#6 - 突き刺し、貫く針

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 2  針を振り上げるマシューを目にした瞬間、脳内の警鐘が大音量で鳴り響いた私は、咄嗟に銃を取り出して声を張り上げた。 「止まれマシュー! 何をするつもりだ!」 「決まっているじゃないですか……『針刺し』ですよ。魔女ではないのなら、体の何処を刺しても痛みを感じるはずですが……もし魔女なら痛みを感じず血も出ない場所、悪魔の証があるはずです。それを探すのですよ……」 「さっきも言っただろ! 彼女は魔女じゃない! それに……君がそんな事をする必要はないだろ!」 「なにを言うのですか、ジョン。魔女かどうかを確かめるにはきちんと判別方法を実施しなくてはなりません。針刺し、水責め、ライ麦のケーキ……他にも方法はありますが、今すぐ出来るのはやはり針刺しでしょう。お誂え向きの針もありますし……あぁ、大丈夫ですよ。身体は部位で分ければ五十二箇所、直ぐに終わります……あぁ! いえ、いえいえいえ! 証は体表だけでなく内蔵や骨、体の内側にもあるかもしれません! そうなると内蔵は皮膚を貫き肉を裂いて奥まで突き刺し貫く必要がありますし、骨は細かく分類すれば二百種余り……これは時間が掛かりそうですねぇ。穢れた血が流れなくなるまで、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、耳障りな悲鳴が上がらなくなるまで刺して、刺して、刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して、魔女と分かるまで刺し続けなければなりませんねぇ……ふふ、ふふふふふ」  取り憑かれたかの様に呪詛の如き言葉をとめどなく紡ぎ、そして狂人の様に不気味に嗤い出すマシューを見て、私は確信した。直感ではなく、頭で理解した。  マシューの意識は、徐々に悪霊に飲み込まれていると。  いや、既に飲まれてしまった後なのかもしれない。  異常な程魔女狩りに固執し、ミシェルを害しようとするということは、もはや『生贄は五体満足でなければならない』という転生術の条件すら忘却して、己の欲を叶えようとしているからだ。  魔人ではなく、悪霊の願いを叶えようとしているのだ。  であれば私は彼を、魔人を止めなければならない。止めなければならないのだ。  私は回転式拳銃を握り直し、そして引鉄を強く引いた――。  耳を劈く乾いた音が黄昏に轟く。  だがマシューに傷はない。何故なら銃口は天に向けていたからだ。  そもそも熾烈弾を撃ち込むことが目的ではない。  轟音に反応したマシューの視線はこちらに向く。思惑通りだ。 「マシュー……いや、マシューに取り憑く悪魔。それ以上ミシェルに近付くな。それ以上近付けば……次はお前の頭に撃ち込む」  魔人は止めなければならない。警告など不要で今すぐ決着をつけるべき。  それは分かっている。 ――だが私は、ミシェルやこの街の人々だけでなく、目の前のマシューも助けたい。  何か方法はあるはずなのだ、彼を殺さずに済む方法が。  彼は悪魔に取り憑かれ哀れな魔人と成り果てたが、かつては彼も人間だったのだから。私達と同じ人間だったのだから。 「ジョン……ああ、同志ジョンよ……なぜあの女を、あの魔女を庇う……私と貴方、そして同志メアリーと共に、私達は穢れた魔女を狩って狩って狩って狩って狩り続けたではありませんか……今更何を戸惑う? 堕ちたのですか? 病んだのですか? 狂ったのですか? ああ……そうですか、そうなのですか……なんて、なんて悲しきことでしょう……かつての同志さえも穢れていたなんて……」 「同志だと? ふざけるな! お前と俺は違う――」 「いいえ、私達は紛れもなく同志でした、ジョン。でも……ええ、それも今は違う。なぜなら、なぜなら貴方も……」  私を惑わし、撹乱する妄言。そう判断して思考を止めることは容易い。  そもそも魔人の言葉は悪魔の言葉、耳を傾けること自体不毛であり時間の無駄だ。  だが目の前の魔人が語る言葉はどこか真に迫るというか、まるであたかも経験した事のか如く、過去の記憶を思い出し語るかの様な口ぶりだ。  そんな事はあり得ないと分かっている。  たった一つの共通点はあるが、私と彼はその成り立ちや願いまで根本的に違うのだから、決して同志ではない。  いや、この魔人の真意はそこじゃない。ふと、マルコムの言葉が脳裏を過る。 ――悪霊は自らの願いを叶えることに貪欲だ。  即ち、悪霊は自らの願いである『魔女狩り』を叶える為なら、事実を捻じ曲げて道理を覆すということだ。  魔女でない者も魔女に仕立て、魔女を狩ろうとしているのだ。  ミシェルだけではない。この街に住まう罪無き人々、そして――。 「貴方も魔女だったのだから――」 『背の君、後ろだ!』  アネットの叫びとほぼ同じタイミングで私は背後から迫る何かを察知し、咄嗟に上体を右に翻すが、直後に鋭い衝撃が左肩を襲う。  どうやら躱しきれなかった様だ。  衝撃と共に何かを裂く奇妙な音、そして体の中に異物が入り込む様な不快な感触を覚え、それが何なのかを頭で理解する間もなく、左肩に凄まじい激痛が走る。 「ぐぅぅうううううッ!?」  不意の激痛に耐え切れず、気付けば私は片膝を着き、喉は悲痛な叫びを上げていた。  