#5 - 正しい選択

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 3  マルコムとの会話が終わったことを察して戻ってきたアネットを引き連れ、彼女に概要を話しながらエクスシア本部を後にしようとした私は、入口前のエントランスでとある女性と再会した。 「あら、ジョン!」 「……ジニーか?」 「二週間ぶりくらいかしら。元気してた?」 「心労は絶えないが、思いのほか元気だよ」  ファーコート姿の美女、ヴァージニア・Hヘレン・キャッターモール――愛称は「ジニー」――が口元を艶美に歪め、ひらひらと手を振っていた。  彼女もアダム・デイヴィッドと同じく、少し前に知り合ったエージェントであり、以前とても良くしてもらった覚えがある。  群青と白紫が混ざりうねる銀河の如き美しい長髪は視線を釘付けにし、相対した瞬間に花と果実を混ぜた様な蟲惑的な香りが鼻孔をくすぐる。  その人外的な魅力と妖艶な雰囲気を間近に感じると、気持ちが安らぐよりも昂ぶるのを感じてしまう。  名前に反して『魔性』というべき印象を与える妙齢の女性、それがジニーだ。  右手に引き摺る大型のスーツケースや身に着けているツバ広のガルボハット、サングラス等の遠出用の格好から察するに、州外にでも行っていたのかもしれない。 「旅行か?」 「仕事よ、シ・ゴ・ト! 色々と道具の調達してたら、かさばっちゃって」 「それでその大荷物か……ここに来たということは、仕事は終わったみたいだな。これから彼に報告を?」 「ええ。そういうあなたは? アネットもいるんでしょ?」 「俺は仕事の途中だ。あいつは……おかしいな、さっきまで隣にいたんだが」  気付けば、いつの間にかアネットの姿が消えている。  本来なら彼女の姿は私と同類のジニーにも見えるのだが、時折私すら見えない様に姿を眩ますことがあり、そういう時は大抵の場合苦手なものが近くに居る時だ。  例えば眼前の女性とか――。   「可愛い服仕入れたからまたファッションショーしたかったんだけど、今日はダメかしらね。ざーんねん」 「俺の隣人に何してんだ……というかいつそんな事やったんだ? 見た記憶が無いんだが」 「あの子のジャケットとかパンツとか見繕った時だから、あなたがエージェントになった日かしら」 「あいつが俺の隣人になってすぐじゃないか」  確か、私が最初にアネットと会った時は全身黒ずくめだったはずだが、赤いジャケットとジーンズパンツという今の服装に変わっていたのは、彼女の仕業だったのか。  そういえば、今は馴染んでいるのか別段気にしていない様子だが、最初はアネットがどこか渋い顔を浮かべていたことを思い出した。  アネットが雲隠れしているのは、恐らくまた服装で遊ばれたくないからだろう。同じ立場なら私も全力で拒否している。誰が好き好んで着せ替え人形になりたがるだろうか。  彼女の安寧の為にも、話題を変えることにしよう。 「あいつは気まぐれだから、期待はしないでくれ。それよりもジニー、今日この後時間あるか?」 「あらぁ? もしかしてデートのお誘い? 嬉しいけど、アネットに悪いわ。なにより私、不倫はしない主義なの」 「誰が妻帯者だ。そうじゃなくてだな……その、仕事が終わった直後で頼み辛いんだが、俺の仕事を手伝ってくれないか?」 「んー、報酬と仕事の内容次第ね。ちなみにどんな案件?」  駄目で元々のつもりで頼んでみたが、どうやら交渉の余地はありそうだ。  要求が予測できないので少々怖いが、私より経験豊富で器用な彼女の助力があれば事件の解決は確実だ。ここは勢いに頼ろう。 「ある魔人が大炎鷺という悪魔を召喚しようとしている。事の始まりはサウスLAで発生した『魔女狩り』という事件なんだが――」 「パス」 「え?」 「パスよ、パ・ス! その事件『魔女狩り』って名前なんでしょ? 私と相性最悪じゃない。流石に今日はもうアウェー覆すだけの体力も魔力も残ってないわ。足引っ張るのも嫌だし」  直前までの押せば引き受けてくれそうな雰囲気から一転し、ジニーは首を横に振った。  あまり期待はしていなかったが、やはり助力はしてくれない様だ。  そういえば、魔力や魔術が関わる世界においては、属性や概念、名称や伝承といったものの『相性』が重要であり、たとえ力の差があったとしても相性一つで力関係がひっくり返ることがある――そういった話を以前に聞いた覚えがある。  その点の重要性を理解しているジニーは事件の詳細を知らずとも、この件が自身の対応範囲外であることを直感したのだろう。  現状、無理強いしてまで連れて行きたい程切羽詰まっているわけではないし、きっとその振舞い以上にジニーは疲れているはずなので、今回は彼女からの助力を諦めよう。 「そうか……分かった。この話は忘れてくれ」 「力になれなくてごめんなさいね。代わりと言ってはなんだけど、一つだけアドバイス。『隣人はあなたの為に動く』ってことを忘れないで」 「どういう意味だ?」 「そのままの意味よ。それじゃ私はもう行くから、グッドラック幸運を」 「あ、ちょっと――」  意味深なアドバイスを残して、しかし疑問を解消させる時間は一切許してくれず、ジニーはその場から去ってしまった。  きっと何かしらの意味があるのだろうが、すぐには理解できそうにない。アドバイスについては記憶の片隅に留めておく程度にして、あまり気にしないことにしよう。  さて、ジニーも行ってしまったことだし、そろそろどこかに隠れているアネットを呼び出そう。 「アネット」 『む、背の君よ。ヴァージニアはもう行ったか』  いつの間にかアネットは私の背後を泳いでいた。  いや、視覚に映らなかっただけで最初からそこにいたのかもしれない。煙の様に消えたり、透明化したり出来るのだろうか。  彼女に何が出来るのか、そして隣人に何が出来るのか、その多くを私は未だ知らない。 「マルコムさんに報告に行ったよ。それよりもなぜ隠れていたんだ?」 『あやつのファッションショーお人形遊びには付き合いきれん。あれは長時間やっていると精神的に参る。まるで見世物の猿だ。正直、吾はあやつの事が苦手だ』 「彼女なりのコミュニケーションだろ。気持ちは分かるが次は付き合ってやれよ、少しでいいから」 『……善処する。ところで背の君よ、こんなところで立ち話していて良いのか? あの小娘を助けに行くのだろう?』 「そうだな……まだ時間はあるが、早いに越したことはない。行こう」 『うむ。ならば早々に片付けて晩飯の調達を――ってあああ!?』    いざ目的地に向かおうと一歩踏み出した矢先、突如としてアネットの悲痛な叫びがエントランスに木霊した。  というか耳元で叫ぶのは勘弁してほしい。ただでさえ女性の声は良く通るのだから、鼓膜が破れたらどうする。 「……なんだよ?」 『昼飯! わ、吾等、昼飯を食っとらんぞ! ぬわあああ吾としたことが! もう午後二時を回っとるではないかっ! もうすぐおやつ時になってしまう……こうしてはおれんぞ背の君よ、早よ行くぞ!』 「ちょっと待てよ、行くってどこに――」  一人突っ走るアネットは俺の手を強く引っ張ってエレベーターに乗るよう促す。  戸惑いながらも疑問を呈すると、彼女は激しい剣幕で己の欲望を言葉にした。 『決まっている! チーズバーガーだ!!!』 「……」 ――まぁ、腹ごしらえしてからでも遅くはないだろう。  少なくともこの選択は間違っていないはずだ。
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