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#6 - 突き刺し、貫く針
1
サウスLA全体を土台にして作られた巨大な転生陣は、六つの魔力点によって形成され、それらから供給される魔力が魔法陣の中心となる一点に集中する。
その一点に配置されるのは転生の為の器――即ち生贄であり、それに該当するミシェルは、魔力の集約点であり祭壇の役割を成すビルへと連れていかれたのだ。
当然、転生術を実行する犯人もその場に居るはずだ。
予めチーフからミシェルの捜索を行っている捜査官達に連絡してもらい、対象のビルの人払いを行おうとしたが、幸いにもそのビルは無人だったらしい。
情報が不明確な理由は、魔人犯罪の多くが普通の捜査官では対処できない案件の為、原則犯人に接触することが出来るのは我々超常課の人員のみと定められている。
故に他の捜査官が確認出来たのは、ビル一階のエントランスまでだったからだ。
二階以降は進入の際に私が各階を昇りながら確認したが、実際には普段から使われている様子だったので、魔人の影響で自然と人払いが働いてしまっているのかもしれない。一般人への被害を考えなくて済むことに安堵しつつ、最上階に向かう足を速める。
地獄ゲヘナに映っていた光景によれば、ミシェルが囚われているのはこのビルの屋上。
上階に昇る度に強まっていく悍ましい魔力の気配からして、場所に間違いはない。そして案の定、ビルを昇りきり屋上に繋がる扉を前にして、私の身体に電流が走った。
閉じられた扉の淵から漏れ出し、辺りに充満する黒い靄の奔流。
鼻腔を突き刺す、硫黄や汚泥とはまた違った腐臭。
もはや六感のみならず五感ですら強く感じる程の魔力の塊が、扉を隔てた向こう側にあることは明白だ。そしてそれを生み出す悪辣なる魔人と、囚われの私の相棒もそこに居る。
この扉を開ければ――逃げ出すつもりは毛頭無いが――後戻りは出来ない。
あとは助けるだけだ。
口のみで小さく呼吸して息を整え、意を決し、熾烈弾を装填したコルト・パイソンを構えて、私は目の前の扉を強く蹴り開けた。
「FBIだ! 両手を頭の後ろに回して跪け!」
定型句の牽制を飛ばしながら銃口を前方に向け、その直線上にあるものを視覚で捉えた瞬間、私はそこに存在する『異形』をはっきりと認識した。
夕焼けの空から注ぐ太陽の残照に晒されていたのは、鉄骨で出来た慈悲なき十字架と、自らの命を捧げた神の子の如く、その身を縛り付けられ完全に意識を失っているミシェルの姿。
そして十字架の前で両腕を大きく広げ、赤き天を仰ぐ一人の男――犯人の姿だった。
男の姿は異様だった。
格好自体は一般的なスーツを着ているのだが、肩や腕や脚の所々から人体にあるはずのない岩片の様な突起が衣服を突き破って飛び出しており、肌の色は毒でも食らった様に真っ青だ。
そして私の牽制に気付いて漸くこちらを向いたその顔は、生気を吸われたかの如く痩せこけ、額にも岩片の様な突起が生えており、窪んだ二つの眼は白目までもが紫焔色に染まっている。
間違いない、魔人(デモニック)だ。
誰もが異常と感じる出で立ちだが、一般人にはその異様さを視覚で感じることが出来ない。
魔力を感知できる私だからこそ目にすることが出来る魔人の姿であり、そしてもはや人から完全に逸脱した存在であることの証明でもある。
元人間の悪魔と分類される『悪霊(フェインズ)』とはいえ、それに取り憑かれてしまえば歪な形に変わってしまうのはどの魔人も同じ様だ。
銃のグリップを握り直して一歩前に出ると、魔人は過剰な程に反応を示す。
「ち、近付くなぁっ!……あ、あんた、誰だ!?」
魔人は酷く慄き、視線を激しく揺らし、怯えた様な表情でこちらを指差して、姿に見合わずなんとも情けない叫びを上げた。
まるで興奮状態の立てこもり犯の様だ。予想していた反応とだいぶ違うことに驚きを禁じ得ない。
てっきり、犯人の元の意識はもはや微塵も残っておらず聞く耳も持たないと思っていたが、今ならまだ穏便に済ませる事が出来るかもしれない。
一縷の望みに賭け、私は犯人に言葉を投げ掛ける。
「さっきも言ったが、FBIの捜査官だ。なぁ、俺と話をしないか?」
「は、話……?」
「ほら、この通り俺は武器を下げるから」
銃口を下げ、そのまま懐のホルスターに銃を仕舞って敵意が無い事を示すと、犯人は未だ怯えた様子ではあるものの、揺れていた視線はしっかりとこちらを向きはじめた。これなら俺の言葉に耳を傾けてくれるだろう。
しかし、その行動に異を唱える者がいた。
『何をしている背の君よ。何故あやつを攻撃しない?』
背後からアネットの囁きが聞こえたが、視線は魔人から外さない。
