#7 - 嵐の魔人

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#7 - 嵐の魔人

 1  かつて、その悪霊は『マシュー・ホプキンス』という殺人鬼に憧れた、ただの男だった。  誇れる名は無く、残された銘も無く、数百年前の男の思想と狂気に魅せられ、自身も同じ様に魔女を狩って富を得ようとした。  憧れた殺人鬼の様に『魔女狩り』と称して殺人を繰り返し、歴史にその名を刻もうとした。男の根底にあったのは世間に対する承認欲求と、自己顕示欲だった。  誇ることが出来る名前が欲しかった。  そして、憧れた思想を継ぐ存在となりたかった――そんな哀れな男だった。  男の願いが叶うことはなかった。  男の為した業は世間の目に触れることなく、記録にも残らず、男はただの異常な殺人者として音もなく処刑された。  男は願いと業と無念を抱いたまま地獄に落ちた。  その胸中で渦巻くのは認められなかったことに対する世間への怨讐と魔女を狩りたいという欲望、そして狂気。皮膚を剥がれ肉をそぎ落とされても、獄炎に身を焼かれても、氷獄に魂を貫かれても、その歪んだ想いが燻ることは無かった。  そして幾年月の果て、その心に宿る猛火を糧にして男は悪霊に成り果てた。  悪魔の習性か、はたまた何かの導きかは悪霊にも定かではなかったが、悪霊はLAという異常な街に導かれ、そこで偶然にもかつて憧れた殺人鬼と同じ名を持ち、強い願いを抱く男を見つけた。  悪霊はその男を唆し、家族を取り戻したいという純粋な願いの力を利用して、悪逆非道の魔人――魔女狩りの魔人と化した。  魔人の目的は当然「魔女を狩ること」だが、もはやその根源にあったかつての願いは忘却し、LAに住む人々を魔女と見做して全てを火の海に飲み込まんとする殺戮装置と成った。  目的はもうすぐ果たされようとしていた。  火の悪魔を導き、生贄を見つけ、転生の儀式から何まで全てのことが上手く運んでいた。 ――しかし、最後の最後で邪魔をする者が現れた。  魔人は怒りを覚えた。その者はかつて憧れた殺人鬼に付き従った者と全く同じ名前を持ちながら、魔人の邪魔をする異端であり魔女だったからだ。  されど魔人は歓喜した。  何故ならその邪魔者は魔人にとっては単なる獲物に過ぎなかったからだ。  加えて邪魔者は魔人を止めに来たと宣う割に話をしたがるという、余りにも悠長で不用心だった。あたかも元の人格が残っている様に振る舞い、そして欺くことは魔人にとって容易だった。  案の定、邪魔者は四肢と心臓への針刺しで為す術なく絶命した。  魔人の背後に転がる血まみれの死体は黙して赤い空を仰いでいる。  生前の悪霊ならばじっくりと針刺しを行うはずだったが、もはや悪霊にとって『魔女狩り』は楽しみではなく存在理由であり、火の悪魔の転生を何よりも優先しなければならなかった。  魔人は生贄に向き直り、そして嗤う。  もうすぐ、もうすぐ、もうすぐ、悪霊と成り果てた哀れな男の願いが果たされる。  魔人は喜びに打ち震えた。邪魔する者はもういない。  LAは火刑に処される――はずだった。 『やれやれ。背の君のお人好しは、もはや呆れを通り越して瞠目する。いや、この場合情けを掛けようとしたのは人ではく魔人故、魔人好しか?』  若い女の声が、魔人の背後から響き渡った。   聞こえる筈の無い声を耳にし、即座に振り返った魔人の目に映ったのは「少女」と称すべき姿を有する黒髪の女だった。  先程までどこにもいなかった筈のそれはまるで当たり前の如く死体の傍らに跪き、寄り添ってその死体に手を添えている。 『まぁそれが背の君の魅力の一つ故、今更どうこう言うつもりはない。愛しき背の君の為、この様に献身することもやぶさかではないのでな。