#3 ‐ 熾烈弾

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#3 ‐ 熾烈弾

 1  右手のグロックが乾いた音を三度、路地裏に響かせる。  次の瞬間には、こちらに鋭利な爪を向けて躙り寄る三体の奇怪な人型――血色の悪魔達の眉間に風穴が開いていた。  悪魔達は風通しが良くなった額から赤黒い液体を噴水の如く噴き出し、そのまま私達まで辿り着くことなくコンクリートの地面に倒れ伏す。  その光景を目にした私は、『悪魔』という存在が思いのほか脆いことを思い出す。 『悪魔』――その存在の種は昆虫や魚類といった分類ぐらい様々であり、大きさや姿形、能力、性格、危険性など似通ったものがあったとしても全く同じものは存在しない。  生き物図鑑の様に有名な悪魔は聖書や魔導書に記載されていることもあれば、全く記録が無い悪魔も存在する。  例えば、たった今私達の前で倒れ伏した三体の悪魔、奴等は私の知人が『鷹爪の悪魔(レッドペッパーズ)』と名付けた最下級悪魔の一種であり、書物に記録はない。  知人曰く、名前の由来は彼らの外見的特徴が、赤黒い体と両手足に備えた鷹の様に鋭い爪以外に無いからだそうだ。  知人の絶滅的ネーミングセンスはさておき、名前を持つ悪魔というのは良く知られているという共通点を省けば、二通りに分けられる。  強大な力を有するか、あるいはその逆のどちらかだ。そして鷹爪の悪魔は後者に当たる。  奴等が我々に対して為せるのは、自慢の鉤爪を振り回すことだけだ。視覚や嗅覚は存在せず、空気の振動を聴覚ではなく触覚で察知して周囲を把握しているらしく、大きな音を出さなければ私達が側に居ても全く気付かないこともある。  恐怖心を煽るその姿に臆せず、物音を立てず冷静に対処すれば手こずることはない相手だ。  しかし、今回はミシェルの悲鳴を感知して既にこちらに気付いてしまったので、奇襲は出来なかった。  さすがに複数体の鷹爪の悪魔に囲まれてしまえば、非力な私なぞはその爪で全身を引き裂かれてしまう。生憎、近接戦闘用の武器は持ち合わせていないので、接近戦は避けなければならない。  ではどうするかというと、飛び道具を使うのだ。  奴等は超常の存在でありながら人並みに体が脆く、弾丸を一発急所に撃ち込むだけで容易に倒すことが出来る。遠距離からの射撃が最も有効な対処方法なのである。 「やった……んですか……?」  隣で一部始終を見ていたミシェルが、恐る恐るそう尋ねた。  奴等を仕留められたかどうかを尋ねたのだろう。私のジャケットの裾を摘みながらこちらを窺う姿はなんとも子供らしく庇護欲を掻き立てられるが、それを本人に言えば風船の様に頬を膨らませてしまうだろうか。  想像して口角が吊り上がりそうになるが、そんな場違いなことを考えている暇など無い。  まだ、笑えるほど状況は良くなっていないのだから。 「あ、あの、ジョンさん、今の赤いのはいったい――」 「静かに。まだ終わっていない」 「え?」  私は唇許に指を立てるサインでミシェルの口を閉じさせ、その指先で鷹爪の悪魔を指し示す。  すると、倒れ伏す悪魔達はまるで気をてらっていたかの如くその身体をぐちゃぐちゃと崩しはじめ、それまで確たる形を持っていた赤黒の身体は液状まで溶け、地面に血溜まりを残して消えた。  その光景にも得体の知れない恐ろしさを覚えるだろうが、少なくともこの場から悪魔が消えたことに一先ずは安心するかもしれない。  しかし本番はここからだ。  悪魔達が地面に溶けた場所から数メートル離れた場所、そこには未だ闇の渦ゲートが顕在していた。そしてその渦からは、先程溶けて消えたはずの悪魔の赤黒い腕が這い出している。もはや次の光景は予想できることだろう。  程なくして、私達の前には再び三体の悪魔達が姿を現した。  鷹爪の悪魔の様な矮小な悪魔達には『物理的な死』という概念が存在しない。つまり何度頭に風穴を開けられようと、何度その身を切り刻まれようと、現界する力さえあれば同じ姿で何度でも現れるのだ。  それこそリスポーンするゲームエネミーの如く。 「ま、また出っ――」 「声を出すな。奴等は目が見えない代わりに音には敏感だ、俺が良いと言うまで物音を立てるな。それとどこか物陰に隠れていてくれ」  潜めた声で説明すると、ミシェルは直ぐさま両手で口を押さえながらブンブンと何度も首を縦に振り、足音を立てず後方の自販機の陰に向かって行った。  素直で良い子、もとい良い相棒だ。  私は自動式拳銃グロックを腰のホルスターに戻し、代わりに胸部のホルスターから回転式拳銃コルト・パイソンを取り出す。  銃身に真鍮の王冠模様の装飾クラウンフレームが施された、凝り性職人の特別性だ。そしてジャケットの内ポケットからは銀色の弾丸を一つ取り出し、その一発のみを空のシリンダーに装填して回転させる。  