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《中学生編》05.そんな影響力、持ちたくない
※ 3からの続き
汐見の目つきにゾッとさせられていた俺は、その不躾な問いに更にゾゾッとしてしまった。
――コイツってこんなんだったっけ……?
汐見とは、部員の中では特に仲が良い。
小学校時代から同じ剣道場に通い、中学では同じ部活。加えてコイツは俺の兄・猛の強烈な信奉者なのだ。それで弟の俺に辛く当たってたら可笑しいだろう。尤も、兄への憧れが強すぎて、俺の家に遊びに来たりは出来ないらしいけど。なんか、恐れ多いんだとさ。
つまり汐見とは、適度な距離の仲の良さっての? 親友とか悪友とかそんなんじゃ無くて、節度を守った友人というか。親しいけど礼儀はあるというか――汐見とはそういう距離感だったから、信頼を突然踏み荒らされたような嫌な気分になった。
不愉快だと伝えたくて、俺は盛大に顔をしかめて見せた。
「そんなの言う訳ないだろ」
第二性別なんて、最高にパーソナルな情報だぞ。発情期が来るのは十六歳前後だと言われているから、中学のこの時期に第二性別診断を受けても、それを公にすることはない。オメガが首にプロテクターを付け始めるのだって高校に入ってからだしな。
「そりゃそうか」
汐見は肩をすくめた。すると、俺をゾッとさせた奇妙な目の色が、少し薄まる。
俺はその隙に、袴の紐を締めた。もう汐見のことは見ずに、待ちもせずに防具と竹刀を抱えて更衣室を後にした。
格技場には、まだ誰もいなくてがらんとした中に、平がいるだけだった。隅っこでちょこんと正座して、しゃちこばった顔をしている。
それを目の当たりにすると、ふっと肩から力が抜けた。汐見のせいかな、なんか緊張してたみたいだ。
「てるちゃん!」
更衣室から駆け出てきた俺を見ると、平は嬉しそうな声を上げた。だから、てるちゃん、じゃねーっつの。……でもなんか、ますます緊張がほどけたわ。
俺は平の傍に防具を置くと、正座を続けている平の後ろに回りこみ、その足の指をつんとつついてやった。
「なに?」
「つまんね。しびれてねぇの?」
「そんな時間経ってないじゃん~」
平にきゃーと悲鳴をあげてもらいたかったのだが仕方が無い。俺は奴のズボンの裾に両手を突っ込むと、靴下をズリ降ろしてやった。
「ちょ……ッ!」
「たいらぁ、靴下脱げ――! ただいまから、すり足の練習を始めるー!」
靴下を脱いだ平と二人、右足を前に左足をすすすっと引きつけながら前へ進む。取り敢えず前へ進む前足だけを往復して行わせ、俺は部員達と基礎練習からかかり稽古へと、いつもの練習を行った。
平は面を付けて打ち合う俺たちを眺めつつ、ずっと地道にすり足を繰り返していた。
まあ、暇だとか地味だとかの文句も言わずにずっとすり足してられたのは、偉いよな。
だけどそれ以上のことを教える気にはならなくて、すり足だけをさせていた。だいたい新入部員にはモチベーションを上げる意味で、初日に一度くらいは竹刀を握らせてみるんだが。平にはそれもさせなかった。
部活が終わり部員たちで団子みたいにまとまって校門を出る。汐見もあれ以降は普段通りだったし、俺の隣に平が陣取っているせいか、寄ってこなかった。そしてみんな帰路に沿って三々五々にばらけて、最後には平と俺の二人だけになった。
俺が押し黙っているせいか、平も話しかけてこない。
無言のまま帰宅すると、かーちゃんが待ち構えていた。
「たいちゃーん、剣道着あげるわよぉ。美也ちゃんが写真欲しいって言ってたから、ちょっと着てみてくれる~?」
俺はまっすぐに自分の部屋に向かったが、かーちゃんと平は和室に入って行った。着替えてから降りてくると、和室とリビングは繋がっている上にふすまも閉めてないもんだから、声が筒抜けである。俺は冷えた麦茶を飲みつつ、二人の会話を聞いていた。
平は剣道を始めたいことは、もう両親には伝えているらしい。その上で、俺と猛兄も通ってる舟木剣道場――インハイやインカレの優勝者を何人も輩出している名門道場だ――に入りたいとか、新品の防具はどこで買えばいいのかなあとか、そういうことを喋っている。
そりゃあ平の両親は裕福だから習い事のひとつやふたつ増えたところで何ともないだろうけど、でもそれでも、剣道の道具って安くない。――俺はそういう諸々の出費が、俺の考えなしな八つ当たりから始まったことが怖かった。
平は穏やかな性格で人と争うのを嫌うから、剣道なんか出来ないと思う。でも頑固なところもあるから、俺の八つ当たりを鵜呑みにして頑張ってしまう可能性も高い。けど、そうなってしまうのは怖いんだ。平が剣道をするのが、平にとって良いことだとは思えないんだよ。
俺は麦茶を片手に部屋に戻ると、ダダダダっと猛兄にメッセージを打ち込んだ。どうにか、平を思いとどまらせられないかなあって。
頼りにしたのに猛兄は返事もくれないし、やっと帰って来てからものらくらとしてさ、逆に俺に質問したりするんだ。
「ええとね、俺は――平ってさあ、優しいじゃん? 物腰穏やか、っていうの? そういうのが平だと思うし、別にそれでいいと思ってるんだよ。うん――そういう平が、剣道を始めて変わっちゃうのが怖い、とか、申し訳ないとか思ってるんだよ、俺は」
質問には、結構真面目に答えたよ。でもそしたら猛兄は、
「平の穏やかな性格が変わることはないから、照の杞憂だよ。心配なら照が優しくしてやればいいよ」
的に諭して来たんだよなあ。そんなもんか?
