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取引先との商談を終え、ビルから出てくる道生と三笠。真横から差す秋の西日は目に沁みるほど眩しく、道生は目を細めた。三笠は仕事用の携帯を取出し、契約を取り付けたことを上司に報告する。道生は黙って電話が終わるのを待っていた。
「というわけで春日君。直帰のお許しが出たよ」
「本当ですか?」
「ああ、『大口契約おめでとう。今日は帰ってゆっくり休んでくれ!』だって。やったね」
三笠はにっこりと笑った。
「はい!」
今日の商談では、道生もアシスタントとして三笠の手伝いをした。といっても、新商品の簡単な説明をさせてもらっただけなのだが、それでも、三笠の役に立てたのが嬉しかった。
「お祝いにご飯を奢ってあげよう」
「え、いいんですか?!」
「もちろん!」
「ありがとうございます!」
道生は遠慮なく三笠の申し出を受けた。
中身がなくなった三笠のグラスにお酒を注ぐ道生。二人の頬はアルコールのせいでほんのり赤く染まっている。
「主任は、どうしてこの仕事を選んだんですか?」
食べ物を口に運びながら聞く道生。
「もともと人と話すことが好きだったのもあるんだけど、友達に向いてるって言われてやってみたら向いてたってだけだよ」
「へぇ、その友達、主任のこと良く見てたんですね」
「そうだね」
グラスを傾け微かに笑う三笠。突然動きが止まり、スーツのポケットからスマホを出す。
「電話ですか?」
「そう」
ちょっとごめんねと、申し訳なさそうに出て行く三笠。数分後、三笠は重い顔で帰ってきた。
「なにかあったんですか?」
「春日君、これから直也とその婚約者がここに来る事になったんだけど、あとで説明するから、僕に話を合わせてくれないか?」
「え?」
突然店の引き戸が大きな音を立てて開かれる。榎木が店内を見回し、三笠の姿を見つけるなり、ズカズカと近づいて来た。その後ろで婚約者の佐々良真子(ささら まこ)が静かに引き戸を閉めている。三笠はいつも通りの優しい表情に戻っていた。
「悪いな春日君」と全然悪そうに感じない口調で言う榎木に、かまいませんと持ち前の営業スマイルで返す道生。
「昼間耕平と会ったことコイツに話したら、どうしても会いたいっていうもんだから電話したらまさかの同じ駅で、しかもこんなに近くで飲んでたなんてな」
「そうなんだ。今日は大口契約が取れてね、二人でお祝いしてたんだ。真子さん、ずっと会いたがってたのに、仕事が忙しくてなかなか会えなくてごめんね」
申し訳なさそうに言う三笠に真っ赤になりながらぶんぶん首を振る佐々良。
「いえっ!こちらこそ!いつも残業とか休日出勤とか大変なのに、せっかくの憩いの時間にお邪魔してしまってすみません。春日さんも、お疲れ様です」
「いっいえ」
急に話を振られて焦る道生。株式会社イエローバードは、土日祝日休みの完全週休二日制だ。取引先の都合に合わせて超勤や休日出勤をすることもあるが、ちゃんと代休をもらえる。自分の自由時間がなくなるほどブラックな会社ではない。返答に困った道生の横から三笠が話を続ける。
「二人とも、結婚おめでとう。真子さんのことはいつも直也から聞いていたよ。料理が上手くて、気が利いていて、すごくかわいいって」
恥ずかしそうに下を向いて照れ笑いをする佐々良の横で榎木もまた照れながら明後日の方を向いている。道生が三笠を見ると、視線は下を向けたまま、笑っていた。すぐに視線をあげて、前に座る二人ににっこりとほほ笑む。
「二人とも、幸せになって」
居酒屋の前で、タクシーに乗り込み幸せそうに手を振る二人を見送って、道生と三笠は歩き始めた。ゆっくり前を歩く三笠を見つめる道生。三笠のいつもと違う頼りなく見える背中に堪らず声をかける。
「あのっ、さっきのなんですけど」
三笠は立ち止まり、顔を横に向ける。外灯の逆光で表情は読み取れない。
「春日君、公園があるよ。ちょっと休んでいこうか」
そう言って公園の中を歩いて行く三笠の後を、追っていく。
静かな公園のベンチで、静かに並んで座る二人。三笠は星空を見上げて、深呼吸をした。
「さっきは、話合わせてくれてありがとう」
「いえ」
「今まで何かと理由をつけて会わないようにしてたんだけど、実際会ってみると、なんか、心のつっかえが取れたみたいだよ。」
