#8 - その笑顔の為に

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 2 「え、なんですか、急に」  突拍子も脈絡もない質問だった。思わず何かしらの良からぬ意図があるのではと勘ぐってしまう程に。 「いいから答えろよ」 「……もうすぐ三年になります。その前は四年程シカゴ市警の刑事局に」 「大卒か? 飛び級は?」 「俺の経歴書読んでないんですか? 別に頭は周りより少し良いぐらいだったんで、ジュニアスクールの頃から一段ずつ昇って、特に躓かず四年制大学を卒業しましたよ」 「ってことはお前さん、今年で三十路(オッサン)か。顔の割に意外と歳イってんな」 「人が気にしていることを無遠慮にズケズケと……で? 顔の割にオッサンの俺が十歳の頃からオッサンだった主任は、何が言いたいんですか?」  そう言い返すと、主任はオッサンらしく声を上げて笑った。  どんな軽口も豪快に笑い飛ばすのは彼の良いところだと思うが、その分デリカシーは欠片も無い。この世に完璧な人間は実在しないという事実の歩く証明だ。  一頻り笑ったあと、主任は話を続ける。 「捜査官になった時、それか刑事になった時でもいい。思い出してみろ、その時のお前さんはどうしてそこにいた?」 「どうしてって……そりゃあ、『人々を守る為』ですよ」 「その時、お前さんは普通の人間だった。そうだよな?」 「もちろん。俺はこの史上最高な街――悪魔だらけのLAで魔人になったんですから」 「それじゃあ、今のお前さんは何故ここにいる?」  質問の意図がよく分からない。  何故そんな愚問をサイモンは尋ねたのだろうか。  そんなもの答えは一つだ。 「決まっていますよ、『人々を守る為』です。あの時から……いや、きっともっと前から、俺の願いは変わってません」 『全て』なんて宣わない。『世界』なんて欲張らない。  目の前の、せめてこの街に住む人々だけでも守りたい。その願いを叶える為に私は魔人になったのだ。  それは死んでも変わることがなかった願いで、もしもその願いを諦めてしまった時、私は今度こそこの世から消え去るのだろう。  そんな確信があった。  しかし、人々を守るという願いを叶える為に魔人となった筈の私は、マシューを殺してしまった。彼を守ることが出来なかったのだ。  例え悪魔の力を得たところで、私には目の前の人間を救うことが出来ない――そういう事なのかもしれない。  ならば、私は一体何者になったのだろうか。  そんな私に価値はあるのだろうか。  私は、本当に『正しい選択』が出来ていたのだろうか。  思考を巡らせていると、主任は「おかしいな」と呟いて、わざとらしく首を傾げた。 「なら、お前さんが人間かどうかなんて関係無いだろ」 「……どういう意味ですか?」 「お前さんは自分が人間じゃあないから、その力を使ってミシェルを守るためにマシューを殺したことが許せないんだろ? でもな、俺からしてみれば『人質を撃ち殺そうとする容疑者をやむを得ず射殺する』こととそんなに大差ない。そしてその行為はこの国じゃ珍しくない。だがその根底にあるのは『誰かを守りたい』という願いで、それは人間だろうと魔人だろうと関係無いってことだ」 「つまり俺が魔人だろうと何だろうと、人々を守る為なら誰かを殺してしまっても仕方ない――そういう事ですか?」 「そうは言ってない。殺さないで済む方法があるなら死に物狂いで探すべきだ。そして、お前さんはマシューを救おうと必死に足掻いた。文字通り死ぬ程足掻いた。それだけ誰かを守る為に必死に足掻いて、それでも救えなかった人間がいたとして、一体誰がお前さんを咎めることが出来る? むしろ俺ならこう言ってやるさ。『よくやった』ってな」  そう言ってサイモンは私の肩に手を置いた。  分厚い彼の掌から伝わる熱には凡そ彼には似合わない思いやりが込められている様に感じて、それは不思議とどこか心地のよいものだった。  もしかすると、私は自分が為したことを誰かに理解して欲しかっただけなのかもしれない。  この街の人々は私が為したことを知らず、知る人間はエクスシアのエージェントしかおらず、達成感や罪の意識はひたすら私の中のみでぐるぐると渦巻いて、昇華することもままならなかった。  賞賛でも非難でも、どちらでも良かった。ただ答えを出せない自分の代わりに、誰かに答えを示して欲しかったのかもしれない。  そのうえで私は自分なりの答えを出したかったのだと、漸く分かった。 「ありがとうございます、主任……でも、やっぱり何か方法はあったんだと思います。何故なら、人間では守れない人達を守る為に、俺は魔人になったんですから」  恐らくこの罪悪感から逃れることは出来ないし、赤い本に『Smug Sting』の名が刻まれている限り、一日たりともこの事件を忘れることも出来ないだろう。毎夜魘うなされても可笑しくない。  