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《中学生編》03.認めてもらう近道
「……なにしてんの……?」
挨拶もせず不信感一杯に問いかけると、振り返った母と平がにこっと笑う。
「おはようてるちゃん」
「照~、たいちゃんがね、剣道はじめたいんだって。だから猛のお古出したのよ」
昼間に洗濯しとくわね、と平に言いながら、母は剣道着姿の平を検分している。
「まあ、すぐ大きくなるだろうけど、それはそれで猛のもっと大きいのもあるし、今はこれでいいわね」
紺色の道着と袴は、平にぴったりだった。
「じゃあご飯にするから。たいちゃんは着替えて、照は顔洗いなさいよ」
母に言われた通り顔を洗いリビングに戻ると、食卓には俺と平の二人分の朝食が用意されていた。
――俺と平は、一般的な幼馴染み以上に距離が近いと思う。
俺たちが住んでいるのは、アルファの持ち家が軒を連ねる高級住宅街の一角で、俺の鯨井家と平の仁科家は隣同士だ。平の母はそれなりに有名なセレクトショップを経営するアルファの女性で、平の事はもちろん愛しているけれど仕事も大好きなひとだった。平が幼稚園の頃までは仕事をセーブしていたけれど、小学校にあがるや否や猛然と仕事を再開したのである。それで家事は通いの家政婦さんに任されたんだけど、平自身はやっぱり家にひとりでいるよりも俺といるほうがいいからって、放課後はほぼ我が家に入り浸るようになったんだな。もちろん生まれた頃からほぼ一緒に育てられた俺たちだから、母親達も仲がいい。そこで母達の話し合いの結果、平は我が家で過ごすようになったんだ。昔は風呂も一緒、ことによっちゃ寝るのも一緒だったけど。大人の事情だから詳しくは知らんけど、生活費その他も惜しみなく頂戴してるんだと思うよ?
だからこうして俺と平で朝食を食べるのは、単なる日常風景だった。
母は洗濯籠を抱えてバタバタと庭に出て行ったので、平と二人だ。父はもう出勤し、兄はまだ寝ているんだろう。
「美也おばさん忙しいの?」
「昨日の昼から海外だって」
ふーん。ってことはしばらく朝も一緒なんだ。
俺は小鉢の納豆を無心にかき混ぜ、平はワカメとシラスで和えられたキュウリの酢の物を摘まむ。
朝日が平の色素の薄い髪を更に淡く見せ、白い肌に透明感を与えていた。
兄を見慣れているから普段あまり意識しないけど、平も十分に美形だ。男前とかイケメンとか言われる部類の兄とは趣が違い、平は美少年だ。柔らかくて癖のある茶髪と、光の加減によってはヘーゼルにも見える瞳、整った鼻筋はビスクドールを思わせる。
「ほい」
「あんがと」
納得いくまでかき混ぜた納豆は、平と俺の二人分だ。小鉢を回して半分ずつに分け、本格的に食事に取りかかる。
箸を動かしながら、ちらちらと向かいの平をうかがうが、平はなんていうか普通だ。いつも通りだ。昨日俺に告白をしたとか、そのせいで無理難題をふっかけられて困ってるとか、思い詰めた雰囲気は全然ない。なんとなく謝る糸口を掴みかねた俺は、無理矢理なタイミングで箸を置いて頭を下げた。
「平、ごめんな!」
「てるちゃん?」
「剣道はじめるって……、昨日言ったあれのせいだろ。ごめん。気にしなくていいから! 八つ当たりして悪かったよ」
手を合わせて平を見れば、平は呆気にとられたように俺を見つめ返していた。
「え、でも」
「剣道とは関係なく、お前のことはちゃんと考えるからちょっと時間くれ。……どうせつがいになるのなんてまだまだ先なんだから、どーんと三年くらい考えさせてくれ」
つがいには両者の合意があっても十八歳以降にしか成れないと、法律で決まっている。
今から三年経ったって十六歳なのだ。そもそもその程度の年齢で将来のパートナーを決定しろってのが無理難題なんだけど……平は俺に決めちゃった訳だよな。なんでそんなことが出来るんだろ?
