幕間 - 結末を刻むもの

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幕間 - 結末を刻むもの

 マルコム・サミュエル・レイスコット・イオ・バレンタイン――秘密結社エクスシアの本部長である彼の居城は、LA屈指の高層ビル『セントラル・オブザーバー』の地下深くに築かれた。  その空間は階数にして七十二、地上から凡そ六〇〇フィートの深度を持つ。  天井には天使の像を模ったステンドグラス、壁には数百万もの蔵書が一面に敷き詰められており、その形容を一言で表すなら巨大図書館だ。  マルコムはその図書館に籠り、蔵書の中から書物を一つ選んでは執務机で日長一日それを読みふけっている。  しかし、彼がその本の内容を覚えることはない。その本にどんな内容が記載されているのかを記憶するだけに留めている。  その理由は、彼が「書物の真の役割は知識を記録することであって知識を伝えることではない」という持論を掲げているからだ。でなければ書として残す必要はないのだという。  そんな彼がエクスシアとしての仕事をしない時、つまりオフの際の日課としていることが読書の他にもう一つある。  それはエクスシアのエージェント達の活動を記録することだ。  マルコムにとって彼等はとても興味深い存在であり、彼は自身が観測した範囲でそれらの情報を書物に纏めている。  そして今日も、マルコムはとあるエージェントの記録を書物に記していた。  表紙に記載された名前は『ジョン・E・オルブライト』――記録している内容は『魔女狩り事件』の一部始終だ。  一度筆が動けば、あとは彼の頭にある情報がそこに全て記載されるまで片時も止まらない。  その間彼はひと時も目を離さず、ひたすら記録を残すことに集中する。尋常ではないマルコムの集中力と思考力が為せる技だ。  その様な力を容易く扱うものだから、彼が自身の携帯電話のコール音に気付くまでは数分を要した。  たとえそれに気付いたとしても、執筆中は滅多なことが無い限り電話に出ない彼だが、ある相手については別だった。  マルコムはきりが良いところで筆を休め、指先で液晶画面の通話マークを押す。 「やぁ、サイモン。君が掛けてくるとは珍しい。元気だったかな?」 『よぉ、マルコム本部長。あんたがジョンを鍛えてくれているおかげで仕事はだいぶ楽になった。ちょっと聞きたいことがあるんだが、いいか?』  久しい通話相手であるサイモンとの会話に胸を高鳴らせつつ、しかし普段の彼には無い緊張感を声色から感じ取ったマルコムは、僅かに目を細める。 「いいだろう。何かね?」 『単刀直入に聞くぞ。今回の事件、黒幕はあんただろ?』  その問いにマルコムは思わず口の端を吊り上げた。  FBIの一課主任に犯人と疑われ、動揺することはおろか愉快そうに笑みを浮かべる彼の神経の図太さは、もはや人外級と言っても過言ではないだろう。  しかし彼が笑みを浮かべる理由は、サイモンの発言が的外れだったからではない。  寧ろその逆だったからだ。   「もう少しぼかして聞いてくると思ったが、やはり君との会話は楽しいな。それでは、その結論に至った理由を聞こうか」 『先に言っておくが、黒幕とは言ったものの別にあんたが真犯人だとは思っていない。だが、容疑者の行動は把握していたんじゃあないかとは思っている。理由はジョンが疑問に挙げたホムンクルスについてだ。あれは、あんたが用意したんじゃあないか?』 「根拠は?」 『一つは、ジョンから聞いた魔造生命体に関する知識が、全てあんたから聞いた知識だったってことだ。ジョンは用心深いやつだが、未知の知識については鵜呑みにする傾向があるからな。あんたが適当な事を吹き込んだんじゃあないかと思った』  清々しいサイモンの物言いに、マルコムは笑声を漏らした。  最早言いがかりレベルの疑念を向けられたにも関わらず、それを心地良いと感じて嬉しくなってしまうのがこのマルコム・バレンタインという人物なのだ。  マルコムは一つ咳払いをしてから、わざとらしい口調で答えた。 「いや失敬――うーむ、どうだったかなぁ……ジョンにどう話したかはあまりよく憶えていないな。なにせどうでもよい事だったものでね。で、他には?」 『二つめは容疑者とジョン以外、死傷者がいなかったってことだ。魔人の行動は予測不能で、大抵の場合魔人犯罪では何人か死傷者が出る。だがあんたが魔人の行動を把握していたなら話は別だ。その辺はゲヘナを見りゃあ分かるんだろ?』 「なるほど、良い着眼点だ。どちらも私なら可能だからね。しかし私には動機が無い。その点はどう説明する?」 『動機ならある。ジョンだ』  サイモンの推理にマルコムは舌を巻く。  今日の彼はいつも以上に冴え渡っていると感じつつ、マルコムは次のサイモンの言葉を沈黙で促した。 『あんたが魔人と悪魔に興味を持っているのはよく知っている。特にジョンは新しい魔人で、連邦捜査局の捜査官とエクスシアのエージェントを掛け持つ特殊な奴だ。あんたの良い観察対象になるのは必然ってやつさ。そしてあんたは容疑者とジョンが対峙する状況を整え、あいつがどう行動するのかを見たかったんじゃあないか?』 「つまり、私はジョンを観察する為だけに、現代の錬金術師が数年掛けて漸く一体作成できる魔造生命体を態々六体も用意し、それらをサウスLAの路地裏に放置したと。君達と共にこの街を守護するエクスシアの本部長が、街や人々にとって何の利益にもならない事を私利私欲で行ったと。君はそう言いたいのだね?」 