その夜

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その夜

 早朝、魚市場で朝一で届いた新鮮な魚を買い付ける。最近好天が続いていて漁獲量が多く、質も良く大振りの魚が沢山入っていた。おかげで普段よりも一、二割安い値段で良い魚を買えた。  店に帰って店に出すものと配達のものとを分けて、さらに注文書を片手に、氷を敷き詰めたケースに店ごとに分けて入れる。ケースをトランク、後部座席に積み、店の開店準備をしている母さんに「いってくる!」と手を挙げて車に乗り込む。車の往来の少ない通りをするすると抜けて、いつもの配達ルートを進む。今日は良いスズキが安く手に入ったから、ロランドさんに何匹か買ってもらおう、なんて考える。  得意先のホテルやレストランを回り、最後にロランドさんの店へ。裏手の駐車スペースに停めて、ケースを抱えて店の正面に回る。 「おはようございます、魚屋です!」  声を掛けるとドアのすぐ側で掃除をしていたマリィが顔を出す。 「マリィ、おはよ」 「おはよう、エメ」  マリィは魚の入ったケースをまとめて受け取って近くのテーブルの上に置く。 「今日はスズキが安いのが入ったんだけど、昼の限定メニューにどう?」  俺は残しておいたスズキ三匹を見せる。マリィがぼそりと「ポワレ」と呟く。 「マリィ、スズキならいくらでも使えるから買っておいてくれ! 金の支払いも頼む!」  シチューの仕込みをしているようで、ロランドさんは手が離せない様子だ。マリィに注文書にスズキ三匹を書き加えた合計金額を見せる。マリィはレジを鍵で開けて、中からお金を取り出す。 「ちょうど頂きましたー」  俺は業者らしく言ってみせて、お金をウエストポーチにしまう。 「じゃあ、今晩店終わる頃に来るから宜しく!」  厨房にいるロランドさんにも手を挙げて挨拶して、店を出る。と、シャツが後ろから引っ張られる感じがして振り返る。何の感情も感じ取れない、それでも惹きつけられる美しさを持った人形のような人間が立っていた。
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