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美冬の苦しみ
「草太くん、ごめんなさい。驚いたでしょう?」
草太と春野美冬は社長室の隣に移動した。社長のプライベートルームになっているらしい。仮眠のためなのか、簡素なベットとソファー、パソコン、テレビその他、私物と思われるものがいくつか置かれている。
「適当に座ってちょうだい。父には席を外してもらったから安心して。さて、まず何から説明しましょうか」
草太を見つめ、優しく微笑む。その優美な姿に、思わず見とれてしまう。昨夜のことは幻だったのではないかと思ってしまうほどだ。
「六野社長の娘さんなんですね。名字が違うから想像もしなかったです」
「父の旧姓を名乗ってるの。父は婿として六野家の一人娘だった母と結婚したから。社長の娘として入社すると、縁故と思われていろいろとやりにくくなるしね」
たしかに社長の娘として入社したなら、出世は親の力と思われてしまうだろう。それは草太にも十分理解できた。
「あの、夢じゃないんですよね。主任の首が、ろくろ首みたいに伸びたのって」
「ふふふ。草太くん、夢と思ってるのね。残念ながら現実よ」
あれは夢じゃなかったのか。出来ることなら夢と思いたかった。
(美冬さんに、なんて言ったらいいんだ? 『主任は妖怪だったんですね』とか?『全然気にしてませんよ、首が伸びるなんてたいした問題じゃないですよ~』とか? だめだ、どれも今の主任に言っていいのかわからない)
どう反応していいのかわからず固まってしまった草太を、美冬は悲しげな微笑みで、優しく対応してくれた。
「私もね、夢と思いたかった。『これは悪い夢だ、いつか覚めるの』って何度思ったかしれないわ。妖怪みたいに首が伸びるのは、自分が見てる夢の話で、いつか私は普通の人間になれるんだって」
春野は哀しげに微笑んだ。夢だ、幻覚を見たんだ、と言い放つこともできたろうに、正直に話してくれることがどこか嬉しかった。
「あの、聞いてもいいですか?」
「いいわよ。私の話を信じてくれるなら、だけど」
「信じます。主任は嘘を言う人ではないですから」
草太の言葉に安心したのか、美冬は少しだけ嬉しそうに笑った。
「主任は夢と思いたかったって今言いましたよね。主任はずっと悩んできたんですか? 首が伸びることを」
やや直球すぎる気もしたが、聞いてみたいと思ったのだ。部下としてではなく、ひとりの人間として美冬のことを少しでも理解したかったから。首が伸びる姿を見ても、春野美冬という人を蔑む気にはなれなかった。ならば、事情を聞いて少しでも理解したい。 美冬は草太の質問を噛みしめるように、ゆっくりと答えてくれた。
「ええ、ずっと悩んできたわ。だって誰にも言えないじゃない?『私の悩みは首が伸びることです』なんて言ったら、変わった人って思われるだけだもの。誰も信じてくれないわ」
美冬は自嘲気味に笑った。悲哀を伴った笑いは、草太の心に深く突き刺さった。
(この人は、ずっと孤独だったんだ。誰にも言えない苦しみを抱えて)
「どうして、美冬さんの首は伸びるんですか? 社長は『ろくろ首の遺伝子を継いでいる』と言ってましたけど」
「それは私の御先祖にろくろ首がいたから、と聞いているわ。六野家に代々伝わる伝承があるの。それを聞いてくれたら、理解できると思う。嘘みたいな話だけど、草太くんは信じてくれる?」
草太は黙って頷いた。 簡単に嘘をつく人ではないと知っている。
「ありがとう。ちょっと長い話になるわ……」
六野家に伝わる伝承。それは草太にとって運命を変える話でもあった。
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