むしろ頼られることはとても好い』  もはや一切言葉を返すことはない黙した死体に対し、黒髪の女は慈母の如く優しく語り掛ける。  そして魔女狩りの魔人は、女から人間でも悪魔でも魔人でもない、どれにも属さない不可解な気配を感じ取った。 『だが温情も慈悲もこれまで。なにより背の君を殺した者を快く許せる程、吾の懐は広くないのでな。今すぐにでもこの手でその首を捩じ切ってやりたい程には、吾のはらわたは煮えくり返っている。あぁ……斯様な心地はモトを前にした時とよく似ている』  死体に向けられた慈愛の念と平静を装う表情に対し、魔人に向けられたのは射殺さんばかりの鋭利な眼光と、そこに込められた圧倒的な殺意だった。 『狂気に溺れし哀れな悪霊よ、貴様は殺さねばならない。その身を引き裂いて一切の血と臓物を引き摺り出し、その魂を粉微塵に砕いて貴様の業を滅さねばならない――だが、残念ながらそれをするのは吾ではない』  魔人は驚愕した。  少女の姿を取る歪な存在、それが為そうとしている事に。  魔人は慄いた。  今度は偽りではない。失ったはずの心の底から恐怖に慄いたのだ。  魔人は問いかけずにはいられなかった。  凍てつく喉から必死に絞り出したその言葉を。 「貴女は……いや、お前は何だ!? 何をしようとしている!?」 『身の程を弁えろ下郎。これ以上貴様と語らう言葉は微塵も無し――と言いたいところだが、これは言霊に乗せて顕す必要があるのでな、特別に教えてやろう。これより行うは剔抉(てっけつ)だ』 「剔抉……?」 『そう、剔抉だ。貴様が殺した我が背の君の……いや、貴様が背の君にもたらした偽りの死を、吾は剔抉する』 「偽りの……死? 一体何を言って――」 『さぁ目覚めの時だ、背の君よ』  黒髪の女――アネットは魔人の言葉を遮り、言霊を紡ぐ。 『汝の冬は今、終わりを告げる。空を切り裂く雷鳴は陽明を呼び、大地を潤す慈雨は種子を芽吹かせる。そして汝の春は今、再び始まる。繰り返す汝の命に真の終わりはなく、汝の死は偽り也。故に、吾はその偽りを剔抉する』    死体に捧げた女の言霊、それを魔人が理解することは出来なかった。  一体何を示しているのか、女の言葉ではその真意が一切分からなかったのだ。  しかしこれから何が起こるのかを理解することは出来た。  何故なら、その真意が魔人の眼前に具現化されていたからだ。    アネットが寄り添い言霊を捧げた死体を中心に、赤い嵐が起きたのだ。    死体の周囲を何処からともなく現れた旋風が包み、その旋風は血溜まりを巻き上げて宙に浮かべ、そして旋風に導かれた小さな稲妻が宙に浮かぶ血を弾いた。  弾けた血は次々に死体へと注ぎ込まれ、やがて全ての血がその身体へ回帰する。その光景は明らかに超常的な現象であり、決して人が為せる技ではなく、人が理解できるものでもない。  紛れもなく、疑いようもなく、魔力の乱流がそこで発生していた。 ――直後、魔人の目の前で信じ難いことが起こる。 「な、な、何故……何故、なぜ、なぜ! なぜですか!? なぜなのですか!! なぜ生きているのですか!! あああ、貴方は今! 私の針で! 死んだ筈でしょう!?」  魔人は酷く狼狽した。  それは、自らの業で殺した筈だったからだ。  それは、自らの針でその心臓を刺し貫いた筈だったからだ。  それは、先程まで物言わぬ骸と成り果て、黙していた筈だったからだ。  それは、それまでただの人間だった筈だからだ。  そして――。 「そうでしょう!? ジョン!!」  魔女狩りの魔人の眼前には、嵐の魔人が立っていたからだ。
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