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「道生くんって、私の事本当に好きじゃないでしょ」  栗色の長い髪をふわふわと揺らしながら一歩先を歩く彼女は、足を止めることなく進んで行く。  好き。  俺は美優のことは好きだ。それは間違っていない。 「何言ってんだよ。俺は美優のこと好きだぞ」 「嘘」  急に立ち止まり振り返った彼女の目には涙があふれていて、重力にささえきれなくなった雫が一つ、彼女の頬を濡らした。  そんな彼女をみても、不思議と心は平静なままだ。 「道生くんの私への好きは、友達の好きだよ。」  遠くから聞こえてくる規則的な電子音がこれは夢なのだと告げる。  ゆっくりと瞼を開くと、カーテンの隙間から明るい光が差し込んでいた。  目を擦りながら、サイドテーブルに置いてあった目覚まし時計のスイッチを切る。 「まだ引きずってんのか俺」  重い体を無理に起こして立ち上がり、カーテンを勢いよく開けると一瞬で部屋が明るくなる。空は雲一つない晴天だ。 「よーし、今日も一日がんばるぞ~!」 1. 「春日く~ん」  会社の入り口を抜けた道生が声のした方向を向くと、ロビーのテラスでコーヒーを飲んでいる男が柔らかな笑顔で手招いている。道生の近くにいた女性社員達は微笑む彼をみてわっと声を上げた。 「朝から三笠さんの笑顔がみれるなんて!今日の運は使い切ってしまったわ!」 「今日のシャツはライトブルーよ!ステキ!」 「あ~あの紙コップになりたい」  それぞれ思い思い口にしている。いつもの光景だ。  寝癖のないセットされた髪に、きっちり折り目のついているシャツは、彼が几帳面な性格だということを告げているかのようだ。道生は三笠の所へ移動した。 「おはようございます!三笠主任!」 「おはよう春日君。君はいつも元気がいいね。見ていて気持ちがいいよ」 「ありがとうございます!今朝は優雅にコーヒータイムですか?」 「そんな素敵なものじゃないよ。実は寝坊してしまってね、バタバタしててコーヒーを飲めなかったからここで頂いているんだよ」  今がクールビズの期間でよかったよ、と恥ずかしそうに言う三笠をみて、この容姿でこういうことをサラッと言えちゃうギャップも女性社員に人気がある要素の一つなんだろうな なんて納得しつつ自分も自販機でコーヒーを買う。 「隣、失礼します」 「ああ」 三笠はどうぞ、とほほ笑んだ。。 「君、うちの課に来て二か月になるけど、どうだい?慣れてきたかい?」 「はい!林先輩と主任のわかりやすい指導のおかげです!」 「はは。そんなに持ち上げても何も出ないよ」 「そんなつもりでは!」 「ふふ。わかってる。それでね、」 と続けて身体を道生に向ける 「昨日林君、お休みしてただろう?」 「はい」 「彼、椎間板ヘルニアになったらしくて、しばらく入院するそうだから、変わりに僕が君と一緒に行くことになったんだよ、今日からよろしくね」  三笠はこの株式会社イエローバードの営業課で常にトップの成績を収めていて、課長や部長も一目置いている存在だ。道生は彼がどんな華麗な営業トークを繰り広げているのか気になっていた。その手腕を間近でみる機会なんてそうそうない。これはチャンスだ。 「はい!よろしくお願いします!」 「ふふ。じゃあそろそろ上がろうか。」 立ち上がる三笠に手を差しだす道生。 「あ、ゴミ捨てます」 「ありがとう」  道生は飲み終えた二人分の紙コップをゴミ箱に捨て、逸る心を抑えつつ三笠の隣を歩いた。  日も沈み、静まり返ったオフィスのデスクで道生は、数枚の書類と睨めっこをしていた。何度も何度も読み直し、ミスがないか確認する。時計の針は午後八時を指していた。 「出来たーー!!」  両手を挙げて背筋を伸ばす道生 「お疲れ様。はいコーヒー。零さないでね」 「あっありがとうございます!」  給湯室から出てきた三笠は、道生のデスクにコーヒーを置いて、隣の自分の椅子に座り真剣な眼差しで書類に目を通す。 