#5 - 正しい選択

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 2  私の願いは、この街の人々を守ることだ。  その願いの為に多くを捨てた。この願いを私の生きる目的としたから、私は今ここにいることが出来る。  例え、人として生きることを諦めたとしてもこの願いだけは、この信念だけは曲げられない。  これが私の存在意義だ。マルコムは私のそれを全て理解している。  しかしだからこそ不敵に笑い、そして私に問う。  私の真価を確かめるかの如く。 「ジョン。君の願いは何だ?」 「……この街の人々を守ることです」 「君が魔人に対して抱く複雑な想いは察するに余りあるよ。しかし、君はその願いの為に正しい選択をしなくてはならない。それは何だと思う?」 「魔人の命を奪うこと、ですか?」 「ミシェル・レヴィンズを救うか否か、だ」  私はその言葉を耳にした瞬間、こめかみに思い切り金槌をぶつけられた様なショックに襲われた。  彼の問いに私は唖然とし、そして次の瞬間には私の感情がかつてない程に昂っていくのを感じる。  余りにも極端で、理不尽で、ここまでの私の葛藤を全て無視し、その選択以外を考えることそれ自体が無駄だと全否定したのだ。  当然、私がどちらを選択するかなど初めから決まっている。 「そんな、そんなこと……救うに決まっているじゃないか!!」 「ならば君の願いは自ずと叶うだろう。それ以外に君が選択することは無いし、求めるべきでもない。欲張ると碌なことが無いぞ」 「それでも、俺は……」 「ジョン。ここで君が求めるべきは知識だ。重要な選択はもう済んでいるのだから、次はその為に必要な知識を求めるべきではないかな? 例えばそう、魔人に憑りついているものについて、とか」  呆れた様な表情を浮かべ、わざとらしく両手を広げたマルコムは私に次の質問を促す。もはやそうせざるを得ない状況に誘導されている。  これ以上、私の信念の是非について彼に問うても無駄なことは分かった。  しかし納得は出来ていない。この答えは彼に頼らず自分で出すべきだ。そして彼の言う通り、今はミシェルを救う為に魔人の事を知るべきだろう。  葛藤を胸の奥に潜め、私は無言で頷くことで知識を求めることを肯定した。 「とは言ったものの君が知るべきことは、『魔人に憑りついているものが何か』についてだけだ。これについても誤解していそうだから訂正しておくが、憑りついているものは純粋な悪魔ではない」 「純粋かそうでないかの違いの問題が何なのか分かりませんが……つまりどういう意味ですか?」 「そちらの説明の前に、まずは魔人が現世に転生させようとしている巨大な悪魔について軽く説明しよう」  マルコムは鏡に映る六翼の天使の様な悪魔を指差すと同時に、一枚の古紙を取り出した。  古紙には悪魔の絵が描かれている。 「あれは『大炎鷺(フラマ・アルデア)』と呼ばれる火の悪魔で、天使の姿を模ってはいるが、その性格は高慢にして悪辣、そして獰猛。自尊心が高く、呪文で縛らない限り決して他者には従わず、気に入らないものは全て燃やすという地獄きっての暴れものだ。そして、あれは悪魔の呼びかけに応じることはない」 「理由は?」 「自分以外の悪魔が気に入らないからだ。他の悪魔もあれを好き好んで呼び出そうとは思わないだろう。下手をすれば自分が燃やされるからな。呼び出そうと考えるのは愚かな人間くらいのものだ」 「……つまり?」 「魔人に憑りついているのは元人間の悪魔――『悪霊(フェインズ)』だ」  新しい単語が出てきた。  言葉通りの意味なら、亡くなった人間が幽霊となり悪性を持ったものの総称と判断出来るが、この場合は元人間だったが何かのきっかけで悪魔となってしまった者のことを指すのだろう。  おそらく、その成り立ちが悪魔として純粋かそうでないかの違いだ。 「フェインズとはこの世に未練を抱いたまま没し、負の感情を糧として悪魔に成り変わった元人間だ。奴等は自らの望みを叶えることに貪欲で、それを邪魔されることを尽く嫌う。寧ろそれしか見えていない」 「その願いが、大炎鷺を現世に転生させること……いや、転生させてこの街の全てを燃やそうとしている?」 「目的の詳細までは不明だが、そう考えてほぼ間違いないだろう。悪霊の力は純粋な悪魔に比べるとかなり虚弱なので、それを補う為にこうやって他の悪魔を召喚することがある」 「それでもかなり厄介そうですが……だいたい分かりました。それで、この魔人の対処方法は?」 「このタイプは鷹爪の悪魔並に脆い。熾烈弾で魔力の供給源となる頭か心臓を潰せばそれで終わりだ」  物騒ではあるが、それならば分かりやすい。  つまり幽世との繋がりを断ち切ることが出来ればこの魔人は倒すことが出来るということだ。  ということは、もしも外傷を与えずに繋がりを断ち切る術が使えれば、犯人から悪魔を切り離すことが出来るということではないだろうか。  その理論が成り立つのなら、魔人となってしまった者を救うことが出来るのではないだろうか。その様な期待を抱いてしまう。  しかし、私が知っている方法は熾烈弾による断絶だけだ。  そもそもその様な術があるかどうかも分からないし、仮にそれがあったとして、残り少ない時間でそれを会得することは現実的ではないだろう。 ――だがそれは、命を諦める理由にはならない。  