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 後輩と、目当ての古本屋を訪れた帰り、雨が降ってきたのでナイフ専門店に入る。ナイフを愛でる趣味はまったくないので、何の気なしに。 「雨宿りにナイフ屋に入るあたり、雫先輩らしいです」  磨き抜かれたショーウィンドウのガラス越しに写る後輩の(かんばせ)。 「別にナイフが好きなわけではないのだけどね」  答えながら、ある聖女に思いを馳せる。  実は偏食で、何もないところでよく転んだり、おまけにイエスの名を蝋燭の炎で胸に焼きつけたりナイフで刻み込んだりした聖マルグリット=マリー。彼女の言葉でもっとも好きな言葉は、「私たちは愛さんが為に心を、苦しまんが為に肉体を持っている」。  でも、彼女ほど信心深くない私はこう続けたい。「けれどそれは《神》のためではない」。  「後輩、私、《神》が欲しい。盲目的に信じられるような。そして、『お前は私のために生き、私のために死ね』、『お前の存在の根拠は私だ』、『お前は存在していていい、むしろ、存在しなくてはならない。私がそれを望むがゆえに。そして、お前の死もまた、根拠がある』って言ってくれる《神》が」  研ぎ澄まされたナイフの切っ先から目を離さずに、後輩に語りかける。 「そういう人のために、《宗教》なるシステムがありますよ」 「でも、宗教はもっともらしすぎるわ。そして、そんな《神》を私は信じられない。欺瞞だもの」  大袈裟に眉を上げて、驚くジェスチュアをする後輩。 「何があったんです。──雨も上がったみたいだし、歩きながら話しましょう」  ショーウィンドウを振り返ると、なるほど雲間から光が差していた。
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