「ど、どうでしょうか」  不安そうに問う道生に、にっこり笑って書類を返す。 「内容は完璧だけど、押印を忘れているよ。ここ」 「ああ、本当だ!すみません!」 「こことても大事だから次から気を付けて」 「はいっ!」  道生がハンコを押した隣に三笠もハンコを押し、書類を仕舞う。道生はフーッと息を吐いて深く腰を掛け、コーヒーに口を付けた。 「春日君お疲れ様。まさか先方さんとのアポが二時間もずれ込んじゃうなんてね。」 「でも主任ってすごいですね!明らかに早く帰りたがっていた相手方の空気を一瞬にして変えてたじゃないですか。おまけに契約まで漕ぎ着けて!」 「それは君が好意的に相手の話を相槌打って聞いていたからだよ。誠意って伝わるから、君の手柄でもある」  思いがけない返しに、道生は真っ赤になる。 「そんな!俺なんてなにも」 「ふふ。もっと自分に自信をもって」 「ありがとうございます」  デスクの上に置いてあった三笠のスマホが震えた。三笠は表示されてる名前を確認すると、そのままポケットに仕舞ってしまった。静かなオフィスに鈍いバイブ音が響く。 「出ないんですか?」 「うん。あとで掛けるよ。そうそう、仕事終わったなら先に帰ってもいいよ。僕はまだかかるから」  コーヒーを少し離れた所に置いて、止めていた作業を再開する三笠。 「あの、なにか手伝えることはありませんか?」 「うーん」  少し考えるポーズをして、道生の方を向きにっこりとほほ笑む 「ないかな。ありがとう」 「わかりました!ではお先に失礼しますね。お疲れ様でした!」 「ああ、よい週末を」 「主任も!」  飲みほしたマグカップを片づけて、更衣室へ向かう。明日が休日とあってか、その足取りは軽い。鼻歌なんかも混ざっている。しかし途中で大事なことに気づき立ち止まる。 「林先輩の入院先、聞いてなかったな。」  しばらく考え込み、踵を返した。 「お見舞い、早い方がいいもんな」  来た道を戻ると、少し空いた扉の向こうから三笠の話し声が聞こえる。道生は邪魔をしないように扉の外で待っている。 「そうか。よかったねおめでとう。僕も嬉しいよ。式はいつ?」  誰か結婚でもするんだろうか?そういや従兄弟の結婚式いつだったっけ? 「はははだよね。決まったら教えて。うん。わかった。じゃあね」  少しの沈黙が続き、電話を切ったのだと確信した道生は、勢いよく扉を開けた。 「すみません主任!俺、林先輩の入院先を聞いてなかっ」  いきなりの道生の登場に驚いている三笠の目は赤く潤み、瞬きと同時に零れ落ちる雫に今朝夢でみた美優の姿と重なった。  何で今あんな夢を。 「すみません俺、出直して「あ、待って」」  出て行こうとする道生の腕を掴む三笠。もう一方の手で涙を拭く。 「病院の住所、すぐ用意するから」 「あっ、ありがとうございます」  三笠は鞄から手帳を出して、メモ帳に書き写している。事故とはいえ、上司の泣いているところを見てしまった道生は気まずさでどうしていいのかわからない。そんな道生の気持ちを悟ってか、三笠はいつもの調子で口を開いた。 「驚かせてごめんね。びっくりしたよね。30過ぎたおっさんが泣いてたんだから」  道生を気にかけて話す三笠になにか返さなければと口を開く道生。 「いえ、あのっ、さっきの電話の彼女の事、好きだったんですね」 「え?」 「あ、さっきの電話で」  そこまで口に出してしまって気づく。これでは会話を聞いていましたと言っているようなものだ。道生はよく考えずに声に出してしまったことに後悔する。  一瞬の沈黙の後、三笠は、そうだよ と、悲しそうに笑って言った。    泣くほど好きという気持ちは、どんな気持ちなんだろう。  道生は、美優も三笠も、自分とは違う世界を生きてるみたいで、羨ましく感じた。
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