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#2 ‐ ファースト・ステップ
#2 ‐ ファースト・ステップ
1
早朝のFBI‐LA支部は閑散としている。
オペレーターなど内勤を除いた大半の捜査官は事件捜査の為に現場へ直行し、一般的なオフィスワーカーの様に毎朝決まった時間に支部へ向かう者が少ないからだ。
特にこの五月と六月を跨ぐ時期は春の陽気に当てられて気分が高揚するのか、例年犯罪件数が前シーズンから激増する頃でもある。
かくいう私も、いつもなら自分の担当事件の捜査に向かうか、LA支部が抱えるいくつかの事件捜査の応援に向かうのだが、先日まで私が担当していた事件は解決したうえに直属の上司に招集を掛けられてしまえば、何よりもまずはこちらを優先するしかない。
しかし、これには一つ個人的に懸念すべき点がある。それは今まで我等が主任チーフの呼び出しから始まる案件が、どれも碌でもないものばかりだった点についてである。
心身の安寧を守らんとするなら今すぐ引き返すのが吉なのだろうが、もしかしたら今回はまともな事件かもしれない――そんな淡い期待を抱いてしまうあたりお人好しというか、その点における学習能力の低さには自分でも呆れてしまう。
それでも、例え怪物的恐怖や悪魔的狂気が雁首そろえて待ち受けていたとしても、そこに救うべき命があるなら、私は臆することなく飛び込むことだろう。
それが私達連邦捜査局の仕事であり、そして私の性分だ。
無駄だと理解しつつも、招集の理由を可能な限り良い方向に想像しながら廊下を進んでいると、気付いた時には『超常犯罪捜査課』のワークエリアに辿り着いていた。
超常犯罪捜査課――通称、超常課――は、私が所属する連邦捜査局の一課であり、一般的に異常犯罪と称される犯罪をさらに超える特殊なケース、呼称にして『超常犯罪』を取り扱う極めて異質な課である。
エリアの境となる半透明ガラス壁から中を窺うと、その向こう側にはマグカップ片手に雑誌をめくる一人の男の姿があった。
いつもの様に海釣りのハウツー本でも眺めながら、支部の泥水とにかく薄い珈琲を啜っているのだろう。などと憶測をしながら様子を窺っていると、向こうもこちらに気付き手を振ってきたので、半ば諦め気味にガラス扉を開けた。
「お待たせしました、チーフ」
「おう。朝っぱらから呼び出してすまんな」
私を待ち構えていたのは灰色髪の中年男、我等が超常課の主任、サイモン・ジョージウーである。
その彫り深い顔に嫌味なほど爽やかな笑みを作るサイモンは、雑誌を机上に放り捨てるやいなやいつもの決まり文句、全く謝意が込められていない「呼び出してすまんな」で楽しい楽しいトークのオープニングを飾った。
やはり、いつも通り厄介な事件を彼は抱えているのだろう。もはや逃れる手立てはない。
私は早々に覚悟を決め、話の続きを促すことにした。
「構いませんよ。早速話を聞かせてもらってもいいですか?」
「ああ、話が早くて助かるぞジョン。お前さんには『ある事件』の調査をしてもらいたい。まずはこいつにざっと目を通してくれ」
主任から手渡されたのは、その『ある事件』の内容をファイリングしたらしき調査資料の束だ。
超常事件捜査課に回される事件の大半はLA市警捜査本部や連邦捜査局の他の課で一旦調査が行われ、それでも全く進展が無かった特殊かつ難解と判断されたものだ。
よって一般的な手順を踏んで捜査が行われた事件であれば、我々が調査に取り掛かる前に調査資料としてある程度の情報をまとめているケースが多い。この資料も同様だろう。
そして、私は資料の中身を見るまでもなくこの事件が超常犯罪であることを、資料の表紙に記載された事件の名称から理解した。
「『Witch Hunt(魔女狩り)』ですか……」
「対外用の呼称は『サウスLA女性焼殺事件』だ。詳しいことは中身を読んでほしいんだが、とりあえず概要を口頭で説明する」
サイモンはマグカップを満たす黒い汁を一口啜って渇きを潤すと、手元のメモを読み上げる。
「一昨夜の午前二時頃、サウスLAの路地裏でボヤ騒ぎの通報を受けた消防隊が、女性の焼死体を発見した。発見時、その死体は十字架に見立てられた木材に身体と両手足を縛り付けられ、磔にされていた。その光景がまるで中世ヨーロッパにあった『火あぶりの刑』の様だったらしい」
「なるほど、それで『魔女狩り』ですか。でも聞いた限りなら、超常課うちより特捜課か行動分析課の方で調べる余地がありそうですけど……どうせ聞いた限り以外の理由があるんですよね」
超常課に事件が回って来ている時点で、我々が解決する以外にこの事件の行き場がない事は分かっているが、念の為の確認――最後の足掻きとも言う――というやつだ。
溜息混じりに尋ねると、サイモンは重々しく頷いた。