私はアネットの疑問に潜めた声で返答する。
「まだ話が通じるなら、やりようはある」
『吾には背の君が何を言っているのか理解できん。目的はあの小娘を助けることであろう? ならば何故あの魔人と話をする必要がある』
「いいから黙ってろ」
『……』
確かに私の目的はミシェルを救うことだが、それ即ち魔人を倒すことではない。
そして私の望みは『この街の人々を守ること』だ。
目の前の犯人は、まだ人間だ。
これ以上アネットと問答している時間はない。
私は彼女を黙らせ、再び犯人に意識を向ける。
「俺の名前はジョン。君の名前を教えてくれないか?」
「……マシュー」
「マシュー、教えてくれ。君はここで何をしているんだ?」
「僕は……僕は何を……そうだ……僕は、妻と娘を……失って……」
やはり犯人の目的――願いは死した家族を蘇らせる事の様だ。そして彼は魔人となったことで、その願いを彼に取り憑いたものに利用されているに過ぎない。
意識が元の彼である今なら、彼を殺さずにミシェルを救うことが出来るかもしれない。
「よく聞いてくれマシュー。君がもし亡くした家族のことを本当に想っているのなら、こんなことは今すぐ止めるんだ。誰かの犠牲で君の妻や娘が蘇ってもきっと彼女たちは喜ばないし、君がやろうとしている事では君の家族は決して戻って来ない」
「犠牲……誰が……?」
「そこに縛り付けられている俺の相棒、そしてこの街の人々だ。マシュー、君が今叶えようとしているのは君の本当の願いじゃない。君に取り憑いた悪霊に利用されているんだ。この街に災害をもたらそうとしている悪霊に」
「僕は、僕はただ……妻と娘を……」
「分かっているよ、マシュー。でも、君の為にもこんな事してはいけないんだ。代わりに俺が君の力になる。だから彼女を、ミシェルを解放してくれ」
頭を抱えて混乱している様子のマシューに出来るだけ優しく語り掛けながら、一歩ずつ、ゆっくりと彼に接近する。
危害を加えるつもりは無いが、日暮れまでの時間も迫っている。
確実にミシェルを救う為にも、そしてマシューの安全の為にも彼を拘束する必要があるのだ。転生術を解除する方法はその後に考える。
一歩、また一歩と歩み寄り、やがて彼との距離が五メートルまで迫ったとき、徐にマシューが口を開いた。
「僕は、一体……何をしたんだ?」
「大丈夫だ、君はまだ何もしていない。君が殺したのは君ではない君が作り出したホムンクルスだけだ。誰も殺してはいない。君は『魔女狩り事件』の犯人だが、決して殺人を犯したわけじゃないんだ。今ならまだ間に合う、だから――」
「魔女狩り?」
「魔女狩り」という単語を聞いた瞬間、マシューはびくりと身体を震わせ、そしてこちらをじっと見つめた。
先程の様に怯えた様子は無く、どこか吹っ切れた様に落ち着いている。
その姿に、私は些かの違和感を覚えた。
「……そうだ。だが君は人を殺していない。人型のホムンクルスを十字架に縛り付けて火炙りにしたが、魔造生命体は人間じゃない。でも彼女は、ミシェルは人間だ。このままでは、君は取り返しのつかない罪を犯してしまう。だから君の為にも、彼女を開放してくれ」
「……彼女は魔女ですか?」
「え?」
突拍子もない質問だったので、思わず聞き返してしまった。
なにせ質問の意図が全く意味不明だ。何故彼はそのような事を聞いたのだろうか。
マルコムによれば、ミシェルは生贄に見初められる程の魔力を有しているらしいが、『魔女』と称される程の力や知識は彼女に無い筈だ。
それどころか、恐らくミシェル本人は自身が魔力を持っていることにすら気付いていないだろう。これはミシェルに限らず殆どの人間に言えることであり、私の様にこの世界と関わらない限り自らの魔力に気付くことなく人生を終えるのだという。
そんな魔女についての知識を、魔人となるまで一般人だったであろうマシューが有している筈はないし、その正否を彼が知ったところで何がどうということもない筈だが、そもそもミシェルは魔女ではない。
答えは最初から決まっている。
「いや、ミシェルは魔女じゃない。だがそんな事を聞いてどうするんだ」
「魔女じゃない……では、確かめなければなりませんね」
「確かめる? いったい何を言って――」
先程までのたどたどしい物言いから打って変わり、流暢かつ丁寧な口調で語り出したマシューは、その視線を磔にされているミシェルに向ける。
そしていつの間にか、彼の右手には先端が鋭く尖った――凡そ四インチはありそうな――細長い釘の様なものが握られていた。
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