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今日もまた。
なぜ遅刻者は社会から「悪」と思われるのでしょうか?
現代文化で時間やカレンダーを作り出したせいだと僕は想う。
アイヌや先住民達は、1年は365日という概念がありません。
現在でも、現代文化に触れていないアフリカの少数民族も同じく、その概念を理解していません。
朝日が昇り、夕日が沈み、眠くなれば寝る。
そんな社会でも良いのではないでしょうか?
今も沖縄の島国の人々では、時間という概念がおおざっぱであることは誰もが知っている。
社会人なら時間を守れて当たり前。
大勢の人に迷惑をかける。
時間で労働時間を支配されているのだからと大人はいう。
誰が決めたのですか?
素朴に疑問に想うのです。
時間という概念を持ち始めたのは太陽暦がローマから世界に普及したのが始まりである。
ローマは一日にしてならずという言葉の通り、すべての道はローマに通じている。
恨むならローマ文明を恨むべし。
タイムスリップでもして、太陽歴をぶっ壊したくらいだ。
また、日本には中国から中国歴が伝わってきたのが最初だ。
それまで、時間と日付という概念をもち合わせていなかった。
また、睡眠障害や発達障害の人の話をよくテレビ観る。朝が苦手であるのが特徴の一つにある。
昔からそんな人達は、地道な努力とはったりで成長してきたのである。
身体障害のためのバリアフリー化は進むが、朝に弱い人のためのバリアフリー化はどこにあるものか……
そんな、はったりが通用する世界。
日本社会は想像しないのか。
あるお金持ちの人は、時間はお金で買えると豪語している。
なんの偉業を達成したかわからない偉い人が遅れても、右手を挙げて頭をころり傾ければ、すべて丸く収まる。
少しトラブルがあってねと、お金を持っていれば、すべて丸く収まる。
では、遅刻常習犯の僕はお金持ちになったらすべて許されるのでしょうか、
自分のいる環境・人間関係が大きく関係してくる。
拘束時間を労働と考える時給計算と労働制度。
小学生と中学生は何も考えず暮らしている義務教育。
信用を投げ捨ても一緒にいてくれる仲間達。
僕にはどのくらい関係しているのだろうか……
時代が変わり廻り続けようとも、「令和」時代になろうとも----
お布団の中で、ぬくぬく。ぬくぬく。もう少し、もう少し、
僕は、寝続ける夢を夢で夢中に見ていたい。
「あ、こんな時間だ。」
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