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頭を殴られたかのようなショックだった。
「な……ッ!」
ついよろめいて脇の植物に手をついた。
鉢がぐらりと傾いて表面の顆粒になった茶色い土が数粒、零れ落ちた。
「ああ、気をつけてくださいね」
事務員さんは心配そうな言い方で腰を浮かす。
「その鉢も、会員さんのご寄附なんです、独り暮らしのお婆さまだったんですが、温室一杯の観葉植物が宝物という方がいらっしゃいまして」
あわてて幹から手を離し、おそるおそるあたりを見回してみた。
確かに、ふつうのオフィスよりも緑の割合がかなり多い、しかも植物園のように、あまり見たことのないような草木もいくつか見ることができた。どれもとても威勢がよくて、それだけ見ればこのオフィスがいかに快適な空間であるかという雰囲気を醸し出していた。しかし
「寄付……?」
「ええ」
事務員さんは少しだけ面を伏せた。
「その方は猫ちゃんを選ぶか植物を選ぶかかなりお悩みになってらっしゃいましたけど」
「あの……猫をもし選んだらどうなるんですか? その猫は」
可笑しそうなクスクス笑いが聞こえる。
「さすがに、オフィスでは猫ちゃんは飼えませんからね」
「ですよね……」
事務員さんが続けてさらりと口にした、その言葉がにわかに信じられず、え? と聞き返そうとした時ちょうど後ろのドアが勢いよく開いて、思わず飛び上がった。
「えと、」
白いワイシャツをぴしりと着こなし、グレイのズボンが折り目正しい、かなり背の高い男性が風を巻き起こして中に入ってきた。
「アナタが、ライムさん?」
「あの……」ようやく声に出せた。「退会をしたいと思ってて」
「何ですって」
「思い出を、寄付するなんてそんなこと……」
特にびっくりした訳でもなさそうだったが、それでもどんぐり眼をぐり、と見開いてみせる。
しかしその目をすぐに細めて笑う。
「大丈夫ですよ」
電話でも何度か聞いた言葉だった。
「そんなに深刻に考えるものでもないですから。案外それについて思い出せなくても、何とか日常はつながっていくもんなんですよ」
「あの……親友との思い出なんです」
「その方はもう亡くなってますか」
「いいえ」
真剣に見つめる男の目に、ついドギマギしてしまう。
「中学の三年間の思い出と書いたんですけど、その親友とはまた、高校でも同じクラスで」
「なら全然問題ない」
妙に自信満々な言い方に、少しだけふり向いて事務員さんの方を見た。彼女はすでに、パソコンの入力に余念がないようで、こちらには少しも注意を払っていなかった。
「中学で上手くやってこられたような間柄ですから、思い出が無くなってもまた、新しくその子と友情をはぐくんで行けばいいんですから。大丈夫、きっとまた仲よくなれますよ、というか、中学の時以上にもっと仲よくなれるでしょう」
「……でしょうか」
「中学で同級だったという記憶は残るはずです、だからとりあえず話のきっかけは掴めますよ」
「相手が……ヘンだと思わないのかなあ」
「問い詰められたら、記憶がなくなったと答えれば? そういう方もいらっしゃいましたよ、熱が出て記憶があいまいになった、と相手の方に説明されていました……じゃ、行きましょうか」
急に気分を切り替えたかのようにぱっと顔を上げたヒガキ、ドアを開けてふり向きながら声をかける。
「こちらのお部屋にどうぞ、ついて来てくださいね」
ドアを閉めようとした時、ちょうど顔を上げた事務員さんと目が合った。
彼女はにっこりと笑ってみせる、また日が射して、その顔を明るく照らした。
それだけで、笑顔は最初に見た時と同じく、とても無邪気にみえた。
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