『あんたのことだ、犯人が魔法陣を作る為に人間を殺害することを危惧して、スケープゴートの為に魔造生命体を用意したんだろ。あんたにとってどれ程の手間なのかは知らないが、それは街の人間を守ると同時に、悪魔が喜びそうな事を阻止するという名目をつける絶好の手段だった。違うか?』 「ふむ……些か強引な推理だが、まぁ良いだろう。その通り、確かに私は魔造生命体を用意し、それを転生陣の魔力点とさせる為にくれてやった。だがそれは君が言う通り、私がこの街の人々の為を想ってやった事だ。そこに私欲は無いし、ましてや我等がジョンが戦い、苦しみ、そして死ぬ様を見る為にやった事ではないよ」 『あぁ、そりゃあ嘘だな』  恐ろしく素早いサイモンの切り返しに、マルコムは喉まで出かかった衝動を辛うじて引き留めた。  ここで爆発させてしまってはこの楽しい会話が終わってしまう。  それはつまらない。  そう思い必死に堪えるマルコムは、静かに訊ねる。 「……何故そう思うのかね」 『だってあんた、人間に興味無いだろ』 「ぶっ! あっはっはっはっはっは!!」  しかし彼の必死の努力は報われず、清々しい程の爆笑が巨大図書館に響き渡った。  余りにもサイモンが彼の事をよく知っていたが故に、完璧に核心を突かれたマルコムは愉快さが頂天に達してしまい、轟く笑いによって「我欲の為にジョンと容疑者を戦わせた事実」と「人々のことはどうでもよいという思考」を認め、黒幕であることを自ずから明かすこととなったのだ。  ひとしきり笑ったマルコムは昂った感情を宥め、もうすぐ楽しい会話を終わりにしなければならない事実を非常に残念に思いながらも、サイモンが求める答えを自ら紡ぐことにした。 「はぁ。そう、その通り。私はこの街に現れた魔人とジョンが対峙した時、彼がどの様な選択をするのか見たかったのだよ。まぁ概ね期待通りというか、彼が悪魔の力を使って魔人を圧倒し、大炎鷺の転生を阻止するところまでは予想通りだったがね」 『……もしもあいつが魔人の目的を阻止できなかった時は、どうするつもりだったんだ?』 「ジョンが自らの選択を違える未来は正直想像出来なかったが、まぁその時は私がどうにかしたさ。失敗していたとしても、彼の新しい相棒が死んでいただけだろう」 『……そうか』 「それで? 身勝手な私を責めるかね?」 『いいや。寧ろあんたは街への被害を最小限にしてくれたと言ってもいい。その点については感謝するべきだとも思っている。ジョンの扱いも、半分はあいつが望んだことだ。本当の意味で死なない限りは、これからもあんたの自由にすればいい。だが、一つだけ言っておくことがある』 「聞こう」  直後、マルコムは端末の向こう側で一拍置いたサイモンの息遣いに、更なる圧を感じ取った。 『今度超常課の人間をあんたの遊びに巻き込んでみろ。そん時ゃ、たとえあんただろうとブタ箱にぶち込む』 「あぁ……なるほどなるほど。ミシェル・レヴィンズはただの人間だったな、うむ。超常課の捜査官とはいえ、よくよく考えれば彼女も我々が守るべき対象だ。次からは気を付けよう」 『……あんたが前主任にしたこと、俺は憶えているからな』 「ふむ。肝に銘じておこう」  マルコムは特別圧が込められたその忠告に反論することもなく、自らの非を認めて受け入れた。  それは彼にとってさして重要なことではなく、寧ろ心底どうでもいいことだったからだ。 『話はそれだけだ。仕事中に邪魔したな』 「なに、君からの電話ならいつでも歓迎――」  次にマルコムが耳にしたのは、通話先が不在であることを示す単調なビープ音だった。サイモンが一方的に通話を切ったのだ。  愉快な会話の唐突な終わりを嘆きつつ、マルコムは再び筆を取る。   書の上を走る筆は素早く、ジョンという一人の魔人の記録が刻まれていく。  最早その動きは脳から伝達される情報を右手に出力するだけ、そこに彼の意識はほぼ存在しない。  それだけ人間とは乖離した頭の構造をしているのが、マルコム・バレンタインだった。  ふと先程の会話がマルコムの脳内で反芻し、そしてサイモンに語ることは無かった言葉が、その口から溢れだす。 「世界を満たせし天使も、世界を握せし悪魔も、全ては大海に帰す運命だが、その記憶は大地に刻まれる。しかし幾万の人が失せど、世界は廻る。人など所詮、大海に湧く気泡――矮小な人の生など刻むに値しないのだよ、サイモン」  書に刻まれる文字とは全く関わりない言の葉が、マルコムの口から止め処なく溢れる。  それは嘲笑う様に、あるいは嘆く様に。  筆を握る右手はひたすら書に即した記録を刻み続け、そして数分掛けて漸く今回の事件の分を書き走った。  刻んだそれらを見返すマルコムは、まるで夢物語を語り聞く童子の如く心躍らせる。   「その身に偉大なる王を宿し、嵐の魔人たる君がこの街で何を見て、何を選び、何を為すのか……君の全て、その可能性を我がレメゲトンの一頁にする日が、楽しみで楽しみで堪らない。堪らないのだよ……あぁ、とても楽しみだよ、ジョン……」  マルコムは笑い、そして紡ぐ。  誰の耳にも届かず、ただ虚空に消える言霊だが、この世の何よりも強い意志を孕んだ言霊だった。  それは彼の願望であり、生きる目的であり、そして彼の全てだ。 「君の結末を刻む、その時が」  煌々たる明日に想いを馳せ、知識欲の化身は静かに書を閉じた。  結末を刻むもの 完  Case.2に続く
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