4章:ハトリくんのとなり

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4章:ハトリくんのとなり

「りっちゃーん、やっぱりダメだったー」 教室が少しずつ騒がしくなる、ホームルーム前の教室。 律の親友である希美は、ずいぶんと落胆した顔で律の机に突っ伏した。 「ごめんね!私の運が悪いせいでごめんね……!」 じたばたと手足をばたつかせる希美は今にも泣きだしそうだ。 律は希美の頭を撫でて慰める。最近恋人になった楓は犬っぽい所があるが、こちらもなかなか小動物感が強い。 希美が握りしめたスマートフォンには、『9月公演の入場券販売に伴う抽選結果のお知らせ』と件名のついたメール画面が開かれていた。 9月公演、というのは9月の最後の週に行われる舞台公演のことだ。 主演は藤堂真澄。最近はテレビでも引っ張りだこの有名舞台役者だ。 そして、それは律の憧れの人物にして理想の男性像。要するに大ファン。 律は秋の公演を見に行きたくて、ずいぶんと前から舞台のチケットを狙っていた。 しかし、観客を魅了する繊細かつ鋭い演技力と紳士的な人柄からか、最近は人気が出すぎて入場券の販売は全て抽選で行われるようになってしまった。 当選確率は4倍以上。むしろ当選する方が奇跡というものだ。律は万が一の希望をかけて希美と母に抽選への参加を頼んでいたが、自分の分を合わせてみても結果は惨敗だった。 「仕方ないよ。真澄さん人気、どんどん上がってるもん」 親友の願いを叶えられなかったことを悔やむ希美に声をかけるが、彼女の落胆ぶりは律より激しく、しまいには何が希美だ、と自分の名前までディスり始める始末だ。こうなると希美は、立ち上がるまでにかなりの時間を要する。 どうしたものかと悩んでいると、ホームルームが始まるギリギリの時間に楓が滑り込むように教室に入ってきた。 「あ、おはよう羽鳥君」 「おはよ。何それ、朝からうるさいんだけど」 楓は希美を指さし、鬱陶しそうに顔をしかめた。親友をそれ呼ばわりしたことはともかく、律は現況を楓に説明した。 「委員長って、藤堂真澄好きなの?」 「あ、うん。格好いいよね」 楓の質問に一言つけ加えて答えてからしまったと後悔する。男に男を格好いいよねと同意を求めたところで、彼を困らせてしまうかもしれない。 しかも彼は芸能人だのテレビだのと言うものに興味がないように思える。 じっと律を見つめるあたり、それを仄めかしているようで何ともいたたまれなかった。 とりあえず謝ろう、と口を開きかけたところで、うつ伏せていた希美ががばっと顔を上げた。そうしてそのまま、楓を敵意の篭もった目で見据える。 「羽鳥楓!りっちゃんと朝から会話していいなんて誰が許可した!この前りっちゃん泣かせたこと忘れたんじゃねぇたろうな!お前なんかぬらりひょんじゃねーわ!お前なんかスネコスリで充分なんだよこの三下妖怪!」 「のんちゃん、朝からクラスメイト捕まえていきなり妖怪はまずいって。ていうかスネコスリって何」 それも、サトリと妖怪の名前をあだ名につけられて少なからずそれを気にしていた楓が相手では余計に。 だが楓は、ちらりと希美に向けた視線をすぐに律に戻した。 「その舞台のチケット、多分取れるよ」 希美を空気のように扱った。ここは親友として、怒るべき場面なのだろうが、律はそれよりも彼の吐いた言葉に惹かれて身を乗り出した。 「えっ、何で?」 「ちょっと、ツテがあって。ただVIP席になるから近すぎて逆に見にくいと思うけど」 「VIP席!?」 VIP席と言えば、舞台やキャストの関係者が座れる、ステージから最も近い最前列の席だ。なぜ楓がそんなすごい場所の席を確保できるのか、律にはさっぱり分からない。 「確か、今週帰ってくるって言ってたよな」 楓は何かを確認するように呟いた。そしてまた律を見る。 「今週の土曜日、家に来て。その時に渡せると思うから」 「えっ、え、本当に?」 「こらスネコスリ!お前りっちゃんを家に上げようなんて1000年早ぇぞこの、」 「うるさい」 あだ名をぬらりひょんからスネコスリに変えたらしい希美が必死に楓に食ってかかる。 そう言えばタイミングが見つからず、まだ二人の関係のことを彼女に話していなかった。楓に一括されると、希美は救いを求めるように律に縋った。 「りっちゃん!こんな奴のこと信じちゃダメだよ!これは絶対罠だよ!家に行ったら速攻部屋に連れ込まれて食われちゃうよりっちゃん!」 「大丈夫だよのんちゃん。羽鳥君はいい人だよ」 「りっちゃあん!!」 まるで聞く耳を持たない律に、希美は半泣きだ。しかしそこでホームルーム開始のチャイムが鳴ってしまい、彼女は恨めしそうに楓を睨みつけながら自分の席へと戻った。 「何なのあれ。うるさ……」 「悪気はないの。根はとってもいい子なんだよ。話してみれば分かるよ。あ、一緒にお昼ご飯食べてみない?」 「……やめとく。昼休みの平穏が失われそうだから」 疲れたように呟き、ヘッドホンをかぶる楓。3人で仲良く昼食、という夢はまだまだ遠そうだ。
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