第十節

1/1
前へ
/26ページ
次へ

第十節

 延期になっていた国民への披露目は、広場に民衆を招き、バルコニーに出て、ということになった。本来ならば街中をパレードするのが習わしだが、グレイが進言してやめさせたのだ。護衛にかける労力や費用を考えたら、現在の国庫の状況ではもったいないというのが表向きの理由だが、本音はもちろん、叔父一派が何を仕掛けてくるかわからないためである。  案の定、それに反対したのは、エイワーズ外交大臣だった。アルトは皇子だが庶子である。したがってこの場に出席できないアルトより、エイワーズのほうが立場は上とも言えた。事実、アルトが皇帝位を狙っているというよりは、彼が先導している節もある。先日の毒の入手経路とて、毒の入った容器が見つからなかったがために判明しなかったが、おそらくはエイワーズがその外交の伝手で入手したものだろうと推測していた。  グレイの進言を聞くなり、はす向かいに座っていた彼は眉を顰めた。 「伝統を打ち破るなど……。皇太子殿下の立場にそぐわぬ行為でございますな」 「ですがここでこれだけの費用をかけるなら、次の軍事遠征のために温存しておくべきでしょう。父上に誠の忠誠を誓う臣下ならば、どちらが利益か考えるまでもないのでは?」  グレイの痛烈な皮肉に、しかしエイワーズはただ眉を跳ね上げただけだった。ここで騒ぎ立てても得はないと彼は知っている。先の皇帝の副宰相まで昇りつめ、現在は外交大臣の座で諸外国との関係を取り持っているほどに政治を熟知しているからだ。ゆえに「皇帝陛下がよいと仰るのならば」と、存外あっさりとひいた。  皆一斉に玉座を仰ぎ見る。御前会議とは名ばかりで、当の皇帝陛下は議事を聞いているのかいないのか、基本的に「よいぞ」としか言わない。気まぐれに飛んでくる「否」のときは、その議事を進言した臣下の首を、ただちにはねさせる。  皇太子の進言だからか、それとも軍事費の温存を考えたのか、皇帝陛下は椅子にだらしなく腰かけたまま「よいぞ。好きにせよ」と進言を受け入れた。エイワーズもそれ以上は何を言うでもなく、顎をかすかにひいて頷いた。 「では次の議題に――」  議長がそう告げる。グレイは終始表情の動かぬエイワーズを見つめていた。  エイワーズは御前会議が終わるなり、自身の執務室に戻った。披露目の方式が変わったのなら、こちらのやり方も変わってくる。様々な算段が頭を駆け巡る中、そんなエイワーズを執務室で待ち構えていたのは、アルトだった。部屋にしつらえられた長椅子にだらしなく腰かけている。そんなふうにしている暗褐色の髪に碧眼の彼を見ていると、エイワーズは皇帝陛下を思い出す。年の差がある、しかも腹違いの兄弟でありながら、嫌というほど似ているのだ。――その表情も、堕落加減も。人道にはもとらないという点で、アルトのほうがましというだけで。 「エイワーズ、会議はどうだった?」 「いつもと変わりありませんよ。アルト殿下、もう少し姿勢を正されてはいかがですか?」  溜息まじりにそう呟けば、アルトは自嘲した。その笑みもいつから浮かべるようになったのか、エイワーズはもう思い出せなかった。幼少のころより彼の後見をしているが、いつからかアルトは自分が傀儡の皇子と気づいたらしい。だがそんな傀儡の皇子も皇帝も、この城における何百年という歴史の中で星の数ほどいる。いちいち心移す気にもなれなかった。 (傀儡といえば、グレイ皇太子は――)  密偵からの報告によれば、リドヴィナ姫との仲は良好とのこと。そのせいだろうか、エイワーズから見てもグレイは変わった。  エイワーズたちへの敵意が変わったわけではない。だがその雰囲気はやわらかくなった。少なくとも人形と揶揄されていたころとは違う。己を律し、感情に制御をかけてはいるため相も変わらず『人形』には見えるが、彼が歩くごとにまき散らしていた氷のような冷ややかさが消えていた。少なくとも今は侍女や侍従、他の大臣たちが異様におびえることはない。  だがそれはエイワーズには望ましくなかった。