良い子そうで良かったと、三笠は悲しそうに笑う。
「主任が好きなのは、榎木さんの方だったんですね」
「うん。嘘ついててごめんね」
「いえ、主任は、ゲイなんですか?」
「違うよ」
あっさり否定する三笠に面食らう道生。
「と言っても、女性とも恋愛らしい恋愛はしたことがないんだけどね、彼は特別で、男だから好きというより、直也だから好きと言うか、他の男にはこういう感情を抱いたことはないんだ。」
「こういう感情って、どんな感情ですか?」
三笠は、予想外の質問に驚いた。
「君は誰かを好きになったことはないのかい?」
道生は少し考えて、口を開いた。
「俺、大学ん時に付き合ってた彼女に、俺の好きは友達の好きだって言われて振られたことがあって、友達の好きと、恋愛の好きの違いがよくわからなくて」
三笠は静かに道生の話を聞いている。
「異性での恋愛は、その感情が友情から来てるのか愛情からきてるのかわからないですけど、同性で友情から始まって、友情じゃなくなるのなら、それはもう愛情でしかないですよね。と言うことは、主任は本当に恋愛をしているってことです。だから、その感情はどんな感情なのか聞きたいです。あ、元から同性愛者の方達のことはわかりませんが。」
「君は、変わってるね」
「え?」
「普通、同性が好きってところで驚くよ?」
「恋愛は人それぞれでしょう?」
当然のように答える道生に、三笠はフフっと声を漏らした。道生はいきなり笑われて不機嫌になる。
「俺、本気で悩んでるのに!」
「ごめんごめん。君は、恋愛対象に関してはそんなに柔軟な考えをしているのに、恋愛の定義に関しては、とても難しい考え方をするんだな。真面目な君らしいけどね。ずっと片想いをしている僕の意見を言ってもいいかい?」
「お願いします!」
「君の好きと彼女の好きには温度差があった。それだけじゃないかな」
「温度差?」
「君は、見た所、みんなに同じ態度で同じように接するだろう?」
「なんでわかるんですか?」
一緒に仕事をしてたらわかるよと三笠は笑う。
「そこが彼女は気に入らなかっただけじゃないか?僕だったら自分を特別に扱ってほしいって思うよ。」
三笠の言葉を聞いて、ハッとする。確かに、美優の事は好きだった。けど、特別に何かしてあげた記憶はない。友達からの誘いが先にあれば彼女の誘いは断っていたし、優先順位の最上位は学業だった。遊びにはいったけど、旅行とかはしなかったし、用がない限りメールはしなかったと思う。電話なんて特に。でもそこまでやらないといけないとなるとやっぱり
「面倒くさいです」
道生は頬を膨らませて言う。
「君は本気で人を好きになったことがないんだね」
いままでと違う低い声のトーンに驚いて顔を上げると、三笠が覆いかぶさってきた。背もたれで逃げる事も出来ず、逆光で表情も読み取れない。首に手を回され、顔を固定され膝の上に座られた。
「あの、主任」
驚いて身じろぐが、思った以上に三笠の力は強かった。
「さっき、僕が直也に抱いてる感情がどんなのか聞いてきたよね。教えてあげるね」
「え?」
「僕だけを見てほしい。僕だけに笑って欲しい。」
三笠の右手が道生の頬に触れる。
「直也に触れたい。」
親指で唇をなぞる
「キスしたい」
「あのっ」
「抱きしめたい」
首に腕を回し、抱きしめられる。道生はどうしていいかわからず両手の置き場に困っている。三笠は道生の耳に唇を近づけて囁く。
「抱いてほしい」
ぞくっとくる吐息交じりの声に、思わず三笠を引きはがす。道生の顔は真っ赤で、心臓は痛いくらいに鼓動していた。三笠は道生の膝から降りて、いつもの優しい声で驚かせてごめんねと苦笑した。
「僕の事を面倒くさいって言われたみたいで、意地悪してしまったよ」
「主任でもムカつくことってあるんですね。」
鼓動を落ち着かせようと深呼吸をする。
「僕だって普通の人間だからね」
三笠は道生の隣に座り直した。
「こういう気持ちにはなったことがない?」
「ない、ですね。」
「そっか。そんな相手、見つかるといいね」
三笠は鞄を持って立ち上がる。続けて道生も立ち上がり、駅まで他愛のない話をしながら歩いた。三笠と別れた後も、道生は三笠に触れられた所に残る体温を、なかなか払拭できずにいた。
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