《中学生編》06.無理だし今更だから諦めて《中学生編終了》

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《中学生編》06.無理だし今更だから諦めて《中学生編終了》

 ところが平は、馬鹿みたいに大きな溜め息を付いた。 「てるちゃんさあ、お菓子作ってるから穏やかとか思ってる? あとね、棒振り回して相手殴ってる剣道やってる猛兄もてるちゃんも、別に野蛮な性格してないでしょ?」 「う、それはまあ……」  そもそも剣道は野蛮とは対極的な、精神を磨く種目だと教わっている。でもそれって、一般的な目線じゃないだろ。やってない人にとっては、野蛮で臭くてけたたましく声を張り上げるスポーツだ。 「だったら剣道やったからって、俺も野蛮にならないでしょ?」  確かに。言い負かされて俺はしゅんとなる。  猛兄の言う杞憂ってのは、こういうことだったのかなあ。 「で、こういう風にてるちゃんを言い負かしちゃう俺は、別に穏やかじゃないでしょ? ――俺はむしろ好戦的だよ」 「え、そう?」  そんな風に思ったことはなかったけど。すると平は、キッと俺を睨み付けた。 「あのさあ! それにそもそもさあ! 俺がこんな夜にプリン作ってるのなんでだと思ってる? 料理はともかくお菓子作りは、てるちゃんの好物ばっか作ってるよね?」  思いがけない問いをぶつけられて、俺はきょとんと目を見開いた。 「……んんん?」 「――馬鹿? ホント馬鹿なの鈍いの? 可愛いけどさぁ。要するにね、お菓子作りだって、剣道みたいなもんだよ」  平が何を言いたいのか、俺は分からない。 「そしてね、今はお菓子作りは、俺自身の『好きなこと』でもあるんだよ」  平が更に言い添えたことも含めて、少しずつ咀嚼していく。  ――平がお菓子作り始めたのって、いつだよ……。  確か小三くらいだよな。かーちゃんの作ったプリン美味い美味い言ってたら、『僕も作ってみたいから教えて』って、かーちゃんと台所に立つようになったんだ……そこまで考えて、俺は再び目を見開いた。頬が真っ赤になっていくのが自分でも分かる。 「え! つまり、え!? ――プリン作り始めたの俺の為!? ……俺のことが好きだから……?」  驚いて叫ぶと、平はにやぁっと笑った。穏やかさとは無縁の、むしろ腹黒そうな笑みだった。 「はい論破ー! これで、てるちゃんの杞憂は全部ぶち破ったからね」 「えええ……」 「影響力持ちたくないとか、無理だし今更だから諦めて」  平の口調はぴしゃっと撥ね付けるものだった。すごく苛々した感じがびんびんに伝わってくる。  俺はそれにしょげかえって、悲しくなった。 「なんか、ごめんな? 俺、余計なこと言いまくった……?」 「言いまくったというか……鈍感だよね」  平は深い溜め息を付いた。整った横顔はいつもより白くこわばり、思い詰めて見える。 「……ごめん」  平にそんな苦しそうな顔をさせているのは俺だ。おかしいな、なんでこうなるんだろう。  俺はただ、平に楽しくしててほしいだけなのに。 「何も分かってないのに謝らないで」 「――」  唯一口に出来る言葉すら封じられて、俺は途方に暮れてうつむいた。  一体何を分かれば良いんだろう。  そう思っていたら、まるで俺の心を読んだかのように、平が呟く。 「好きな人に影響されないはずがないんだよ……単に俺がてるちゃんを好きって”事実”を知るだけじゃなく、好きな結果俺がどうなってるのか、想像してみてほしい……鈍感て、そういうこと」  平はそう言い放ったきり、沈黙した。  平の流す水音だけが、うわ滑るようにキッチンを漂っていく。  俺はますます悲しくなってしまった。俺は考えなしの鈍感なんだ。  腰壁にかじりついたまま立ち尽くしていると、あからさまに混乱した様子の俺が哀れになったのか、平が口を開いた。 「ともかく剣道はやってみる。楽しくないと思ったら辞める。それでいいね?」  俺はぶんぶんと頷いた。 「じゃあもう、帰ったらいいよ。また明日――プリン持って行くから」  俺はこれにもぶんぶんと頷いて、回れ右をした。仁科家撤退である。  翌朝、宣言通りにプリンを持ってきた平は、 「賄賂です。これで許して下さい。昨日は偉そうなこと言いすぎてごめんなさい」  と言って頭を下げた。昨日の朝とまるっきり逆だ。  朝食の席にはいつも通りに二人きり。母は庭で洗濯物を干し、父は既に出勤して、兄は多分寝ている。 「そういう時は『お詫びの品です』とか言うんじゃね?」 「そう?」 「てか、お前の言葉のチョイスが変なんだ……『予約』とかも、冷静に考えたら『婚約』なんじゃあ?」 「いいねそれ。今すぐ婚約して下さい。役所に届け出そうか?」 「……予約でいいよ馬鹿」  俺は溜め息を付きながら、納豆をぐりぐり混ぜまくった。  そんな風に俺たちは痛み分けを選び、剣道をやるやらないの議論は、二度としなかった。  一週間が過ぎて平の入部からは仮が取れ、奴の足さばきのカリキュラムには前足だけでなく後足も加わり、そのうち竹刀を持たせるようにもなった。  兄は奴を舟木剣道場に入会させ、積極的に面倒を見ている。  俺はあまり、剣道をしている平には近寄らなかった。俺なんかよりずっと強い猛兄が指導者を買って出ているってのもあったし、俺に認められたくてやってるあいつに俺自身が助言をするのはなんか違う気がしたのだ。あいつも同じように思っているのか、お互いに道着着てる時は寄ってこないしな。  意外だったのは、汐見が平に接近していることだ。  と言っても、親しげにじゃない。なんかライバル?っぽい? ちっちゃい頃からやってる汐見と昨日今日やり始めたばかりの平とじゃあ、相手になるはずないのにさ。汐見ご心酔の猛兄が平に指導してんのが気に入らないのかな? まあ、平だって不思議なほどの負けん気を発揮して汐見に打ち込んでるけどね……なんなの。  さて、ひとのことよりも自分のこと。  第二性判定や修学旅行を挟んだのでリズムを崩していたが、来年の夏の全国大会に向けて稽古を開始する。早朝のランニングも復活させたし――これには平が付いてきた――、自宅の庭で朝晩の素振りも行った――平はこれにも付き合った。回数を控えていた道場通いも行けるだけ行くようにし、土日はほぼ道場で過ごした。そんな風に秋から冬、春から夏を過ごし、兄をはじめ多くの方々のご指導を受けて、やれることはほぼ悔いなくやりきったと思う。  それなのに俺は――県大会決勝で汐見に負けた。  それでも県大会二位ということで全国に駒を進めることは出来たが、そこでも準決勝でやはり汐見に負け、三位決定戦には勝って全国三位となった。  それが、俺の剣道人生の、最終成績。  平は、俺が負けるなんて思っていなかったのかも知れない。呆然として、決勝に臨む汐見を見ていた。  汐見は勝った。全国大会優勝である。  優勝トロフィーを誇らしげに掲げた奴は、 「なあこれで俺も、予約出来るか?」  と、訊いてきたのである。 《中学生編 終了》
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