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美冬の涙
「えっと、つまり。春野主任はその『およう』さんの生まれ変わりなんですか?」
六野家に代々伝わる伝承を聞いた草太は、一番気になっていたことを聞いた。
「それはわからないけど。幼い頃から首が伸びる体質なのは確かね」
「小さい頃から首が?」
「ええ。物心ついた辺りからかしらね。眠っていたり、リラックスしてると首が伸びちゃうの、昼間はなんとか自分を抑えられるけど、夜になるとダメね。我慢できないの。認めたくないけど、ろくろ首状態になることは私にとって最大のリラックスタイムなんだと思うわ。首を伸ばさないことを我慢し続けると気が狂いそうになるもの」
(確かに。昨夜、首を伸ばした主任はすごく気持ちよさそうだった。きっと本当にリラックスしてる時に首が伸びちゃうんだな)
昨夜のことを思い出しながら、草太は美冬の言葉をゆっくりと考えていた。
「ごめんね。こんな話、信じたくないわよね。私、気持ち悪いわね。妖怪じゃなくて人間だと思ってるけど、やっぱり私は、不気味で怖い妖怪なのかもしれないわ」
黙り込んでしまった草太を見て、ショックを受けていると思ったのだろうか、美冬は申し訳なさそうに言った。
「主任は気持ち悪くなんかないですよ。主任は人間です。妖怪の血をほんの少しだけ受け継いでるだけの。おようさんは生まれてくる自分の子孫たちを守りたかったのでしょうね、きっと」
美冬の目が大きく見開かれた。思ってもいない言葉だったのだろう。
「草太くん、私のこと、気持ち悪くないの? 怖くないの?」
「どうしてですか? 首が伸びても主任は主任ですし。事情を聞いたらいろいろと納得できましたしね」
「私の秘密、誰にも言わないの?」
「言いません。だって、主任はずっと必死で隠してきたんでしょ? なら僕も協力します。秘密は守ります」
草太は立てた人差し指を口元にもっていくと、シーっと呟き、内緒のポーズをしてにんまりと笑った。美冬は草太の言葉が信じられないといった様子で、頭を左右にふる。
「どうして、そんなに優しいの?」
「優しいかどうかはわかりませんけど、主任がずっと苦労してきたことを、僕が怖がったり、気味悪がったりしたら駄目だと思うんです。そんな権利、僕にはない」
草太はきっぱりと告げた。昨夜だって驚きはしたものの、気持ち悪いとまでは思わなかったのだから。 美冬から悲しげな微笑みは消え失せ、眩しそうに草太の話を聞いていた。
「ありがとう。理解してくれると思わなかったから、すごく嬉しい。あとは私の父のことね。父はあなたと私を結婚させることで、秘密を守らせようとしたの。家に婿として入れてしまえば、いつでも監視できるからって。あなたは私の秘密を簡単に人に話したりしないと思う、って説明したけどわかってくれなくてね。あんな父親だけど、私を守りたいからしたことよ。そこだけは理解してくれると嬉しい」
「はい。それはなんとなく」
「ありがとう。わかってくれて。結婚もしなくていいのよ。こんな女と結婚なんて嫌でしょ?」
草太は気になっていた。先程から春野は、何度も自分を卑下していることを。
「主任は、春野美冬さんは、きれいです。あなたがどんな姿になっても」
憧れの人に己を恥じてほしくなかった。 闇夜に浮かぶ、春野美冬の美しい顔と長く伸びた白い首。しなやかにくねる首は艶かしくて。突然の変幻に驚きはしたが、嫌悪感はなかったのだ。春野は草太の言葉に、驚いたような表情を見せていた。
「私がきれい?」
「はい、主任は美しいです」
草太の言葉を聞いた途端、春野の顔はみるみる赤くなっていく。
「やだ、もう。草太くんってば。冗談にもほどがあるわ」
「冗談じゃないです、本当です。あなたはきれいだ」
たまらないといった様子で、春野は両手で顔を覆ってしまった。
「主任……?」
そっと様子を伺う。肩が震え、ひっくひっくとすすり泣く声が聞こえる。
「しゅ、主任!?」
泣かせてしまうとは思わなかったのだ。
「私、私ね。ずっと自分は醜い化け物だと思ってたの。だってそうでしょ。先祖のことがあったにせよ、首が伸びる女なんて気持ち悪くて誰も寄ってこないわ。正体を知られてはいけない。絶対に。そう思っていままで精一杯、気を張って生きてきたの」
「そうだったんですね……」
思えば春野美冬はいつでもひとりだった。軽い雑談を交わす相手はいても、特定の友人と仲良く話す姿を見たことがない。飲み会や親睦会に参加してもお酒は飲まず、早いうちに帰ってしまう。家で仕事をしてるのだろうという噂だったが、真実は違った。リラックスすると首が伸びてしまうから、他人と必要以上に親しくしないようにしていたのだ。全ては秘密を知られないために。
美しくて才能にも恵まれた幸運な人。それが春野美冬という女性だと草太は思っていた。本当は誰にもいえない秘密を抱え、隠しながら必死に生きてきたのだろう。ぼんやり生きていた草太には想像できないような苦労をしてきたのだ。
声を押し殺すようにひとり泣く春野美冬の頭に手を伸ばし、そっと置いた。そのままぎこちなく撫でていく。つややかな黒髪の感触が手に伝わってくる。なぜそうしたのかわからない。ただ労ってあげたかった。
頭を撫でられていることに驚いたのか、春野は泣き止み、顔をあげた。
「やだ、もう。草太くんってば。私、子供じゃないのよ」
春野は泣きながら笑っていた。その笑顔が切なく、草太の心を締め付ける。
(この人を、美冬さんを守ってあげたい)
そのためにはどうすればいいのか。草太は必死に考えた。方法はひとつしかないように思えた。
「主任。いえ、美冬さん。あなたの側にいてもいいですか?美冬さんを支えてあげたいんです。いきなり結婚とかはまだわからないけど、側にいることなら、僕にもできそうな気がするんです」
草太を見つめていた美冬の目から、また涙があふれ出す。
「本当? 私の秘密を知っても、側にいてくれるの?」
「はい、側にいます。誰にもいえない愚痴を聞いてあげることぐらいできますよ」
草太の言葉に、美冬はフフフと愉しげに笑った。
「じゃあ、愚痴をたっぷり聞いてもらおうかな。草太くん、ありがとう。本当に嬉しいわ」
「いえ、そんな」
二人は目を合わせ笑った。共に幸せだった。 田村草太と春野美冬。世にも奇妙で、もどかしい恋物語が今、始まる──。
草太と美冬、互いに支え合うことを決意する姿を、覗き見るものがいた。
美冬の父、六野宗次郎だ。二人は気付いていなかった。宗次郎に見られて
いたことを、そして話は二人だけの話では済まないことを。
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