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魚介スープの匂いがした。よく漁師だった父さんが作ってくれた、魚のアラを使った濃厚なスープ、「スープ・ド・ポワソン」だ。
懐かしい匂いに誘われるようにゆっくりと瞼を持ち上げる。瞬間、ここはどこだ、と現実に引き戻された。
記憶を辿り、裸で寝ている自分と今いるベッドを認識して、昨夜の出来事を思い出す。
マリィ、あいつはとんでもない野郎だった、と怒りが再燃して、足元に散らばっているはずの衣服を探す。が、ない。辺りを見回すと、小さなテーブルの上に綺麗に畳んで置いてあった。
取りに行こうと立ち上がると、下腹部に鈍い痛みが走り、思わず蹲る。昨日散々嬲られたせいだ。俺はゲイでもなんでもないのに、無理矢理……本当に散々なことをしてくれた。ぶっ殺してやる。
殺意さえ湧きながら、這うようにテーブルに近づいて手を伸ばし、汚いと分かりながらも立っている間中痛むので、地べたで服を着た。
よろよろと部屋を出ると、一階に続く階段が見える。階下から水の音や陶器の食器がカチカチと鳴る音が聞こえる。一段一段、腰に響く痛みに耐え、階段を降りていく。
階段の先は一階のレストランの厨房だ。目の前にマリィがスープを器によそっているところだった。厨房の小さなテーブルの上に、サラダとティーポットが並ぶ。奥のオーブンではパンを焼いているようだった。
俺が怒りの感情のまま掴みかかろうと思った時だった。顔を上げたマリィが俺に気付いて、目を細めて薄く開いた口から白い歯を見せて笑った。
「おはよう、エメ」
俺はその瞬間、さっきまであった怒りと憎悪が一気に吹っ飛んで、心臓がどくんと跳ねた。まずいと思って目線を外して、スープの入った寸胴を覗き見る。
どうも俺はマリィの笑顔に弱い。真っ白な肌に綺麗な金髪、海を溶かしたような蒼い瞳、整った女性的な綺麗な顔だ。だからだろうか。恋愛の経験がほぼ皆無の俺には、若い女性に微笑みかけられた記憶も殆どない。そのせいで彼を女の子と錯覚しているのかもしれない。……いや、身長が一九〇近いし身体つきは男そのものだから、それはないか。
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