このままいけばグレイは史上稀な賢帝になるだろう。けれどもそんな皇子も皇太子も、やはりこの城の歴史の中に大勢いた。いながら皇子のうちに、あるいは即位してまもなく歴史の闇へと葬られてきた。  この国の諸侯や貴族らが望むのは、民のための賢帝ではない。愚かで軍政にだけ興味があり、多少の賄賂や横領を見逃してくれる――いざ反乱が起きればその首を落とし、許しを乞うためだけの人形だ。だからこそ賢帝は『史上稀』なのであり、また誰にも必要とされないのだ。 「それで殿下。御用があるから、こちらへいらしたのでは?」  長椅子の上のアルトはしばらく考えていた。「ちょっと待て、今思い出す」と言うあたり、どうやらエイワーズを待っているうちに忘れていたらしい。 「ああ、思い出した。あの薬のことなんだが」 「は? ああ、この前の晩餐会で使ったあれですか。あれを使って生きているとは、なかなか悪運が強いですね。……あんな入れ方では入ったかどうか怪しいものですが」 「怪しまれず自然にって、お前が言ったんだろ。俺なら酔ってああいう無礼をしたっておかしくないし、実際あのあとエバンのやつが杯を調べていたっていうから飲んではいるはずだ」  そうじゃくて、とアルトは続ける。 「あの薬、シャフィーク王国の王室の秘薬なんだろ? エイワーズ、お前が直接手に入れたっていうのはいい。外交大臣だから、そのくらいどうにでもなる。だが、なんだってシャフィーク王国がグレイを暗殺したがる? 仮にも自分のとこの姫が嫁いでいる――しかもまだ結婚していないうえに、子供だっていない。暗殺するにしたって時期尚早じゃないか?」  それは常々、エバンも考えていたことだった。  一滴でも飲めば致死量、しかも薄めたとしても効能は変わらない――そんな毒薬をグレイに盛ったのは先日のこと。だがその毒薬はシャフィーク王国の王室の秘薬で、過去から王位争いのために、あるいは寵姫が王の愛を得るために使われてきたものだった。  その薬がエイワーズのもとへ密かに届けられた。国王直々が放った密使によって。依頼は『グレイ皇太子殿下をリドヴィナ姫との婚姻前に暗殺すること』。その見返りは軍事協定におけるシャフィーク王国側の兵と軍事費の負担を倍にすること、および害が及んだときのエイワーズとその一族の亡命だった。  諸外国から命を狙われることもけっして珍しくはない。お互いの王族で婚姻関係を結ぶことは和平の意味もあるが、遙か昔からその姻族関係によって各国の王位をいざというときには、自国のものにするためでもある。ゆえに今回でいえば、リドヴィナに子供が生まれれば、その子供はシャフィーク王国の王位継承者でもありながら、この国の帝位継承者でもある。もしグレイに何かあればその子供は帝位につき、おそらくは皇太后になるであろうリドヴィナを通じてこの国への働きかけをすることは間違いない。  けれどもそれはふたりに子供ができたときの話だ。子供もいない、ましてや婚約のみの関係では、グレイが死ねばリドヴィナは王国に戻るしかない。アルトに妻がいなければ、アルトと――そんなこともあり得るが、既にアルトは妻がいるし、一国の姫君を妾にするわけにもいかない。  要するに現状でそんな依頼をしたところで、シャフィーク王国の利益になるようなことがひとつもない。下手をすれば、戦争になりかねない事態だ。ではいったい王国の狙いはなんなのか。エイワーズにもそれはわかりかねた。 「……さて、王国にも何か意図があるのでしょうが、それはわかりかねますね。まあ、今回は失敗したので、次を考えるだけです」 「なあ、エイワーズ。俺が即位したときには、そういうことは起きないんだろうな?」  ねっとりとした声に振り向けば、濁った目で疑惑を差し向けるアルトがいた。エイワーズはその視線に狂気を感じ、少し寒気だったが、努めて平静を装った。 「ええ。殿下がごく普通の皇帝でいる限りは」
/26ページ

最初のコメントを投稿しよう!

136人が本棚に入れています
本棚に追加