やっぱり納得出来なくて、苛々する。
俺は平と一緒にいると楽しいけど、――剣道を始めてしまったら、平は俺といても楽しくなくなってしまうんじゃないだろうか?
だって平、それって、お前の本当にしたいことじゃないだろう?
兄が風呂に行ってしまうと、焦燥を持て余した俺は家を抜け出して庭伝いに仁科家に向かった。
外からうかがえば、二階にある平の自室には灯りは付いておらず、リビングと浴室だけが明るい。おじさんがお風呂に入っているのかな。
俺は庭を回り込むと、リビングの掃き出し窓をコツンとノックする。しばらくしてから顔を覗かせた平は、俺を室内に迎え入れた。
「どうしたのてるちゃん」
「なんか甘い」
室内には甘い匂いが漂っている。
「ああ、プリン作ってた。明日の朝食べるかなあと思って」
平は何でもないことのように言って、ぱたぱたとキッチンへと戻っていく。実際、平にとってはプリン作るくらい、何でもないことなんだよなあ。
広いキッチンではオーブンが作動していて、プリンが焼かれているのが見える。
平のプリンが大好物な俺は、わくわくして庫内を覗き込んだ。
「プリン! いくついくつ?」
「どうせ帰ってからも食べたいって言うだろうと思って、てるちゃんには二つ作っといた」
「やったぁ! ありがとう!」
平は洗い物を片付けているところだったらしく、流しには泡の付いた食器が放置されている。プリンの調理器具っぽい。
「お茶でもいれる?」
俺は首を振った。改まって面と向かってじゃ話しづらいし。
「そのまま続けて。ここで適当に喋るから」
「まあ、剣道のことなんだろうけど」
スポンジを手に洗い物を始めた平の脇で、カウンターの腰壁にもたれかかりながら、俺は頷いた。
「それそれ。結局ちゃんと話ししないままだし、ちゃんと聞いとこうと思って。――俺もういいって言ったのに、なんで剣道やるの?」
「てるちゃんが好きだから、てるちゃんに認めて貰いたくてするの」
「……直球すぎる。ちょっと恥じらいとかないわけ!?」
聞いてるこっちが赤くなっちゃうんだってば。
「ないよ。言っても分かってもらってないのに、なんで言い惜しむのさ」
「……」
確かに、分かってはないのかもしれない。
気まずくなって口を噤むと、平も気まずそうに咳払いをした。
「ごめんね、言い過ぎた」
「……俺もなんか、ごめん」
「――それでてるちゃんは、何でそんなに、俺に剣道させたくないの?」
「いやだって、お前の性格に合わないじゃん? お前自身がやってもつまんないものを、俺に認められたいってだけでやってほしくない」
これに対する返事はなかった。平はちらっと横目で俺を見たけれど。それに勢いを得て、更に言い募る。
「それに、お前みたいに穏やかな感じの奴からしたら、剣道なんて棒振り回して相手殴って、野蛮じゃん? お前がそうなったらと思うと、俺すごく怖い」
そこまで言ってなんか、頭の中がぱちんと弾けた感じがした。
「――……あ、なんか分かった気がする。俺、お前が変化していく原因が俺だってのが、怖いんだよ。そんな影響力、持ちたくない」
うん。これは今まで一番しっくり来る考えだ。もやもやしてたものが、やっと明言出来た気がする。
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