第1章:ハトリくんの秘密

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「(やばい……っ)」 6月も下旬に差し掛かる梅雨の真っ只中。律は扉が開くと同時に電車を飛び出し、今にも降り出しそうな薄黒い雲の下を駆け抜けた。 時刻は8時15分。ホームルームが始まる10分前。 クラス委員長を務める律は入学してからこのかた、1度も遅刻をしたことがない。 それが今日に限り、設定しておいたアラームが鳴らず、目が覚めた時には既に7時30分を超えていた。 理由は簡単。スマートフォンの充電忘れだ。それから慌てて制服に着替え、家を飛び出して電車に駆け込み、今に至る。 真面目で勤勉。生活態度、成績共に優秀で、クラスの過半数の推薦を受けてクラス委員長に任命された。 そんな生徒の鏡とも言える優等生が、遅刻なんて許されない。 律は一日分の体力を全て使い切るつもりで、学校へと続く坂道を駆け登った。 「間に合った……!」 校門を通り抜け、校舎に設置された時計を見上げて安堵のため息が漏れる。 ホームルームまで、あと7分。どうにか遅刻は免れそうだ。肺に無理やり酸素を送り込み、むせそうになるのをどうにかやり過ごす。 急な運動のせいで火照る顔を手で仰ぎながら昇降口に入った律は、下駄箱の前に人が立っていることに気付いた。 柔らかそうな色素の薄い髪。少し心配になる程の不健康そうな白い肌。男子にしては小柄で線の細い体つき。学校指定のブレザーの下に紺色のパーカー。首にはヘッドホンを引っ掛け、口から飛び出している細長い棒はおそらくキャンディーだろう。 律はこの人物を知っていた。彼は同じクラス、それも隣の席の羽鳥楓だ。 彼はいつもホームルーム直前に教室に入ってくる。 しかし、誰かと話をしたり挨拶を交わしている姿は見たことがない。自分の席に座るとすぐにヘッドホンを耳にあて、机に突っ伏してしまうのだ。 まるで、誰も自分の世界に入ってこないよう見えない壁を作っているみたいに、その空間には誰も近寄らない。 ホームルーム中もずっとそんな感じだが、何故か担任は注意もせず、彼がそこに居ないかのように振る舞う。もしかして楓の姿が見えているのは自分だけなのではと時々錯覚してしまう。 そうしてホームルームが終わると、彼はおもむろにふらりと立ち上がり、教室を出ていく。放課後、カバンを取りに戻って来るまで彼は教室に姿を現さない。 そんな彼が、スニーカーを指先にぶら下げたまま下駄箱の前に立ち尽くしているのを、律は不思議な感覚で見つめた。 顔にかかる前髪のせいか、表情から考えが読み取れない。無表情にも、どこか苛ついているようにも見える。 律は他の生徒と同様、楓が見えない振りをしてその場を通り抜けようとも思った。 だが彼の下駄箱の真下に自分のシューズが入っており、退いてもらわないことには教室にも行けない。仕方なく、声をかける事にした。
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