「三年!?」
「もっと早くに気持ちが固まったら一年だろうが二年だろうがちゃんと言うから! ともかくそのくらい!」
両手を合わせて拝む俺を見て、平はかなり迷ったようだった。あー、とかうー、とか言いながらうろうろと視線を彷徨わせ、その合間にちらちらと俺を見る。俺はまっすぐに平を見つめ続けていたから、最終的に平を頷かせたのは、俺の眼力だったんだろう……いやだって、今すぐとか明日とかに返事って、無理だよ。
そんな訳で取り敢えず告白の返事を三年間保留にした俺は、平が剣道をやるって話も同時に流れたんだと思っていた。
「ッス鯨井~」
「よーッす」
放課後の格技場前で適当な挨拶が交わされる。格技場の鍵は女子部長の江島が担当しているのだが、今日は遅いようだ。部員達と江島の登場を待ちながらお喋りをしていると、ふっと部員達が押し黙った。ん、とその視線の先を振り返れば――。
「平? どうしたんだ」
登校時に昇降口で別れて以来の平が立っていた。手に何か、白い紙っきれを持っている。
「てるちゃん、これ」
「なに」
反射的に受け取った俺は、その紙っきれを見て目を剥いた。だってそれには『入部届』と書かれていたのだから。入部先は勿論『剣道部』、署名は『仁科平』。
「――平、お前……」
どうしてこんな事を。
そんな疑問すら、驚きすぎて言葉に出来ない。平は俺の表情を読んだのだろう。照れくさそうに笑った。
「だって、それが一番、てるちゃんに認めてもらう近道だと思うから」
「近道って――お前でも図書部とか料理部とかどーすんの……」
平のメイン部は料理部だけど、週に一回しか活動日がないから、図書部と掛け持ちしてたんだよな。
「辞めるよ」
「……そんなあっさり……?」
「もう退部届は出してきた。それ、受理してくれるよね?」
平に促されて、俺は受け取った入部届に視線を落とす。
「つまり本当に、全国で優勝目指すって――?」
「さすがに来年は無理だろうけど」
「当たり前だ。来年は俺が獲る」
来年は俺の、中学最後の全国だ。目標はそこで個人戦優勝を獲ることである。
中学最後でもあるが、同時に人生最後でもある。そう思えば、その目標は平にだって邪魔させやしない。それに、始めて一年足らずでてっぺんとれると思うなよ剣道舐めんな。
思わず平を睨んでいたのだろう。平が苦笑した。
「応援してる。てるちゃんなら出来るよ」
「……一週間は仮入部って形で、取り敢えずこれは受け取るけど。お前、ウチの部員になるなら『てるちゃん』は止めろ。鯨井先輩、か、部長って呼べ」
規律って観点からなら当然だわな。中途半端な時期の新入りが部のトップに対してちゃん付けじゃあ、示しが付かない上に反発もあるかもだろ。だけど平はちょっとショックを受けたようだった。
「――それつらい」
「何でだよ。おら、呼んでみろ鯨井先輩って」
「……鯨井先輩」
「部長でもいいぞ」
「部長……」
無理矢理呼ばせられた平はなんか悔しそうな顔をしている。
そうこうしているうちに遅れていた江島がやってきて、格技場が開いた。
道着も防具もない平はひとまず見学として格技場内に待機させ、部員達は着替えの為に更衣室に入る。
「お前の幼馴染み、今から剣道はじめんの?」
更衣室の一番奥で着替えをはじめると、その隣に汐見がするりと滑り込んでくる。汐見は中学から一緒になった奴だが、通っている道場は一緒だ。道場には平は何回もひっついて来ていたし、直接の面識はなくとも見知っているのだろう。
「らしいな」
「――それってさ」
汐見は声を落とした。
「あれの結果と関係ある?」
耳に吹き込まれた囁きに、俺は動きを止めた。返事も出来ないまま汐見を見返せば、奴はなんとも言えない不思議な目つきをして俺を見ていた。こちらの腹の底まで見透かそうとするような、少しゾッとするような眼差しで、俺は思わず身を引く。それを詰めてきた汐見は、
「お前って、オメガ?」
と更に小さな声で囁いてきた。そして重ねて、
「あいつどう見てもアルファだもんな。お前がオメガだから、焦って追いかけてきちゃったの?」
と問いかけて来たのである。
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