幕間 参

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幕間 参

「結局、本当に帰国するのか」  アルトは窓の外を眺めた。そこにはシャフィーク王国へ帰国する準備をしている一団があった。エイワーズもまた隣に立って、その一団を見下ろす。  グレイとリドヴィナの婚約は破棄となった。理由はリドヴィナの体に傷が残り、彼女自身もまたすっかり先の事件でこの国に恐怖を覚えて心理的障害が残ったためである。体の傷が癒えるまでリドヴィナの帰国は待つにしても、荷や人材の方はそうもいかない。事が事であるだけに、あまり仰々しい行列での帰国は避けたいとリドヴィナからの申し入れで、何回かに分けての帰国と相成った。今日、そのうちの一団がシャフィーク王国に向けて旅立つ。  当初、その発表が皇太子からあったとき、エイワーズはにわかに信じられなかった。皇太子と姫君の仲睦まじさ、姫君が折々に見せていた強さを鑑みるに、たかだか暗殺事件程度で破談になるとは思えなかった。 (やはり姫君には何か裏があったと考える方が妥当だが――)  先日、宮廷魔術師たちが一斉に何かで動いていたのは、エイワーズの耳にも入っている。だが、彼らの魔術のおかげで詳細が不明のまま。しかし関連がないと考える方がおかしいだろう。 「振り出しに戻ったか。……次はどうするんだ?」  アルトはエイワーズを見上げた。アルトはてっきり暗殺を続けるものだと思っていたのだ。だが、エイワーズは思いもよらぬ言葉を口にした。 「アルト殿下の御子を、皇太子殿下が養子に取りたいと申し出がありましてな」 「……は!?」  アルトの反応は当然だった。今の今まで敵対していたのに、いったいどういう腹積もりなのかと当初はエイワーズでさえ勘ぐった。だが一方でその申し出があったとき、何となく腑に落ちたこともあった。  皇太子と皇帝は似ていないと誰もが言う。母譲りの容姿を受け継ぎ、愚帝と称される父帝とは似ても似つかぬ怜悧さと利発さを兼ね備え、ついには感情を出さないがゆえに、感情のない人形と揶揄されるまでに成長した。だが、本当は違うのではないかと姫君がやってきたこの数カ月で、エイワーズは思った。  呆れるほどの強欲さと愛情深さ。その一点において、皇太子と皇帝はよく似ているのだ。皇帝はかつて周囲の――そして当の本人の反対さえも押し切って、亡き皇后を娶った。亡き皇后は生涯、皇帝を愛することなく皇太子を生むと同時に亡くなったが、皇帝は彼女から愛されたかったのではないかと今でも思うことがある。  そして皇太子はといえば、姫君の帰国に当たって養子の申し入れをした。それは姫君以外に花嫁を娶るつもりはないと表明したも同然である。まだ公にはしていないし、エイワーズも返答はしていないが、それほど姫君に対して誠実でありたいということなのだろう。そして姫君以外からの愛情はいらないという意味でもある。 「じゃあ、グレイはもう己の皇位継承権を――」 「諦めてはおりませんでしょう。おそらくあなたが帝位につくこともない。仮に養子の話を受け入れた場合、御子は完全に皇太子殿下のもとで育てられ、外戚の介入は一切合切排除されるかと」  だからエイワーズも即答はしなかった。できるようなことでもない。外戚として政治に介入することがない以上、エイワーズらが追い落とされることもない。皇位継承順位が定まってしまえば皇太子が生涯未婚でも問題はない。 「だが、それならお前はグレイの暗殺を進めそうなものだが」 「今は時期が悪すぎましょう。いずれにせよ、宮廷は荒れる。姫君というある種の重石がなくなれば、皇太子に自分の娘を嫁がせたい者、あなたを帝位につけたい者、様々な思惑が入り乱れる。時勢を見定めることも大切です」  エイワーズはため息をついた。本当はそれだけではないのかもしれない。姫君への愛情ゆえに、政敵にさえ歩み寄った皇太子。若いとはこうも変われることも意味するのだと。  無論すべてが変わるわけではない。エイワーズと皇太子が一生対立することは間違いないし、仮にアルトの子を養子に取ったからといって政治介入を諦めることはしない。  でも――どこか虚しさがあった。理由はわからない。暗殺者の死刑が決まったときにも同じような気持ちを味わった。勝利したのに、敗北感にも似た苦みがのどの奥を支配するこの感覚。  いずれにせよ、すべてはあの冬の頃に戻るのだ。エイワーズは黙って窓に背を向けた。
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