常連のお客様

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常連のお客様

「やまざきさ~ん! お久しぶりですぅ」  休憩から売り場に戻ると、女性の可愛らしい声が響き渡った。  声のする方へ目を向けると、山崎と同年代の小柄な女性がひらひらと手を振っている。 「木元様! お久しぶりですね」  月に一回は顔を出して新発売の腕時計をチェックしていく常連のお客様、木元だ。  木元との出会いは昨年年末。  エルメスのクリッパーを購入した際に担当したのが山崎だった。木元が身に付けている国産の腕時計が傾いていることがふと気になり、ベルトの調整をしたところ、日用品の買い物時にも声を掛けられるようになり、今じゃ山崎の『常連様』だ。 「実はこの前、仕事辞めちゃって。今、就活中なんですよ。とりあえず、お金ないと生活出来ないから単発の試験官のアルバイトをしてて。これから家に帰るところなんです」  苦労を感じさせないようにする為なのか、ご無沙汰の理由を淡々と語る。  育ちが良いのか同世代にしては上品な振る舞いのこの女性に、山崎は親しみを持っていた。 「就活にアルバイトまでして。お忙しいんですね。……ちゃんとご飯食べてますか?」  山崎としては心配していたのだが。  木下はきょとん、と目を丸くした。  次の瞬間。 「ゴハンの心配だなんて、山崎さんらしーい」  カールした毛先を揺らしながら、ぷぷっと吹き出す。 「笑い事じゃないですよ~。人間、食べることと眠ること。この二つが満たされてれば何とかなるんですから!」  力説する山崎に、木元は抑えていた笑いを隠しきれず、口元を被って笑い出す。 「時間がある分、いっぱい食べて寝てますよ~。むしろ太っちゃったかも、な勢いですよ」  と一旦、笑いを抑え、木下は改めて山崎に向き直った。 「ニュース見て心配して来てみたら、逆に心配されちゃった」 「ニュース、って…………あっ!」  先程、休憩室で何気なく流れていたアレだ。 「そう! 手首切り落としの。山崎さん、オメガでしょ?」  と山崎の左手首の腕時計をトントンと指でつつく。 「わざわざ心配してくださったんですね。ありがとうございます。木下様は……」  ふと木下の左手首を見る。  この店で買ったエルメスのクリッパーではなかった。 「大丈夫。国産のソーラー電波ですよ」  ほら、と左肘を曲げて手首が見えるように持ち上げる。 「今日は試験官だから、正確な時間を確認したくて」  電波時計なら狂いなく時間を表示してくれる。  時計愛好家ならではの使用目的に合った正しい使い分けだ。 「今日は偶然だったけど、ニュースを見たら怖くなっちゃって。当分、エルメスを付けるのは控えないと」  でも好きだからお金が入ったら買っちゃいますけどね、とこっそり耳打ちする。 「また来ますね」  じゃあまた、と軽く会釈をしてエレベーターホールへ向かう。 「お待ちしております!」  山崎も背筋を伸ばし、右手の上に左手を重ね、腰から折り曲げて頭を下げた。
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