《中学生編》01.予約させてよ

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《中学生編》01.予約させてよ

――……だったら、てるちゃんは”海老”だよ!―― ――なんで海老!?―― 「――ちゃん、てるちゃん。てるちゃんてば、起きなよ」 「んー……、えびィ……」  夢の名残をうわごとの様に呟きながら、俺は目を開けた。開けっぱなしの窓からは、白いレースのカーテンをそよがせるほどの風が吹き込んでいるが、風そのものは熱風だ。 「あづい……」  べとつく肌に辟易しながら身体を起こすと、ベッド脇には幼馴染みの仁科(にしな)(たいら)が立っていた。  「なんでクーラー付けずに寝てるんだか。付けるよ?」  平は勝手知ったるなんとやらでリモコンを操作し、冷房を付ける。低い起動音と共に吐き出された温い風は見る間に冷風へと変わり、俺はそれを確認してから窓を閉めた。 「どうだった?」  平は立ち尽くしたまま、思わし気な顔で訊いてくる。奴の求めているものはベッド脇の学習机の天板に放ってあるのだが、勝手に見る気はないようだ。 「そこにあんだろ」 「見て良いの」 「――いいよ」  溜め息と共に返事を吐き出すと、夏の熱波を残したままのベッドに再び横になる。  平はA4サイズの茶封筒に手を伸ばし、躊躇いがちにその中に指を突っ込んだ。白くて細い指がつまみ出したのは白い書類で――俺からは裏面しか見えないが、平には『第二性判定検査結果』と書かれたタイトルが見えているだろう。  平は緊張した面持ちで書類を引き出していき――。 「……オメガ」  挨拶文だの性差への注意だの子供達の精神への気遣いだの、ダラダラと続く戯言の最後に記された判定結果に、平は息を呑んだ。  第二性判定は、中学二年生の二学期早々に行われる。第二性がその後の進路に影響を与えるからこの時期なのだろうか。確かに、オメガだと分かればスポーツ系の進路は取りづらくなる。  昔、オメガが抑圧されていた頃は、そもそも働くことが無理だったそうだ。発情したらすぐにアルファに囲われて一生外に出して貰えなかったり、職を得たとしてもそれは性産業だったり。オメガはIQが低いなんて偏見もあった。  でも今はオメガにも人権を与え守る法律も整備されて、オメガの一番のネックである発情期(ヒート)を抑える薬の開発もめざましくて、オメガに対する差別はあまり残っていない。頭が悪いなんてのも、事実無根だったのは、発情期に邪魔されることなく学業に打ち込めるようになったオメガたちの成績が証明している。  つまり今はもう、”オメガが暮らしやすい世の中”なんだ。オメガだったからって人生を悲観することなんかない、そんな世界な訳よ。 「――ショックすぎて気絶してたわ、ははは……」  なのになんで――俺、鯨井(くじらい)(てる)は、オメガ診断を受けてこんなに落ち込んでるんだっつーと……。 「てるちゃん……」 「――たいらぁ、俺もう……剣道つづけらんなくなっちゃった……」  ”自由に暮らせる世の中で、オメガが唯一出来ないこと”。  それがスポーツだ。  オメガの発情フェロモンは有名だけど、実はもう一種類、誘引フェロモンって奴もあるんだな。これはオメガがアルファに『気付かれる』為のフェロモンだ。これを嗅いだアルファはその相手がオメガであることに気づき、潜在的に好意を抱いてしまう。普段ならその程度なんで特別問題にもならないんだが、オメガの発情期にはこのフェロモンの濃い奴が広範囲に届いてアルファを誘い込み、近くまで寄ってきたアルファを発情フェロモンで発情させるんだよな。  で、この誘引フェロモンは、体温の上昇で増加する。つまり、スポーツをするオメガからはフェロモンが自然と発散され、濃度によってはアルファにかなりの影響を与えてしまうって訳だ。もちろんフェロモン抑制剤はあるよ? けどそれはあくまでも安静な状態で服用するもので、激しい運動をする時には身体に負担が掛かるから望ましくないんだと。ぶっちゃけ、成長途上の青少年がスポーツの為に抑制剤を常用するのは法律で禁じられている。  まあそもそも、アルファオメガベータの三種それぞれに身体特性が違うんだから、同じ土俵で戦わせるのはフェアじゃない――それは納得出来るんだけど、……俺に関して言えば、俺自身は剣道で全国大会に出られる位に強い訳よ。ライバルと目してる奴らだって一杯いる。けどおそらく、そいつらはかなりの確率でアルファで、アルファを誘惑しちまうフェロモンをまき散らす俺とはまともな試合が出来なくなるんだよ。  つまりもう、俺はあいつらと戦えない。  というか、剣道自体続ける手立てがない。中学までは男女で分けていただけだが、高校から先は更に、個人競技はアルファとベータででも分けられることになる。そこにオメガは混ざれない。もちろん剣道もだ。何故かって、競技の関係者からアルファを排除した上で、オメガのフェロモンを通さない密室を用意するのが大変だから、なんだろうな。そこまでお膳立て出来たとしても、そもそもオメガ自体の人口が少ないのだから、競技人口たるや言わずもがな。骨折り損のくたびれもうけだよな。人口って意味ではアルファだって同じじゃん? って思うけど、そこはほらアルファ様だからさぁ。 「――オメガだけの学校に行ったら、剣道自体は出来るんじゃないかな」 「うう……それはかーちゃんにも勧められたけど……、俺は高野台に皆と行きたいし……お前だって入るんだろ?」  高野台は地元の高校で中学の奴らの三分の一程度が進学する。剣道も毎年全国大会に出場するので、俺としては文句なしの進学先だったのだ。 「うん。行くつもり」  俺が話を振ると、平は何故だか嬉しそうに笑った。こっちはダメージ受けてるのに、暢気な奴だよ。 「お前はいいなあ。どうせアルファだろ~?」  平はアルファの男女を親に持つ。言わばアルファのサラブレットみたいなもんなんだから、アルファなのはほぼ確定だろうけど。  俺と平は学年上は一学年差だが、生まれ月は半年ほどしか差がない。俺が三月二十八日生まれでぎりぎり早生まれ、平が八月十七日。平が誕生日を迎えた現在、俺たちは同じ十三歳なのだ。だが一学年違うせいで、平の第二性判断検査は来年となる。 「多分ね」 「ああ、にーちゃんもアルファだったのに、なんで俺だけぇぇ」  俺は枕を抱いてベッドの上をゴロゴロする。 「――俺は、てるちゃんがオメガで嬉しいけど」  ベッド脇に立ち尽くす平は、ぎょっとするような事を言った。 「な、なんで……!」 「だって、てるちゃんとつがいになれる」  一瞬、何を言われたのか分からなかった。 「つがい……つがいって――?」  なんだっけ――なんて呆けてしまいそうになる。平の言葉は、それほどの衝撃を俺に与えた。  だって、つがいっつったら、つまり……、うちのアルファとオメガな両親と一緒な訳で……! つまり平は俺と結婚したいとかえっちしたい、って言ったも同然なんじゃないの!? 「平……!?」  赤くなったり青くなったり、わたわたと慌てる俺を、平はにこにこと見守っている。 「てるちゃん、だから、予約させてよ」 「――何を?」 「つがいを。俺をつがいに選んでほしい。俺は、てるちゃんが大好きだから」
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