Afterwordは君の手で

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 僕がそう思ってしまったのも無理はない。  まず真っ先に目に飛び込んできたのが「走る人たち」だったのだ。  Tシャツやポロシャツなど服装こそバラバラだが、数名の書庫で働くブッカームたちが汗だくで走り回っている。  なにをそんなに急ぐ必要があるのか知らないが、おそらく原因はエレベーターの前に設置された四台のプリンターだろう。エレベーターを降りてからずっと、その四台のプリンターが紙を吐き出し続けている。ブッカームたちはプリンターから出された紙を手にして、また書庫の奥へ走っていってしまう。 「小雀くん、こっちだ……おぉ、これは中々にヤバいな」  明るく笑う須磨に手招かれ、紙を吐きだし続けるプリンターのそばへ寄って行った。 「何ですかこれ」 「これは『水揚げ』の紙なんだが。すまん、ちょっと待ってくれ」 (水揚げ?)  僕には分からない言葉だらけだ。どうやらこの図書館には独自の用語がたくさん存在するらしい。  プリンターが出してきた紙を須磨は机に五つのまとまりに分けはじめた。  横で見ていると、紙には本の情報が書かれてある。須磨が用紙を分けていくそばからプリンターが紙を刷り続けるので、分けても分けても終わらない、まるでいたちごっこだ。分けた紙束が数十枚の厚みになったとき、ついに須磨は分別作業に見切りをつけたらしい。 「駄目だな。初日で悪いが小雀くん、今からさっそく仕事を実演してみせるぞ!」 「あっ、はい! 僕は何をすれば」 「とりあえず俺についてきてくれ。絶対にはぐれるなよ!」  そう言った須磨が分けたばかりの紙束を手に本当に走り出したので、慌てて後を追った。 (速い!?)  須磨は全速力だった。長身の須磨は思っていたよりかなり狭い本棚の隙間を器用に抜けていく。少し気を抜くとどちらへ曲がったのか見失いそうで、久々の運動にびっくりする体を精一杯むち打ち一生懸命全力でついて走った。 「小雀くん、ついてきてるか!?」 「はいっ!」  須磨がやっと立ち止まったのでようやく辺りを見回すことができた。  僕らが立っているのは背の高い棚と棚の間、一メートル幅の通路だ。  天井すれすれまである高い棚には本がぎっしりで、一番上の段には絶対に手が届かないだろう。 須磨は手元の紙を見て、棚から数冊の本を器用に抜き取りこちらへ渡してくる。 「すまないがこれを持っていてくれ。俺は一番上のあれを取るから」  須磨があれと示したのは僕がまさに手が届かないだろうと見ていた最上段の本だった。須磨は少し先の通路へ行き、キャスター付きの移動梯子を引いてきた。 「ああいう届かない本にはこれを使え。ただし気をつけろよ、登っている間にキャスターが時々動くからな!」  軽やかにに梯子をのぼって本を取った須磨は、腕時計をちらと見ている。 「よし、とりあえず今取った本を『水揚げ』するぞ。こっちだ!」 「あっ、あの! 水揚げって?」  須磨は小走りで移動しながら教えてくれた。 「俺たちの仕事はな、書庫からこうやって本を見つけだして上のフロアへ送ることなんだ。それを『水揚げ』と呼んでいる。上のフロアで『書庫の本を出してくれ』という依頼があると、その本の情報が書かれた紙がさっきのプリンターから出てくる。俺たちはその本を書庫から探して水揚げする」  前を走る須磨はペースを落とさず息をひとつも乱さずに説明してくれた。  情けないことに後ろをついて走る僕はもう必死だ。須磨の走るペースも速いが、なによりこの書庫が広すぎるのだ。 (どこを目指して走ってるんだよ。というか、今どこ……!?)  同じような本棚が延々と続いていて方向感覚が狂う。  棚には数字がついているのだが、それがどのような順で並んでいるのか分からない。床はずっと同じ灰色のリノリウムで、目印になるような掲示ひとつ見当たらない。  須磨は迷いのない足取りで進んでいくが、彼がいなければこのうす暗くもだだっ広い、誰とも出くわさない書庫で僕は確実に迷子だ。エレベーターの場所すら分からないので、ひとりになったら最悪ここで遭難か死ぬかもしれない。須磨は時々こちらを振り返っては、僕が息を切らしているのを見て苦笑している。 「小雀くん、意外に体力が無いな! 大丈夫か?」 「は、はい。でもっ、どうして僕ら、走ってるんです?」 「よくぞ聞いてくれた! 実はこの紙に時間が書いてあるんだが」  須磨は少しも止まることなく説明を続けた。走りながらの会話なので叫ぶような音量になっている。 「この紙に書かれた時間から、十分以内に本を上に送らなければならないんだ! よぉく覚えておくんだぞ! 『十分以内』! これが一番大切なことだ!」 「じゅ、じゅっぷん……」  それで走っていたのか。しかしこんなに走る必要があるなんて、その「十分以内」に送ることはかなり難しいのだろうか。須磨は走りながら腕時計を見て言う。 「ちなみに今のこの紙は……依頼があってから、すでに九分が経過している!」 「な、」 (あと一分じゃないか!)  そう突っ込む気力もなく絶句する。そろそろ全力で走るのも限界で、須磨が止まってくれないとこの辺りで脱落してしまいそうだ。 「大丈夫だ! ほら、もうすぐゴールだぞ!」  