しかし、だからこそ私はこの先、マシューの様な犠牲者を出さないという決意を胸に抱き、より『正しい選択』をすることが出来る筈だ。  それが彼への贖罪になると信じて。 「ま、お前さんがそう言うならもう何も言わんさ。それにその顔だと、少しは踏ん切りがついたみたいだしな。そんじゃ、次は報告書のレビューでもしてやるか!」  そう言ってサイモンはデスクの上から報告書をひったくり、頭からまじまじと眺め始めた。 「あ、ちょっと! まだ途中なんですから――」 「なになに……『事件は解決したものの、過程について未だ不可解な点がある。それは六体の魔造生命体の出所についてである』――なんだ、さっきからこれが気になってたのか?」 「気になるというか、俺が把握している情報だとマシュー……いえ、あの魔人がどこから魔造生命体を調達したのか、未だに分からないんですよ」  マルコムから聞いた話によれば、魔造生命体ホムンクルスは錬金術に長けた者か、悪魔の力が無ければ製造することが出来ないらしい。  その点、魔人は悪魔の力を使える為、例え元の人間が深淵なる知識に全く関わりのない一般人だったとしても魔造生命体の製造は可能と言えるだろう。  だがそれは、取り憑いた悪魔にその力があればの話だ。  私の力の一つ、『赤い本』には数多の悪魔や魔物の真名が記載されており、それらの能力や特徴、性格までもが事細かに記されている。  その情報は書に記された時点で私の脳に知識として刷り込まれ、実際に本を開いて読まずとも引き出すことが可能だ。  その知識を参照して『Smug Sting』を分析したのだが、ここで私は不可解な点を見つけた。  魔女狩りを願ったあの悪霊は、魔造生命体を製造する術を持ち合わせていなかったのだ。  奴が有するのは針刺しの能力と、魔女狩りに関する知識、そして火に連なる複数の悪魔の召喚に関する知識だけだった。つまり魔造生命体を製造する知識を持っているという情報は、どこにも無かったのである。  この疑問を昨日マルコムに呈したところ、 「件の悪霊が魔造生命体を製造することの出来る悪魔を召喚して、力を借りたのだろう。火に連なる悪魔の中にはそれが出来るものがいるかもしれない。残念ながらそれがどの悪魔と名指しすることは難しいし、これ以上は考えても不毛だろう」 という見解をもらったのだが、私は何故だかそれに対して、素直に納得することが出来なかった。 「エクスシアの本部長にも話を聞いてみたんですが、あまりはっきりとした事は分からなくて、ただどうしても何か引っ掛かるというか……」 「……なるほどな」  深淵なる知識の神髄を理解するマルコムの意見が間違っているというのは、とても考え難い。  実際私達が知り得ない悪魔は星の数ほどいるらしいので、悪霊が呼び出した悪魔を特定することは難しいのだろう。  しかし、そもそも悪霊が欲していたのは『魔力を持つ人型』であって、それは人間でも良かった筈だ。わざわざ他の悪魔を呼び出して魔造生命体を製造させるより、このLAに住む人々から探すことの方が手っ取り早いし、その方があの悪霊らしい。  私には刑事の勘など無いが、どうしても何か他の要因というか、この件に関しては別の何か、それこそ第三者の介入でもあったのではと飛躍した推測すらしてしまう。  解決した事件ではあるし、考え過ぎと言われてしまえばそれまでかもしれないが、せめて報告書が完成するまではこの事件について余すことなく考えようと思い至り、拙い推理を脳内で展開していたのだ。 「ま、あのマルコムが言うなら、お前さんがそれ以上考える必要は無いんだろうよ。つーわけで、そこは適当でいいぞ。報告書に一日掛けるわけにもいかんだろうしな」  ただし、そんな私の努力を主任が理解してくれる筈もなかった。  私は思わず肩を落とした。 「悩んでたこの小一時間返してくださいよ……主任が言うなら別にいいですけど」 「おう、出来たら俺のデスクに置いておいてくれ。俺は管理課に行ってくる」 「定例会ですか? 明らかに厄介な仕事持って来るのだけは勘弁して下さいよ?」 「それは悪魔共に言ってくれ」  口元を歪めながらそう言い残し、サイモンはマグカップを携えたまま超常課を後にした。  ただでさえ人員が少ないのだから、出来れば私だけで対処できそうな仕事を見繕ってきてほしいものだが、そうも言えないのが超常課の悲しい実情である。  おまけに漸く緩和されるはずだった人員不足は、新しく配属されたミシェルが検査入院中の為に延長。予定では本日退院だが、さすがに今日は大事を取って自宅にいることだろう。  迫りくる厄介事の気配に胃を締め付けられつつ、現実逃避の役割も兼ねて再び自らの行いを顧みることにした。 「……本当に、何か方法は無かったんだろうか」 『なんだ背の君よ、まだその事について悔やんでいたのか?』
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