幕間―弐

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幕間―弐

 宮廷魔術師であるエバンは、眉間に皺を寄せていた。原因は若手魔術師たちの報告書である。リドヴィナにつけた魔術師アーリンと、グレイの身代わりに立てていた魔術師であるダレルによれば、リドヴィナには不審な点があるのだという。報告書が提出された当初、エバンはふたりを問いただした。 『今一度聞く。君たちの提出した報告書は事実だね?』 『はい。リドヴィナ姫の体に触れると、時折とてつもない魔力を感じるのです。ですが姫君は、今まで一度も魔術を使ったことがないと仰いまして』 『そうなんです。姫君の隣に立ってると、こう時折魔力が立ち昇って見える瞬間があって。一瞬なんで、勘違いかなって思ったんですけど』  下手をすれば不敬罪なので、ふたりは少し怯えていたが、エバンは彼らを処罰するつもりはなかった。不敬罪を恐れて進言をやめるような者は、次代の皇帝に仕えるに値しない――そう教えてきたのはエバンだったからだ。  魔力の有無は生まれつきの差がある。ゼロの者もいれば、体中に満ちるほどに有している者もいる。宮廷魔術師に選ばれる者たちは、無論一般人のそれよりはるかに多い。そして魔力の感知には、それなりの訓練がいる。魔力が多ければ多いほど感知しやすいが、まず人間が保有できる魔力量には限界がある。訓練していない人間では、魔力の有無すらも感知できないし、訓練したとて意識せずに魔力を感知することはほとんどできない。つまり所詮その程度しか人間の体には魔力がおさまらない。 (それなのに、なんらの意識もせず、ただ触れただけで感じ取れる、あるいは目で捉えられるほどの魔力を有しているとなると……) エバンもリドヴィナとここ二週間ほど顔を合わせる機会が多かったので、それとなく観察していたが、やはりふたりの進言通りだった。そして本人は自覚がない。  だがあの魔力の保有量は、人間のそれではない。先天的なものでなければ、後天的なものということになるが、エバンには皆目その原因がわからなかった。  そしてエバンはこの事実をグレイに告げるべきか迷っていた。彼には魔力を感知させる訓練を施さなかった。ゆえにグレイはまだ気づいていない。  魔力量が多いから、すなわち危険ということではない。魔力とはもともと、そこにただ『在る』だけのものだ。それを引き出し、術式にあてはめて、ある意味では自然の摂理に逆らった使い方をすることが魔術であり、暴走に至る可能性があるのは『体から引き出して術式に当てはめる』過程を間違えた場合だ。その点ではリドヴィナより、魔術を使用するエバンやその他宮廷魔術師の方がよほど暴走の可能性がある。  問題は、リドヴィナが何かを隠しているということだ。それがグレイにとって吉か凶かはわからない。グレイへの接し方を見ていれば、リドヴィナにこれといって裏があるようにも思えないし、かといって魔術を学びたいということと彼女の魔力が無関係とも思えない。 (当面は様子見か?)  悩むエバンの耳に足音が聞こえてきた。どうやらこの部屋の主がやってきたらしい。エバンはしばらくアーリンに様子を見させることにして、グレイには報告するのを控えることにした。提出された報告書をローブの下にしまいこむ。 「悪い。エバン、待たせたか?」  扉を開けて入ってきた主は、なぜか息せき切っていた。頬は上気して赤い。額も少し汗ばんでいる。自室からここまで小走りできたらしい。急いできた――というより、何かを振り切るように走ってきた風情だ。事実、時計の針はまだ予定よりだいぶ早い時刻を示していた。 「いえ、老人は朝が早いだけですので、お気になさらず」  グレイは「そうか」と答え、自身の席についた。エバンはそんな皇太子を、目をすがめて眺める。己の弟子が皇后となり、命懸けで残した子。 『どうかお師匠様、この子を幸せにしてやってください』  死に際、エバンにそう頼んだ愛弟子。エバンは母親という後ろ盾を亡くしたグレイの後見に立ち、彼の行く末を見守ろうと決めた。だがどうしたって、エバンはグレイより先に死ぬ。祖父と孫ほども年の差があるのだから仕方ない。  ――けれど、ひとりきりの孤独の玉座に座ったとき、はたして彼は幸せと言えるのだろうか。  生まれたときから命を狙われ、誰も愛せず、愛されることもなく、そして感情少なく人形のように育ってきた彼が今、リドヴィナと出会って人間として成長しようとしている。もし彼女と引き離せば、グレイは永遠に人間となる機会を失うだろう。  仮にリドヴィナに何かあり、次の皇太子妃がやってきたとて、もうグレイは無条件に誰かを信じることはない。そうなればエバン亡きあと、彼は孤独になってしまう。  結局エバンは迷いながらも、事実を己の胸のうちに秘めることに決めたのだった。
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