カステラ

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『カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは・・・』  すでにVHSとの企画争いに惨敗していたベータマックスのビデオデッキが唸る。砂嵐だったブラウン管が明るくなり、運動会の徒競走によく使われる『天国と地獄』に乗って白熊とも白猫ともつかない着ぐるみを着た五体のマリオネットが高々と足を上げてフレンチカンカンを踊る。するとそれまでぐずっていた乳児たちが泣き止み、母親はようやく心を休めることができた。 転属(民間企業でいうところの転勤)の多い自衛官と資格さえあれば全国どこでも仕事にあぶれない看護婦、ありふれた組み合わせの二人が夫婦となって五年。不妊治療の甲斐あって授かったのは女の子ばかりの三つ子だった。  未熟児、今で言う低体重児として産まれた三人は体が弱く、一人が泣き出すと他の二人も共鳴するように泣き出した。昼夜を問わず。  三つ子の父親は横須賀市久里浜の官舎を空けることが多く、両家の祖父母の手を借りながらの育児ではあったが、最後は母親の双肩にかかってくる。赤子を抱える腕も、おっぱいも二つしかない。せめて眠る時間くらい確保しなくては育児ノイローゼまっしぐらだ。  24時間、親の都合など一切考えずに泣きわめく乳飲み子たちの癇の虫がぴたりと止む瞬間があり、そのきっかけに気づいたのはある暑い夏の日だった。  誰もが聞いたことがあるカステラのCMソングがTVから流れていた。あまりに聞き慣れていて気づかなかった。  すぐさまその会社にいつCMが流されているかを問い合わせた。本店の電話番号の下四桁が0002、電話は二番、の意味もこの時に知った。あまり受けない類いの問い合わせだったらしく、何回かたらい回しにされたのはイライラしたが、最終的に該当するテレビ局と時間帯を正確に伝えてもらい録画に成功した。  15秒のCMを何度も巻き戻し、再生すると泣き声が寝息に変わった。  どうしてカステラのCMなのか、母には思い当たるふしが一つだけあった。  妊娠をすると酸っぱいものが食べたくなると聞いていたが、彼女の場合はつわりが終わると妙にカステラが食べたかったのだ。甘いものは嫌いではなかったが、それでも毎日のようにスーパーで一本買ってきては、それを丸ごとかじるのだ。自分でも恐くなったが、体が求めているならそれに従うしかなかった。それが出産を機に見向きもしなかった。  お腹の中の子供たちが食べたがってたのでは、という仮説が生まれた。  秋に入って、生後百日のお食い初めがあった。鯛や赤飯といった食事の中に母親はカステラを並べた。下の歯が生えたばかりの口に運ぶと、三人が三人とも、誰に教えられたでもないのにおいしそうにかぶりつく。母の仮説が確信に変わった瞬間だった。
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