第十七節 決断ー1

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第十七節 決断ー1

 時は少し遡る。 ◇◇◇  果てしないほど高い場所にある吹き抜けの天井には星座が描かれ、その天井間近まですべての壁が本棚になっている。いつもならひどく静寂なその場所も、今日ばかりは騒がしかった。宙を書物が飛び交い、その書物を『呼んだ』本人の手にすっぽりと収まり、用がすめばまた元の場所へ戻っていく。そんなことの繰り返しだった。この塔に納められ、目録に記録された書物は『呼ぶ』と本人の手元に飛んでくる。いったいその仕組みがどうなっているのか、そちらの魔術構造を解明したい衝動に駆られるが、それを押さえつけアーリンもまた目録と照合し、目的の書物を呼んだ。皇太子からの通達が発せられてから、どれくらい時間が過ぎたのだろう。  宮廷魔術師たちの勤める区画は宮廷の奥まった場所にあるが、その最奥にあるのがこの「全知全能の塔」である。誰が名付けたかひどく悪趣味だと、アーリンは思わざるを得ないが、その名にふさわしい場所であることは認めていた。塔の天井から、地下に至るまで古今東西ありとあらゆる書物が保管されている。つまり魔術、法律、政治、文学問わずここに納められ、知りたいことはおそらくないのではないかというほど知識が蓄積されている。  とはいえその膨大な書物すべてを読みほどけた者はいない。だが、皇太子からの命令は「二か月の間にとある魔術を探すこと」だった。 「この作業、本当に二か月で終わるんですかねぇ」  後輩のダレルが隣で弱音をはく。「そんなこと言っている暇があったらさっさと読む!」とダレルを叱責し、手元の文書に目を落とす。異国の言葉、しかも古語で書かれたそれを読みほどくには、通常であればひどく時間がかかる。だが、幸いアーリンたちは魔術師。翻訳魔術を使えば、どんな言葉であれすらすらと読める。  皇太子からの通達はあれど、当の皇太子が政務の合間にここへ来ては時間の限り書物を調べて帰っていく。それでどうしてアーリンたちが弱音を吐けるだろう。  特にこの通達を出してから皇太子がろくに休んでいないことは、一目でわかった。エバンもそれは心配しているようだったが、いかんせん本人が休もうとしない。 (そこまでするほど、何があったのかしら)  アーリンはあの日、外での見張りを命じられていたから話の内容はわからない。けれども姫君に関する何かということだけはわかった。第一、あのときの姫君は全治二か月の面会謝絶の重傷を負っているようにはとても見えなかったけれど――そうつらつら考えながら、新たな書物を呼んで、手元のページを繰ったときだった。  咄嗟に入った文字に、手が止まる。だが、次の瞬間には、アーリンは夢中でその本を読み解いていた。そして概要を理解したところで声をあげた。 「ありました!」  その瞬間、塔の中で大きくどよめきがあがった。「本当か!?」と言いながらエバンが駆け寄ってくる。その間にさらに読み進めたアーリンは、しかし困惑した。「はー、これでようやくここを出られるんすね。……あれ? 先輩、顔色悪いですよ」そんなダレルの声も頭を素通りする。 「どのような方法だ?」  本の山をかき分け、アーリンの隣に立ったエバンがそう問うが、アーリンは唇を引き結んで黙っていた。皇太子の命令は「無機物に命を吹き込む術、あるいは人形を人間にする術のいずれかを探せ」というものだった。アーリンが探し当てたのは後者。しかしその内容はいわば禁術に指定されているといっても過言ではない。  アーリンの態度をどう思ったものか、エバンは「答えなさい」と促してきた。皇太子がなぜそんな命令を出したのかはわからないが、それでも命令は命令である。結果がどうであれ報告しなければならない。アーリンは重々しく口を開いた。 「人形の体を人の体に作り替える魔術なのですが、その方法は――人の生きた心臓を人形の体に、この本のとおりの魔術式で埋め込むというものです」  あまりの衝撃にしんとその場が静まり返った。アーリンは続ける。 「そうすると、その人形の体には血が通い、臓器が形成され、心臓が鼓動を奏で、年を取り――つまり人間の体になるというのです」  うぐ、と誰かが呻いた。読み上げたアーリンの顔も真っ青だった。エバンですら血の気が引いている。  心臓は当たり前のことだが、人間には必要不可欠な臓器である。取ってしまえば、生きていられる者などいない。取りも直さず、それは誰かを犠牲にする――しかも生きたまま心臓を取り出す必要がある――という意味だった。  本に記載されているという魔術式の解読はこれからになるが、それとても莫大な魔力を必要とすることが予想された。つまり魔術師も死ぬ可能性がある。あまりにも犠牲が大きい。  そしてそれによる効果のほどは不明だった。本には理論が書いてあるだけで、成功したかどうかも書かれていない。 「……アーリンとダレルは私とともに。魔術式の解読、および皇太子殿下への報告に入る。他の者たちはこの魔術を使った実験例の文献がないか、探すよう」  かろうじてエバンがそう指示すると、皆青ざめながらも頷き、再び文献探しに散っていった。薄々そんな文献はないだろうと考えながら、それでもやってみなければわからない。  あまりに予想外の結果だった。だがとにもかくにも、皇太子には報告をしなければなるまいと、エバンはため息をついた。 ◇◇◇  すべてを聞き終わったグレイは瞳を閉じた。そして「エバン以外は下がれ」と命じる。どこか疲れ切ったようなその声に、アーリンとダレルは黙って引き下がった。 「――それで、いかがいたしましょうか」  エバンは簡潔にそう聞いてきた。グレイはため息をつく。結論などあってないようなものだった。今思っていることを口にしたとして、きっとエバンもリドヴィナも――いや、誰もグレイを咎めはしないだろう。  グレイはその黒曜石のまなざしをゆっくりとエバンに向けた。
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