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―夜中の三時に、合わせ鏡をすると、向こうに未来の結婚相手が映るらしい―
ということを中学三年の時に流行っていたことを思い出した。
「鏡が壊れる」男の声。そして鏡に映る姿。
時間は、夜中の三時。場所は、会社の給湯室。決算月の締め切り前日になって、思いもよらぬパソコントラブル。おかげで、復旧不可能の時のために手書きでデーターを起こすよう指示され、手書き作業のできる35歳以上の社員と、パートが駆り出された。
二十年前は、まだ手書きが主流でしたからね、決算報告なんてものを手書きでしていましたとも。でも、もう、そんなものすっかり忘れてしまっている。だから、時間ばかりが過ぎていく。
木下 由美の鏡に映る顔は、眠そうで、化粧がすでに乾ききっていて、ぽろぽろ落ちているように見えた。
「あ、剥げてる」
鏡に近づき、頬の剥がれたファンデーションを爪でこそぐ。腹はらはらとなんだかむなしくなるほど落ちていく。
「俺はまだ剥げてねぇ」
上目遣いに鏡を見れば、同期の門倉 静穂が近づいてくる。入社時、絶対に女だと思ったら、長身かつ、体育会系の男だったのには驚いた。
「それ―やかん―多め?」
「みんなの分のコーヒー分」
「サンキューな」
由美は再び鏡の自分を見る。
静穂が隣に並ぶと鏡に背を向け、流し台に腰かけるようにもたれる。
「あとどのくらいだ?」
「めどは立ったけど、そっちは?」
「俺のとこも、じゃぁ、あとは、田中組のとこか?」
由美は体を起こし振り返る。給湯器から見える社内では、背伸びをしているもの、まだ終わらないので手伝えと紙を振っているもの、眠気と戦っているものが見える。
「まったく、いきなり壊れるかね?」
「古いからね、うちの」
静穂はため息をつきながら、首を動かす。
「あのさぁ……ずっと聞きたかったんだけどさ」
由美が隣を見上げる。
「お前、わりと俺にそっけないよな?」
由美はそのまましばらく動かなかった。
やかんが沸き、火を止め、コーヒー―スティック利用―にお湯を注ぎ入れる。そして、部屋に持って行き、みんなに配ってから戻ってきて、
「そう?」
と答えた。
「おっせぇ」
「別に他の人と変わりないと思うけど」
「…何というかね、俺に笑わないだろ?」
由美は首を傾げたが、口角を上げ、鼻で笑った。
「そういう笑いじゃなねぇよ」
「若い子のような笑いを期待しないでくれ。もう、十分おばさんだ。同期だから、年知ってるでしょ?」
「悲しいねぇ。だいたい、それって歳の所為か?」
「性格のせいだと? まぁ、そうだろうけども」
「いや、そこまで言ってないけども。でもまぁ、そう思うぞ。楽しけりゃ笑えるだろ?」
「楽しくないから笑わないんでしょ?」
「だったら、」
「あなたが笑わせてくれる?」
静穂よりも先に由美が言った。
「お、おお。いいよ」
由美は鼻で笑い、「難しいねぇ、大人って」と笑う。
静穂は顔を赤らめ、鼻の頭を掻きながら、「そろそろ俺の気持ちというか、気づけよな」
「性格が、悪いものでね」
由美の言葉の後、静穂は由美を抱き寄せた。
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