続ける姿はどうにも雄介が初めてプレイしたとは思えない。
「しゃ、俺の勝ち」
「おま、おまえ初めてじゃないだろ、ずる」
「実は何度かぷれいしたことはあるんだけどな。でも勝負を挑まれて飲んだ、その時点でずるいもへったくれもないんだな、勝負は挑む挑まれる前から始まってるんだ、また一つ学んだな」
得意げに語る雄介に、だけどその説得力は聡一郎を黙らせた。サッカーでもそうだった、相手選手の情報を集めて分析するのは当然だった、どうにも生ぬるい考えをしていたようだと聡一郎は思うと同時に、勝負に乗った時点でこの交渉は成立しているのだと気づくとぐうの音も出なくなっていた。
「じゃあ早速賭けの権利を使うぞ、つってもお前もわりとゲーム中にずかずか入ってきたような気もするけど、まあそこはそこってことだな」
自分が勝つことだけを考えていた聡一郎はその不意の質問に驚いた、勝ったら何を聞こうかということを考えこそしていたが、自分が負けたとき、雄介に一体何を聞かれるのか見当もつかなかった。だけどよくよく考えれば賭けにしてまで聞こうとすることを考えれば、それなりのことを聞かれるだろうと予想していた。だが勝負に負けたという結果は聡一郎に下がらせない口実にもなっている、聞かれたら正直に答えようという姿勢だけは崩さなかった。
「あー、あの人、西城さんだっけ、確か部のマネージャーだったんだろ」
「うんそうだけど、もうマネは辞めたって言ってた」
思わぬ方向から話は飛んできた、マネージャーのことが気になるのだろうかと
「え、まじか」
「うん、事情は知らないけど昨日教えてくれたよ」
雄介がぼそぼそとつぶやいていたが、その声は聡一郎に聞かせようと思って喋っているわけではないのか、脈がどうとか、そういった言葉くらいしか聞き取れなかった。
「お前あの人のこと好きなの」
出てきた質問というのはそれだった。少しくらい意識こそしていたかもしれないが、そんなことはないと一蹴したその考えを今度は雄介に思い起こされたのだった。一度は笑ったその考えを今度は真剣に考えてみようと思った、それは勝負に負けたこともあったが、雄介に嘘はつきたくないという気持ちの方が強かった。昨日は急に教室で会って、そのまま流れでたまたま遊びに行った、よくよく思い返してみるとサッカー部で部員以外で名字を覚えていたのも彼女だけだった。その時点で幾分か他のクラスメイトと比べたりすれば、十分気になる女性に入っていたことに気付いた。
「多分、多分だけど他の人よりは」
「ちげえって、ラブかライクかって聞いてんだよ」
雄介はその考えを見透かしていたのか、聡一郎の答えでは満足しなかった、誠実に真面目に答えようという気持ちをもって、そうして一度思い返してみた。どうやら雄介の聞きたかった事はラブかということだ。そして綾香について思い浮かべようとして驚いた、数日前にはおぼろげだったはずの顔が、今でははっきり思い浮かべられるようになっていたからだった。言われてから考えてみると、もしかしてという気持ちがだんだんと上がってくる。いくら前日に会った相手だからと言って、ここまではっきりと浮かべられるだろうかと、そう思うとこの気持ちには偽りも何もないのではないかと思い始めた。
「ラブ、よりかも、です」
「そうかそうか、あ、今日そわそわしてたのってひょっとして」
「一応本の貸し借りを約束してたんだ、自分はもう読み終えちゃったから先に貸そうかなって思ったら、ちょっと朝来るのはやすぎて」
「気がはやり過ぎだろ」
「かも」
二人して笑った、喋り声は二人の間を行き来して、残りはゲームセンターの騒音の中に消えていく。共有した秘密が二人の仲をより強固なものにしたかのようで、そのまま他のゲームへと移ろうとしていた。
「じゃあこれは友人としてなんだけど、聡一郎の恋の応援させろよ、なんかあったら相談乗るぞ」
その申し出を嬉しく感じた聡一郎だったが、自分ばかり貰っていては何か申し訳なく思った、やられっぱなしもしゃくだという反撃の意味も込めて言った
「お、おう、じゃあ雄介もバイト先の女の子とどうなるかちゃんと報告してくれよな」
「あー、恥ずかしい、なんで言っちまったんだ、他のやつには喋ったことねえのに」
「それがさ、友達ってもんなんじゃないの」
聡一郎は自分でも臭いことを言ったと思った
「かもしれないな」
だけど二人はそんな物言いを嫌な気持ちで捉えていなかった。
聡一郎はそのあともいくつかゲームを回っていたが、段々と足の調子が悪くなってきたのか、鈍い痛みを感じ始めていた。そのことを雄介に言うと今日は解散するということになった。その別れ際に雄介は言った。
「世の中色々あるし、いろんな奴がいるけどさ、全部が全部そんなものばっかりじゃねえんだ、前さえ向いてりゃ案外なんとかなるもんよ」
聡一郎はその言葉になぜか強い説得力を感じた、見聞きしただけではない、まるで自分も辿ってきたかのような力強さを。
最初のコメントを投稿しよう!