第十弐節

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第十弐節

 こち、こち、と時計の針の動く音だけが部屋に響く。  突然の告白に呆然とするグレイの耳に届いたのは、リドヴィナの静かな、けれどもひどく重苦しい肯定の言葉だった。 「はい。そうです」  リドヴィナはまっすぐグレイを見つめていた。輝きの失せた瞳からは、冗談や嘘を言っているように思えなかった。  だからといって目の前にいる彼女が人形と言われても、信じることは難しかった。グレイの知っている人形は、このように動くことはおろか、喋りもしない。ましてや感情のこもった瞳さえも持たないし、気高さも優しさも持ち合わせていない。 「かつて、わたくしは人間でした」  リドヴィナは、そんなグレイの混乱をくみ取ったかのように話し出した。                  *  殿下との婚約が決まる前、わたくしはまだ人間でした。そして年も年ということで、国王である父上は嫁ぎ先を探しておりました。王妃である母上との間に生まれたのは、わたくしを除けば皆息子ばかりでしたから、唯一の娘であるわたくしが可愛かったのでしょう。普段から溺愛しておりましたが、ことに嫁がせるとなるとよりいっそう拍車がかかっておりました。  修道院に入れるなど言語道断、かといって国内の貴族に釣り合う身分と年頃の男性がいない――そこに殿下のお国との軍事協定が持ち上がりました。父上は皇太子妃、ゆくゆくは未来の皇后となるのならば悪くない、しかも皇太子殿下との年もちょうどよいと考えて、婚約を協定に盛り込んだのです。それが昨年のこと。  けれども婚約が決定したこの年の冬、わたくしの祖国を恐ろしい流行病が席捲しました。宮廷魔術師、医官、あらゆる者たちを総動員して国中の知識をかき集め、それでも三人に一人は命を落としていくという有り様でした。  運が悪かったことに、まだその流行病の恐ろしさを知らなかった頃、公務の一環として尼僧院の診療所で、わたくしは治療の手伝いをしておりました。流行が始まった頃には、わたくしもその病にかかってしまったのです。  医術や魔術のかいなく体の節々の痛みと高熱にうなされ、ついには起き上がることもできず、命の火が潰えようとしたそのとき、父上は宮廷魔術師に命じました。 『この子を生かせ。何と引き換えにしてもいい。どんな魔術を使ってもかまわない。なんとしても生かすのだ』  もちろん協定に盛り込んだ婚約のこともあったと思います。適当な年頃の王族の女性が、わたくし以外にはおりませんでしたから、もしもわたくしが死ねば協定が白紙になる可能性もあります。ほとんどが殿下のお国に有利な条項だとはいえ、いくつかは我が国への援助項目もございましたから。我が国より先進国の技術を手に入れる機会を、国王としては捨てるわけにいかなかったのでしょう。  けれどもそれは建前で、一番は我が子可愛さゆえだったのでしょう。子供たちの中で一番可愛がっていたわたくしを喪うことに耐えられなかった父上の命令。それに対して宮廷魔術師はこう申し出ました。 『病魔におかされたこの体のまま、姫君の寿命をのばすことはかないません。ですが、ひとつ方法はございます。姫君の魂を人形に移し替えて閉じ込めるのです』  考えてみれば、世の理に反した恐ろしい魔術です。実際、その魔術の理論は確立されていても、倫理に反するということで、代々の王族と宮廷魔術師らによって禁術に指定されておりました。  けれど父上は目がくらんでいたのです。その先に何が起きるかなど考えもせず、答えました。ただひとこと。 『かまわない、やれ』と。  宮廷魔術師は了承しました。禁術とされていた古の魔術を、己の手で再現する――それがどうやらこのうえない名誉と功績に値するようでした。しかも常ならば死罪に処されてもおかしくないけれど、今なら国王直々の許可が出ているため、その心配もない。だからその宮廷魔術師は嬉々として儀式に臨みました。  そうして体から離れようとしていたわたくしの魂を、腕のいい人形技師がこしらえた人形に閉じ込めました。機械仕掛けのからくりに、精巧に作った皮膚をかぶせた人形に。けれどもその代償に魔術師は命を喪いました。莫大な魔力を必要とする古の魔術は、到底人間の持ちうる魔力では足りず、生命力をも必要としたのです。  ともあれ、わたくしは死の先の生を得ました。  不思議なことに、わたくしの魂が入った人形の身体は、生前のわたくしと変わらぬ姿になりました。髪も瞳の色も、肌の色ややわらかさ、表情さえも、まるで人間のときと寸分変わりない。当然、父も母も、兄弟も喜びました。  けれどそれは最初のうちだけでした。確かに人と変わらぬ生活を送っておりましたが、やがて皆気づいたのです。わたくしが得た死の先の生は、もはや人としてのそれではなく、人形としての朽ちぬそれだと。  怪我をしても、皮膚に傷がつくだけで血は流れません。なぜならわたくしの心臓は歯車の心臓だから。もう二度と鼓動をうつことも、傷ついて赤い血を流すこともありません。かつては高鳴りや重い痛みを感じていた心臓は、もはや一定のリズムを刻むだけの金属となりはてたから。  そうと知って父上は慌てておりました。それはあらゆる可能性が出てきてしまったからです。つまり、これから先けっして老いることがない可能性、子供を産めない可能性、そして寿命のない可能性――人としては不自然な可能性が。そして我が国には、わたくしを人に戻す術は存在しませんでした。  当然、そんな『人形』のわたくしを嫁がせるわけにはいかなくなりました。けれども他に代替となる王族の女性はおらず、肖像画も既に送ってしまっている。国内には『王女は助かった』と触れをだしているため、今さら病で死んだことにはできない。しかもわたくしが人形だと知っているのは、ごく一部の者だけ。まさか禁術を使用したなどと国王が言えるはずもなく、時だけがただ徒に過ぎていく中、わたくしは決めました。  もしかしたら、殿下のお国ならわたくしを人間に戻すすべが見つかるかもしれない。魔術の先進国であり、研究も進んでいるであろう殿下のお国なら。そう考えてわたくしは嫁ぐことを選びました。  もちろんわたくしとてわかっておりました。そういつまでも誤魔化せるものではないと。けれどもこの国で人間に戻るすべがあるかないか、それさえもはっきりしないうちに、事情を打ち明けることはできなかったのです。  だからこそ、今の今まで申し上げることはかないませんでした。ですが、今宵のこの騒動で殿下は知ってしまわれた。ゆえに下手に隠すことはもうできない――。                * 「これがわたくしの持っていた秘密です」  リドヴィナはそう締めくくった。
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