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--なーる……『可愛い』部下、ね。
「ありがとうございました」
白いステップワゴンから降りた新卒社員の坂下が助手席の窓越しにぺこっとお辞儀をすると、肩まである内巻きカールの髪がふわりと舞った。
「本当にここで大丈夫? 家まで送るけど……」
駅前のロータリー。きらびやかなネオンが瞬く賑やかな繁華街。人通りも多く、交番もすぐ近くにある。
ここで大丈夫というので車を停め、坂下を降ろしたのだが、石橋は助手席の窓を開け、心配そうに声をかけた。
「大丈夫ですよ。うちは駅に向かう人が多い通りなんです。一方通行ですし、細い通りなので……車で入ると出るのが大変ですから」
「いや、でも……」
「では、山崎さん、お疲れ様でした。フロア長、送っていただきましてありがとうございました。失礼しまーす」
石橋の厚意を丁重に断りつつ、坂下はくるりと背を向け、細い路地へと足を向ける。
「お疲れ様~! また明日!」
後部座席から山崎が声をかけると、坂下は横向きのまま腰から折り曲げるようなお辞儀をひとつして、再び路地へ向かって歩き出した。
「可愛い部下にフラれちゃいましたね」
ニヤリと山崎は抑えきれない笑みを浮かべる。
ミラー越しに目が合うと石橋はばつが悪そうに頭を掻いた。
「あ~、悪かったな。彼女一人を送っていくとなると、まぁ、いろいろと……周りの目なんか気にするだろうと思ってな」
悪びれもせず、山崎をダシに使ったことを白状する。
このご時世、厚意でしたことが捉えようによってはセクハラで訴えられてしまうこともある。また、新卒社員と車内に二人きりでいたというだけで、根も葉もない噂を立てられることもあり得る。石橋の懸念もわからないわけではない。
「彼女は新入社員の中でも可愛いですからねぇ? そりゃあ、周りの目も気になりますよねぇ?」
ここぞとばかりに上司をいじる。
「不思議だよなぁ……。山崎と二人でメシ食おうが、話してようが、誰も何も言わないのにな」
山崎に対しても坂下に対しても差別なく、同じ対応をしている石橋には理解しがたいようで、しきりに首を捻っている。
この二人の間に『色気』とか『怪しい雰囲気』と言ったものがこれっぽっちも流れていないのだから当然といえば当然のことで。親密な空気感が漂ったとしてもせいぜい『兄妹』くらいにしか見えないだろう。
「ほーんと、不思議ですよね~」
車が走り出す。少し大袈裟だったかな、と思いながら、山崎は顔をあえて窓の外へ向けた。
赤や黄色、ピンク、オレンジといったネオンが賑わいを見せる街の風景が窓の外を流れる。
周りに下手に勘繰られて居心地の良い場所を奪われたくない。そう、あえて甘い空気を出さないよう、かつ自然に見えるよう、山崎なりに配慮しているのだから。
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