詩音、足を踏み入れる

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 その日、夕飯も終わりお風呂も済ませ、今日のテレビは全て録画にしておいてから、私はいそいそとPCの前に陣取った。  学校からの帰り、実は何度もスマホに手が伸びかかったんだけど、どうにか夜まで我慢していたのだ。 「えっと、まずは『セル会員』は」  検索しても、びっくりするほど何も出てこない。映画館であの『威力』をみたばかりなのに。 「あーあ」  私は大きく伸びをして、またPCに向き直る。片隅の時刻をみて 「やば」  小さく叫んでしまう。  十時過ぎから検索にすでに四時間も費やしていたのに、まだ全然たどり着いてはいなかった。  日曜日の明日は、テニス部のお試しに行くつもりだったのに。  レギュラーになるためには入学してすぐ部活に挨拶に行って、どんどん練習に参加した方がいいに決まっている。  でもテニス部にはまだ挨拶に行っていない。早く行かなきゃとずっと思っていたのに。すでに4月の中旬には、コートの隅には何人もの新入生が球拾いをしている姿がみえて焦った。  それに山のような宿題も。 「やっと入れた学校なのに」またママに言われてしまう。 「ミホちゃんと同じ所に入りたい、ってあんなに受験勉強頑張ったのに、それは認めるけどね」  続く言葉は決まっている。 「入ったから、って安心してたらアンタみたいな子はすぐに置いて行かれちゃうんだからね、ちゃんと勉強しなさいよ。大学に行きたくても私立なんかにはやれませんからね」  勉強していないわけではない、それなりに頑張っている、いつもいつも。  ただ気になることは放っておけないだけだ。  ぎゅっと目をつぶって頭から雑念を振りはらう。  そう、今はとにかくこれ一本に集中しよう。  ふと頭を上げた時、目の前に並んだ教科書が目に入った。白い紙片の端がのぞく。  あっ、と思い立って紙を引き出した。  このアドレスを試してみようと思っていたんだ。  入力して、リターン。 「やったぁ!」サイトのトップページについ大声で叫びそうになり、慌てて口を押さえる。 『イヤーエイカーズ   あなたは私たちの大切なセル  あなたにとって大切なものは何?  イヤーエイクでその答えをみつけましょう』  ほら、やっぱり私だってやればできるじゃない? ひとりでも。  たどり着いた喜びでついニヤついてしまう。  何だ、あの紙はやっぱりそあら先輩がくれたのかな? 「みんなで幸せ探し!」みたいな、宗教? アヤシイ団体なのだろうか。でもサイトは可愛い感じだ。 ―― あの目。  じっと、そのパステルカラーのサイトを見つめる。  違う、何かが違う。  サイトの爽やかな感覚と、映画館の前の女、それに先輩の目の暗さとのあまりの相違。  いや、暗いというのとは少し違う。うしろめたさ、というのか何かを隠し持っているうしろ暗さというのか、その上、  闇に沈んだ一番底に、蜜の詰まった瓶を隠し持っているかのような…… 「どうしよ……」   すぐ思いついた、ミホに相談してみようか?   さすがにもう起きていないだろうか、でもラインくらいはしてもいいよね?   すぐにスマホを取り出す。ミホ、そしてルネにもついでに話してみよう。二人のアイコンを確認した。  しかし、アイコンの三毛猫とポメラニアンのイラストを見た瞬間、スマホを放り投げた。  駄目だ。  何故だろう、この二人に話してはいけない、そんな気持ちが膨れ上がるマグマのように急激に押し寄せてくる。  これは私だけの……秘密。  唐突にミホの声が蘇る。「どうでもいい?」  あの言い方、何だかとても冷たかった、感情を込めない平板な発声。  まるでいつものミホと全然違う、そう、シオン、アタシに従うのは当然じゃないの? という感じの。束の間、本性を垣間見たのだろうか?  もしかして演劇部に入りたくない、と言ったのを面白く感じていないのでは?  シオン、遠慮しなくていいよ、テニスいいじゃん、頑張ってよ! 試合出るようになったら観に行くからね! そうはしゃいだ声で肩をぽん、と叩いてくれたミホ。  試合出るようになったら……  よく考えるとこの言い方もヘン。この学校のテニス部、男女ともレベルの高いの、知っているくせに。皮肉だったんだろうか。疑い出すとキリがない。  それにルネ、彼女もよく分らない。  いつもニコニコと相槌をうって人の話を聞いてくれる、でも、本当にそれだけで気が済んでいるの? あんなに可愛い子が私たちの煩いおしゃべりをただ単純に楽しんでくれているなんて、本気で信じられる?  表面的には、もっとミホやルネたちと色々楽しみたい、何でも共有したいと感じている。  でも、何でもかんでも相談してしまっていいの?  あんな目つきをさせる何かを、軽々しく共有していいんだろうか?  どうせ表面だけのつき合いになるかもしれない人たちに。  そうだ、そあら先輩にもっと色々聞いてみたらどうだろう? 何と言っても当事者だし……  それにあの耳たぶを掴まれたときの、痺れるような気持ち。  黒く長いまつ毛の下に濡れたような煌めきを隠していた瞳。  でも、あれから学校には来ていないし、自宅もどこか分らない。  これは……そう、まず自分で調べて、もう少し深く知ってからにしよう、友だちに打ち明けるのは。それからでも遅くはない。怪しいと思ったら、いつでも引き返せばいいんだしね。  そうして、私はひとりで先に進んだ。
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