魔人は今夜にでも転生術を行うらしいが、あとどれだけの猶予があるのだろうか。 「マルコムさん、転生術完成までのタイムリミットは?」 「日没だ。太陽が出ている間は魔力の流れが不安定になるので、日中に転生術が行われることは無い。今日は午後六時に日が落ちるので、あと五時間といったところか」 「分かりました。念のため、熾烈弾をダースでもらってもいいですか」 「箱ならその辺りに置いてある。好きなだけ持って行きたまえ」  マルコムが指差した私の後方には図書館の様相に凡そ不釣り合いな木箱がいくつか積んであり、開かれたそのうちの一つの中身を確認すれば、銃弾を詰めた箱の山が見える。  これらは支給品らしいので、エージェントとして有難く使わせてもらおう。  尤も使う事態に陥らないことが最良なのだが。 「それともう一つ、これを君に」  そう言って、マルコムはこちらに向かって何かを放り投げた。  フライングディスクの如く横回転しながら飛来してくるそれを反射的に掴み取って確認すると、それは『制帽』だった。  どこの制帽かは分からないが、外見はLA市警のものによく似ている。鈍く艶っぽい光沢を放つ黒色の生地は明らかにエナメルのそれとは異なり、つばの部分でさえも動物の本革で出来ている様だ。ざらざらとした手触りの分厚い革にはどことなく高級感が滲み出ている。  対して正面に誂えられた金属のエンブレムには全く見覚えがない。  中央に立てられた長剣と翼、そして稲穂。きっと何かしらの意味が込められているのだろうが、特に興味はない。  気になるのは、何故これを私に渡したかだ。 「この帽子は?」 「返り血除けだ」 「物騒ですね!? もはや俺が魔人を殺す前提じゃないですか!!」 「なぁに、今回の為だけに用意したものではないよ。例えば鷹爪の悪魔と対峙した際、『帽子でも用意しておいた方がいいかもしれないな』と思うことがあるじゃないかな」  この人は本当に、どこまで私の思考が読めるのだろうか。  確かに奴等が赤黒い血を破裂する水風船の如くまき散らした際、まさしく血除けという意図で咄嗟に帽子が欲しいとは思った。  尤も下級悪魔は遭遇率が高いし、他のエージェントも度々遭遇しているはずだ。つまり、これについては予測の範囲なのかもしれないが、それでもやはり思考を読まれている感じがして気分が悪い。 「その帽子は君がエージェントとなった日に渡す予定だった物で、いわば証だ」 「証? 何の証ですか?」 「人間卒業の証だよ」 「これ燃やしていいですかね……」 「今のは半分ジョークだ。これは我々の仲間であることの証だから、エージェントとしての活動の際は常に身に着けておくといい。なかなか実用的でもあるのでね。それに社会の規律を守らんとする君には、とてもお似合いだ」 「それでも半分か」と文句を零しそうになるが、血除けに使えそうなのは確かなので、どこか釈然としないままそれを腰のホルスターフックに引っ掛ける。  ビジネススーツに制帽とはなんとも微妙な組み合わせだなと苦笑いしつつ、お世辞にも似合っていると言われて気を良くし、既に使う気満々な自分がいることに気付いた。私は自分が思っているよりもかなり単純らしい。  ふと、またマルコムの掌の上で踊らされている気がして視線を向ければ、やはりどこか愉快そうな笑みを浮かべる彼がいた。  どうやっても読まれてしまう様で不快感すらある。  ここでやるべきこともあと僅かで、必要な情報はあと一つ、それを聞いてとっとと現場に向かおう。 「最後に、ミシェルと犯人がいる場所は?」 「ゲヘナで君の相棒が立っていた場所と同じだ。魔法陣の中央、そのビルの屋上に居る」 「ありがとうございます。必要な情報はこれで全部ですね……形式的ではありますが、捜査協力感謝します」 「当然さ。なにせ君は我々の仲間なのだから」 「……でも、これ以上は何もしてくれないですよね?」 「知識の収集がてら私がやっても全く構わないのだが、私は一切容赦しない。悪魔はもちろん、魔人にもね。それでも良ければ私に任せてもらっても構わないよ?」  魔人犯罪(デモニック・ケース)を最も確実に解決することが出来るのは、間違いなくエクスシア本部長のマルコムだ。  今回の事件に関しては私でも十分対処出来るから率先して解決に動こうとしないだけで、私がここに訪ねなければ彼自ら動いたに違いない。  もちろん彼に任せてしまえばこの事件も容易く解決し、ミシェルも救ってくれることだろう。きっと赤子の手をひねるかの如く一瞬だ。  だがマルコムは自らの欲求――『蒐集家』と呼ばれる程の知識に対する飽くなき探求心――の為に容赦なく魔人を蹂躙してしまう。  いくら魔人が抵抗してもそれは彼にとって楽しい戯れで、いくら泣き叫んでもそれは心地の良い音色で、いくら赦しを乞うてもそれは彼の耳を素通りするのだ。それは看過できない。  なぜなら、まだ「救いの手」は残っているかもしれないのだから。  聞きたいことは全て聞いたので、早々に現場へ向かうとしよう。  時間はあるとはいえ、囚われのミシェルの心境を考えれば急がない理由はどこにも無い。 「譲る気はありませんよ。それじゃ失礼します」 「ジョン」 「なんですか?」  足早に去ろうとした私を呼び止め、背を向けたままの私に彼は一言告げた。 「君の選択は間違っていないよ」
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