熱い――左肩が焼けるように熱く、そして痛い。痛い。注射針を突き刺す痛みを数百倍にした様な痛みだ。  皮膚や筋肉を貫き、骨まで達している感覚、痛すぎて脳神経が焼き切れそうな錯覚まである。  一度体に銃弾を受けたことがあったが、それとはとても比べものにならない。  激痛と熱の感覚が脳内を繰り返し冒し続け正常な思考を妨げていく。痛い。熱い。痛い。熱い。痛い――。  呼吸が速くなる。軽いパニック状態だ。額から大量の汗が噴き出す。  何が起きているのか分からない――いや、落ち付け。よく考えろ、深く息を吸え。見ればすぐに分かるはずだ。  私は呼吸を整えてすぐさま自身の左肩に目をやり、そして激痛の原因を即座に理解した。  それは左肩から前方に突き出した、血に濡れた釘の様なものだった。  背後から衝撃があったので、恐らく背後から刺し貫かれたのだろうと首を傾けて肩の後ろを確認すれば、案の定その釘の様なもの――鉄パイプ並みの大きさと長さ――は左肩を貫通していた。  釘は幾本もの血管を破き、夥しい量の血がスーツに赤い大きな染みを作り、腕を伝って指先から地面に流れ落ちている。  神経や筋肉の腱もズタズタに引き裂かれているのだろう。左腕はピクリとも動かない。  咄嗟に上体を反らさなければ貫かれていたのは体の中心、肺や心臓などに刺さって致命傷となっていたかもしれない。  そして恐ろしいことに、釘はその半ばまで肩を刺し貫いている。  今の一瞬でこんなことが出来る人間はまずいない。さらに背後を確認すれば、そこには誰もいない。  この屋上に居るのは私と囚われのミシェル、そして目の前の魔人だけ。  つまりこれは魔人の仕業であり、そしてこの魔人が有する『悪魔の力』なのだろう。   「おや……背中を狙ったのですが、左肩に当たりましたか。いいでしょう、ではまず四肢から確認しましょうか。暴れられても面倒ですし、手足を刺し貫けばその後の確認も容易くなるでしょうからねぇ……いやぁ、針刺しはいつもドキドキしますねぇ!」 『針刺し』は魔女狩りの為の確認作業だが、こんな極太の針を貫通するまで突き刺す筈はない。当然刺すのは痛いだろうが、せいぜい外皮を刺して少し血が出るくらいだろう。  だが魔人となったことで『魔女狩り』に対する悪霊の歪んだ願いと魔力が融合し、「対象に針を突き刺す」という目的だけを体現した悪魔の力を行使することが出来るようになったのだ。  針の大きさが規格外というか、余りにも殺傷能力が高い事に関しては大いに文句を言いたいところだが、状況を受け入れて即座に対応するしかない。 「はぁ……はぁ……くそッ、魔女と疑ったら即かよ……見境無いのかお前ッ……!」 「いえ、いえいえいえ! 私はしっかり魔女と疑わしき者を選んでいます。しかし驚きましたねぇ……この街の人間は老若男女、皆が魔女と疑わしい。いや、皆が魔女と断言してもいいでしょう! しかし……これだけの人間を一人ずつ調べるのは骨が折る……そこで! 私思ったんですよぉ……大多数の者が魔女と分かっているのなら、もはや全部を調べる必要はないのではないかと。皆狩ってしまえばいいのではないかと。皆『火刑に処してしまえばいい』のではないかと!」 「だから大炎鷺を転生させて、街全部燃やすつもりかッ……ていうかやっぱり見境無いだろうが畜生!」 「安心してくださいよ。たとえ魔女でない者が居たとしても、いずれ魔女になる運命です。だって、こんな悪魔だらけの街に居るのですから! そして貴方が魔女であることをこの場で証明すれば、それ即ちこの街の男は皆魔女! 女は後ろの魔女が証明している! これで私は心置きなくこの街の魔女を狩ることが出来る! さぁ次はどこがいいですか? 反対の右肩? それとも左側から順番に? お望みなら両手足一辺に刺してもいいですよぉ……ふふ、ふふふ、ふふふふふひひひひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」  マシューだった者の狂人の如き笑声が響き渡る。  マルコムが語った火の悪魔――大炎鷺が転生してしまえば、この街は火の海と化すだろう。LA全体を燃やすことでこの街に住む人々全員を火炙りにすることが、この魔人の目的なのだ。  そしてその行為を正当化する為に、魔人は無茶苦茶な理論を宣った。理由はもはや後付けに近い。 『魔女狩り』という目的を果たす為だけの“いかれた”装置の様なものだ。  壊れているのではなくそういう機能なのだ、直すことなど最初から出来ないのだ。  私は歯を食いしばり、激痛に耐えて立ち上がると、再び銃口を魔人に向けた。既に手段を選ぶことはおろか、話を聞くことすら愚行だ。  この魔人は一刻も早く倒さなければならない。銃弾を撃ち込まなければならない。  でなければ、こちらがやられる。  しかし痛みに集中を阻害され、銃を握る右手が小刻みに震えて狙いが定まらない。  状況が違えば放射線状に放ってシリンダーに残る五発のうち一発だけでも当てることが出来ただろうが、今はそういう訳にもいかない。  何故なら――。 「おや……撃つのですか? その生まれたての小鹿の様に震える手で? ちゃんと狙えるのですか? もし外したら……後ろの魔女に当たるかもしれませんよぉ?」
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