詩音、足を踏み入れる

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 養護の塚田先生を呼んできた時には、すでにコバヤシさんは立ち上がって、白いハンカチで涙を拭いていた。  発作はすっかり収まったらしい、心配する先生に 「ひとりで帰れますから」  と涼しい顔で言ってから軽く会釈すると、カバンを取り上げ、靴を穿く。  最後にかすかに、私の方に余分に目線を止めたような気がした。 「何でもなくてよかったわねえ」  塚田先生は一言明るくそう言い残し、保健室に帰っていく。  それも見送ってから、私は彼女の靴箱にさりげなく目を留めた。  23HRの列、『小林想亜羅』と書いてある。  コバヤシ・ソアラ? そあら先輩……私は口の中で繰り返した。  なぜか急に、頬がかあっと熱くなる。私は両手のひらで顔をはさんだ。  耳たぶにはまだ、生々しい爪の感覚が残っている。  むず痒いような、心の奥底をざわつかせる感覚。  黒い瞳の濡れ色が鮮やかによみがえり、耳と同時に胸にずきん、と痛みが走った。  つい、つま先立ちになる。背筋を温めの快感が駆け下り、私は軽く身をよじった。 ……どうしちゃったんだろう? あの人の目ばかり、思い出してしまう。  遠くで急に調子外れのブラスバンドが鳴り出した。私ははっと我に返る。  夢がさめたように、頬を強くこすってから自分のリュックを持ち上げた。
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