ここまでの私の行動に誰しもが疑問を抱くことだろう。  なぜグロックをコルトに持ち換えたのか、そもそもなぜ二丁も拳銃を所持しているのか、さらにはなぜ悪魔達三体に対して弾丸を一発しか装填しないのか、など。  それらの答えは至極単純であり、奴等に対処する為に必要なものがこの弾丸一発だけだからだ。先程グロックを使ったのは距離を稼ぐ為、本命はこちらだ。  未だ私達に気付かず闇の渦の周囲を彷徨う鷹爪の悪魔の一体に、コルトの口を向けて重い引鉄を力強く引く。  撃鉄が倒されたことを合図に、金属の絶叫を上げて一発の弾丸が飛び出した。直進する弾丸は吸い込まれる様にして悪魔の額に着弾、そのまま貫通する。  再び悪魔の額には風穴が空いたわけだが、これでは先程と全く同じ光景であり結果も想像できるだろう。  しかし、それはただの弾丸であればの話だ。 ――着弾の直後、耳を劈く咆哮が轟いた。  咆哮は三体の悪魔達が一斉に発したものだった。  弾丸を撃ち込まれた一体だけでなく、他の二体も全く同じ様に金切り声を上げている。  口の無い奴等がその声をどこから出しているのかは不思議でならないが、三体はまるで額を撃ち抜かれた一体と感覚を共有しているかの如く揃って頭部を手で押さえ、地面に転がりのたうち回っているのだ。  グロックの時の様に音もなく倒れ伏して消えるのとは違い、まるで激痛に苦しむ人間の様だ。  その原因は当然、私が奴等の一体に撃ち込んだ一発の弾丸にある。 『「熾烈なる真鍮の礫、肉を削ぎ血を固める」――だったか? 相変わらずあやつが寄越すものは便利だな、背の君よ』  にやけ面を浮かべていそうなアネットの囁きが、耳元で聞こえた。  彼女が語った一節は私が撃ち込んだ弾丸を表す詩、それが示す通り悪魔の肉体を破ってその中に巡る奴等の「血を固める」ことが出来る。  弾丸の銘は『熾烈弾』。  この「血を固める」とは血の流れを止める、即ちあちら側幽世から闇の渦を通して供給される力の「流れを絶つ」という意味であり、これを絶つことで悪魔達は現界する力を失う。よって奴等はこちら側現世から消滅するのだ。  しかも熾烈弾が影響を及ぼすのは接触した『血という概念』に対してであり、同一の個の群衆である最下級悪魔達全てに対して有効だという。  つまり奴等のうちの一体に一発撃ち込みさえすれば、一網打尽に出来るのである。  物理的な死の概念が存在しない奴等を幽世に還す為の、最も効果的な手段ということだ。  この弾丸を寄越した知人からは「体を巡る血が固まればやがて死に至るのと同じ原理だ」と説明を受けたことがあったが、一発だけで複数の悪魔達に作用する原理については魔力とか魔術とかその辺りの深淵なる知識が絡んでくる所為か、未だに私の頭では理解出来ていない。  のたうち回っていた三体の悪魔達はいつの間にか電流を流された様に全身を痙攣させており、やがてぴたりと動きを止めた直後――破裂した。  さしずめ膨らまし過ぎた水風船の如く悪魔達の全身は弾け飛び、原型も残さず、耐え難い腐臭を伴う赤黒い液体を撒き散らして完全に消滅したのだ。立ち上がる腐臭でむせてしまいそうだ。  距離を取らずに熾烈弾を使っていたならば、私達は奴等の酷く臭う血を頭から被っていたことだろう。  最高の一日になっていたことは間違いない。今度からは帽子でも用意しておいた方が良いかもしれない。  撒き散らされた血溜まりを避けながら悪魔達の発生源まで歩み寄ると、そこにあったはずの闇の渦は既に消えていた。  これも熾烈弾の「流れを絶つ」力が作用した結果であり、これで奴等がこの場所から発生する事は無くなった。一先ず危機が去り肩の力を抜くが、同時にある疑念が私の脳内を埋め尽くす。  何故、悪魔達はこの場所に現れたのか――。  悪魔達が通る闇の渦ゲートは霊的エネルギーが濃い場所に出現しやすく、女性が火あぶりにされ殺害されたこの事件現場は、まさにうってつけと言えるだろう。  だがそれだけでは悪魔の出現条件を満たす事はできない。なぜなら、奴等はこちら側にいる上位の悪魔の気配に導かれて現界するからだ。  しかしそんなものが居ればすぐさま私の知覚に引っ掛かる。  今のところその類の気配は感じないし、道中でも感じることはなかった。  考えうる可能性はいくつかあるが、私の知識で推測するよりも直接『専門家』に尋ねるのが早いだろう。 「ミシェル、撤収の準備をしてくれ。これ以上はもう何も出ないだろうから」  現場調査はここまでとし、悪魔の赤黒い残骸を観察しながら物陰に隠れている相棒に声を掛ける。 ――が、返事がない。 「ミシェル?」  不思議に思い振り返ってみると、彼女の姿はどこにも無かった。
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