詩音、足を踏み入れる

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 焦ってもう一度『戻る』を押した。  画面は動かない。  さらに焦って何度か同じボタンをクリックしてしまう。  画面が暗くなった。警告ウィンドウが開いている。 『システムが不安定になっています。しばらくお待ちください』 「どうしよ」  私は機械にうとい。つい、両手を浮かせてPCから身を離してしまった。  このまま動かなくなったら、それもそうだがようやくここまで辿りついていながら、登録の機会を逸してしまうことになれば。 ドキドキしながら待つこと数秒、ぱっ、と画面は元のサイトトップに戻った。 「よかったぁ」  すでにじっくり読みこんであるのでそのページを見直すこともせず、次画面に進む。  また入力画面に戻れた。  今度は迷うことなく、頭から必要事項を埋めていった。  まずは住所、氏名、生年月日、性別、電話あるいは携帯番号……  簡単な入力が続く。とにかく、機械的に空き項目を埋めていった。  最後のさいごに、この質問があった。 『あなたが一番大切なものは何ですか?  もしくは  あなたが一番、大切な人は誰ですか?』  まともに答えるべきかどうか、指が止まった。特にない、と書いてしまおうか。よし。 『特になし』  エンターキー。しかし 『その回答は無効です』  赤い警告文字が出た。  じっとそのままの姿勢で考える。  大切な人、それは一杯いる。パパ、ママ、弟のレイジ、友達のミホ、近ごろ友情街道にて人気赤マル急上昇中のルネ。福井のおばあちゃん、従姉妹のカズサ。  でも、どれも何となくしっくりこない。  いっそのこと、ぬいぐるみにしてみようかな?  幼稚園の頃買ってもらったモフモフなわんこのぬいぐるみ。『よのすけ』と名付けてずっと大切にしている。ふり向いてベッドサイドをみると、いつものようによのすけがちょっと情けない八の字眉毛でこちらをみていた。  その目つきにきゅん、となって、つい空欄に『ぬいぐるみのよのすけ』と入力してみた。  エンターキーを押そうとして、思い直す。  何か幼稚かなあ? それに……  物にこだわることは、ないんだよね? 『大切なものは何ですか?』  形にならないものは、どうだろう? 色々と頭に浮かべる。  浮かんでくる事がらは、充実した中学校生活のさまざまなシーンだった。  試験の前には塾で猛勉強した、夏休みには学習センターに行ってたミホやハルカたちとジュース飲みまくってガリ勉したし、息抜きには市民プールに行ってミホとはしゃぎまくって監視員に叱られた。  部活でも、ダブルスで中学最後の県大会でベスト8にまで勝ち残った。  どれもこれも大切な思い出。そしてそこにはいつも、かけがえのない友人がいた。  やっぱり、私にはミホが必要なんだ。  いったん『親友の未歩』と入力して、更に思いをはせる。  大切なのはミホ自身ではない。もしかしたら彼女は私のこと、たいして重要には思っていないのかも知れない。聞くのは怖い、でも、近ごろの様子をみているとそんな気もするし。  大切なのは、そう……私は入力画面に文字を追加する。 『親友の未歩と過ごした中学三年間の思い出』  エンターキーを押す。  今度は、すんなりと通った。一拍置いた後に画面に文字が現れた。 『登録完了しました。ありがとうございます。  仮登録につきましては、メールにて確認内容をお送りします。  本登録には、更に追加の手続きがあります。ご案内を順次お送りしますので、いましばらくお待ちください』  いつの間にか、息を詰めていたらしい。 「はあああっ」  つい、長々と息を吐いた。  やっと眠れる、それしか感じなかった。
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