「確かに、これだけならただの異常犯罪扱いだろうな。だがこの焼死体は全部で六体発見され、それぞれが全く別の場所でほぼ同時刻に犯行が行われたという調査結果が出た」
「複数犯だとしてもその数は異常ですね。それに十字架に磔で火あぶり……組織的犯行のうえ宗教的意図がある様にも思えます」
「その見解で行動分析課も調査しようとしたんだが……まあ残りの理由は移動中に資料を読んでくれ。それに、お前さんなら直接見れば判断できるだろ?」
「俺の能力を買ってくれるのは大変嬉しいんですが、それを理由にほいほい事件を抱えるのは勘弁して欲しいんですけど」
私の苦言にサイモンは「善処する」と、これまた憎らしいほど爽やかな笑顔で返した。
彼が私に寄せている信頼というのは、主に私の知覚についてだ。私の知覚は普通の人間のそれと異なり、『あるもの』の感知に長けている。これは先の一件で意図せず獲得した感覚であり、相対した事件が超常犯罪か否かを判断することについて大いに役立っている。
ただ、その時のことはあまり思い出したくないので、経緯については割愛する。何を感知できるかについてもいずれ分かることなので、説明も省く。
それはさて置き、私はこの上司に期待されることをあまり好ましく思っていない。いや、むしろ期待されること自体にかなり抵抗があり、途端に嫌な予感がする程だ。
その理由は、主任が私に頼るという行為自体が、この件やそれに付随した何かについて完全に『丸投げ』しようとしているのだと知っているからだ。
「さ、特に質問が無いなら早速現場に向かってくれ。バディを待たせる訳にもいかんだろ」
「了解で……今、バディって言いましたか? 何ですかそれ? いや、そんな『お前何言ってんだ』みたいな顔されても俺初耳なんですけど」
「ああ、そういやお前さんにはまだ言ってなかったか。今日から超常課うちに新しい捜査官が配属されることになった。名前はミシェル・レヴィンズ。つまりお前さんの後輩で、相棒(バディ)だ」
早速主任の必殺技『丸投げ』が炸裂し、クリーンヒットした私は頭を抱えた。
私に後輩が出来る。しかもそれが相棒だという。ならば予め私宛に通達があるべきだと思うのだが、新人の配属などこれまで一言も聞いていない。
連絡体制や支部のルール、その他作業マニュアルなどの説明には準備が必要だというのに、こんな直前で伝えられては何も出来ない。こればっかりは主任の職務怠慢を訴えても良いのではないだろうか。
とはいえ、これについては私が後々苦労するだけだし、過ぎた事についてこれ以上言及するつもりはない。
一番の問題は「この場に件の新人がいない」ということだ。
「し、新人の配属については百歩譲って、今通達されたということで納得しましょう……で、その新人は今どこに?」
「色々説明が面倒だったからお前さんにやってもらおうと思ってな、先に向かってもらった」
「どこへ?」
「現場」
「サノバ○ッチ!」
私はデスクの無線をひったくる様に掴み取り、直ぐさま荷物をまとめて駆け出す。
新人を配属初日に、しかも一人だけで超常犯罪の現場に向かわせるとか、いったい何を考えているんだこのオッサンは。
とりあえずぱっと思いついた罵声を飛ばして、その場を後にしようとすると、「ああそれから」とサイモンに呼び止められた。この期に及んでまだ何かあるというのか。
「なんですか」
「アネットは元気か?」
突き抜けて爽やかな笑顔で投げられたその質問に、私は一瞬言葉を詰まらせた。
これだ。これが彼の一番嫌なところだ。挨拶感覚で人の傷を抉ってくる。
当然意図した発言である。なぜなら彼は『先の件』について一部始終を知っているからだ。
しかしこんな時の為にジョークの練習を欠かさなかった甲斐あってか、一拍置いた次の瞬間には口が動いていた。
「ええ、お陰様で昨夜は寝かせてくれませんでしたよ。よければ一晩どうですか? 二秒で昇天できますよ」
そう吐き捨ててワークエリアを後にした。しばらくサイモンの高笑いがオフィスに木霊していたことは言うまでもない。
本当に出来るなら、宛らエスコート出張娼婦の如く今夜にでもアネットという名の死を彼の家に派遣してやりたいところだが、実際は物理的に不可能なうえそもそも本人が快諾してくれないだろう。
――「吾と同衾してくれたことなど一度もないだろう」って?
だからジョークだというのに。おいやめろ。内腿を撫でるのはやめろ。別に誘っていない。
私は太腿のあたりを手で払い、背後から繰り返し放たれる誘惑の囁きを強靭な意志でシャットアウトすると、ビルを出て早々にタクシーへと乗り込んだ。
新人がいつどこから現場に向かったのかは分からないが、到着の有無を問わず一刻も早く合流しなければならない。
でなければ、まだ見ぬ私の相棒が、配属初日に殉職するかもしれないのだから。
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