須磨が励ますようにそう示してきたのは、数メートル先に見えてきた広い場所だった。  回転ずしのレールを灰色に染め大きくしたようなベルトコンベアーの機械の上に、白いプラスチック製の箱が数個乗っている。  須磨は先にそこへ辿り着くと持っていた本を箱の中に入れた。 「ほら、小雀くんも持っている本をこの中へ……大丈夫か?」 「っ、はい」  僕はそう答えるのがやっとだ。指示された通りに箱の中へ本を入れると、須磨が笑顔で頷いた。 「なんとか間に合ったな! よし小雀くん、この送り先フロアのスイッチを押して『水揚げ』完了だ!」 「こ、これですかね。えっと、送り先は?」 「紙の一番上に書いてあるぞ。今もってきた本は四階行きだな、よし押そう!」  ベルトコンベアーの前にはスイッチの並ぶパネルがあり、階数の書かれたボタンがずらりと並んでいる。須磨が戸惑う僕の横から笑顔で「四階」のボタンと「決定」ボタンを押すと、ベルトコンベアーがゆっくりと動き、本を乗せた箱が壁の奥へと流れていった。 「小雀くん、これで『水揚げ』は覚えたろう? ちなみにこの機械は『搬送機(シューター)』と言って各階に設置されている。これに乗せることで本は上階へ運ばれる仕組みだ」 「はぁ……」  立っているだけでも僕の体からは汗が噴き出していた。なぜか無性に暑い。たった少し全力疾走しただけなのに情けない。現に須磨は慣れた様子で息ひとつ乱していないというのに。 「小雀くん暑いか?」 「はい、ちょっと走ったんで」  すると須磨は腕時計を見て眉を八の字にする。 「どうやらクーラーが止まったな。開館から一時間で書庫の冷房が止まる仕組みだ。これからしばらく蒸すぞ」 「えっ……クーラー、止まるんですか!?」  僕が勢い込んで聞くと、須磨は肩を竦める。 「次は昼の一時に入る、安心しろ。それまでの辛抱だ」 (全っ然、聞いてきた話と違うじゃないか!)  何度も言うが、僕の友人(と今では呼んでいいのかすら悩むが)雨宮は、前もって僕にこう説明していた。「冷房の効く、楽でおいしい暇な仕事、それが図書館である」と。けれどいざ来てみれば全然暇じゃなさそうだし、図書館はものすごく混雑していて、その上に「クーラーが入らない」労働環境である。  今は七月のなかばだ。つまり夏真っ盛りで暑いのだ。それとも今いる地下「十二階」クラスの深度になれば冷房など必要ないほどに室温が低いのだろうか。否、そんなことはないだろう、だってこの場は普通に暑い。  僕がクーラーの件で愕然としていると、本棚の合間をぬって小柄な女性が向こうから走ってきた。白シャツにホットパンツ、首に白タオルを巻いている。僕らを探しにきたのだろうか、きょろりとした目がこちらを見て、それから須磨に礼儀正しく目礼する。 「須磨主任、お疲れ様です。甲把(かっぱ)さんの指示で、私と十朱(とあけ)がしばらくこの階のヘルプに入ります」 「兎(うさぎ)くん、久しぶりだな。非常に助かる!」 「それで、どんな感じです?」 「うむ。いまこれだけ持ってる」  須磨が持つ紙束を冷たい瞳で検分した彼女は、その顔をぴくりとも変えずに頷いた。 「須磨主任、相変わらずのタイムクラッシャーですね。この量はどう考えてもひとりでは無理ですよ」 「はははっ! まぁ、気合いでなんとかなると思ったんだけどなぁ!」 「気合いで仕事が回ればあなたの部下は困りません」  ふたりの会話についていけずにただ話を聞いていると、須磨が気をきかせて言った。 「小雀くん、彼女は兎くんだ。『ヘル』から助太刀にきてくれたベテランだぞ。頼りになる!」 (『ヘル』?)  なんとなく頭を下げた僕を完璧に無視する形で、兎と呼ばれた彼女は無表情に冷たく言った。 「須磨主任、あまり時間がありませんので紙を早くこちらへ」 「相変わらずつれない! よし、じゃぁこうしよう。俺がこれだけもらうから、君はそっちの時間に余裕がある分を彼と集めてきてくれ」  須磨は持っていた紙束の半分以上を抱え込み、残りの数枚を兎さんへ手渡した。それを受け取った彼女はさすがに戸惑ったようだ。 「ひとりでそんなに? 間に合うんですか?」 「任せろ! その代わりといってはなんだが、俺が戻るまで彼にできるだけ書庫のいろはを叩きこんでやってくれ」 「私がですか。まったく、仕方がないですね」  兎さんはちらと僕の方を見て静かに頷く。相変わらず彼女は無表情なままで、けれどつぶらな黒い瞳が値踏みするように見てくる。 「じゃぁ俺は行くぞ! 小雀くん、また後でな!」 「あっ、はい!」  須磨は僕の背を勢いよくまた叩くと風のように走り去ってしまった。あっという小さくなるその背を見送ると、兎さんの平坦な声がした。 「小雀くん、だっけ? とりあえずはこの本を水揚げしに行こう。須磨主任から地図はもらったよね?」 「え? 僕なにも、もらってませんけど」 「あれ? もしかして君、今日で研修何日目?」 「初日です」  すると兎さんは舌打ちした。結構な美人が無表情で苛立っている様子は、非常に怖いものがある。 「まったく、須磨主任は本当に仕方ないね。とりあえず行こう」 「……はい」 (なんかこの人怖い)  それが兎さんへの第一印象だった。
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