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この町に雪は降らないけれど……
ストローの先をおおきな前歯でかみしめ、惜しそうに僕の口元を見つめる。
たとえば、こんな風に彼女と向きあう経験がなければ、気恥ずかしく目を逸らし、動揺を隠してこの場をやり過ごしてしまうのだろうか。
「ふしぎと思わない? 電話をかけて5分でわたしをさらいに来てくれる男は決して彼じゃないのに」
さんざんいじったあげく、ひしゃげたストローをつまみあげ、飲み終えたみたいにテーブルの隅へ追いやる。
舌から迎えにいったレモンティーは紅い頬に含まれると、彼女のちいさな唇をわずかに濡らした。
「この前もずっと楽しみにしてたデートの約束すっぽかして何してたと思う? 『旧友が久しぶりに会いに来たから、ごめん』って。真正面から愛情に割り込んでくる友情ってどう? それって本物の友情?」
僕はあきれた風に『偽物だとも思えないけど』と、つめたく彼氏の肩を持つ。
「ふーん、そんなもんなんだ」
共感や、ましてや罵倒なんかじゃなく、何より彼女自身がそんな力ない相槌を求めているのだ。
「それとね、仕事を優先するのはわかるけど、恋愛至上主義だって魅力的じゃん? 夜中の2時に会いにいっちゃうようなそんな関係。翌日、朝から大事なプレゼンを控えてるんだけど、彼女には何も言わないの。『10分だけだぞ』って、頭を抱きしめてくれるの」
そんなことがあったのかなかったのか、彼女は目を細め、にやけて喋り続ける。
「だけど、彼はそういう不器用とも取れる器用な部分がないんだよね。結局はいつも、わたしが翌朝のプレゼンを察して我慢するの」
ひとしきりの主張に対し僕は『君は、えらいね』と、口を尖らせる彼女を褒めてから、月曜日の23時に彼女に会いにきている自分を見つめなおす。
3つも年上の女性のために車を用立てることをいとわない自分の姿がなぜか滑稽で、かっこつけているこの瞬間さえ、本当は、彼女の無邪気な瞳に見透かされているような気にもなる。
わがままな女性を叱咤すれば、この人は今以上に恋が上手になるだろうか。そこを直せと力強く諭せば、彼女は年下の女に熱をあげない冷静な大人の男性と肩を並べ、同じ目線で日々をともにしていくのだろうか。
あるいは、気立てのいいふりをした年下の男が背伸びして理解者を装い、手の届かない魅力的な大人の女性のわがままを受け入れるだけで、何一つ進展のない日々を過ごしていることを揶揄されたなら、僕は、他の誰かを好きになれるだろうか。
「わがままな女の子って、やっぱり男はみんな嫌い?」
『女の子』という言葉すらどこか僕を見くびっている節があるけれど、『そうでもないよ』という慰めに、彼女は満足げに笑ってみせた。
雪の降らないこの町で、ありふれた失恋に打ちひしがれる彼女を見かけたのはもう2年も前のことだ。
あのころからこの人は、年上の男性に惚れこんでは身勝手が通らないことのもどかしさを我慢できない女性だった。
でも、彼女の口から聞かされる彼氏像はたいてい思いやりがあり、情の深い、恋人にするにしても友達にするにしても勿体ないほど芯のある大人の男だった。だから、彼女に我慢を強いていたのはあくまで社会的な制約であり、付き合ううえでの最低限のルールのようなものだった。
寒いだけの12月がこの町に腰を据え始めたころ、彼女は出会ったばかりの僕をうっぷんの捌け口として雇い入れ、代わりに、年下の男に誰にも見せない弱い自分をさらけ出すことを決めた。
理由は? と訊かれたら、当然のように僕が彼女を好きなことと、彼女が僕の気持ちに甘えようとした気まぐれが挙がるのだろう。
そうして僕は、彼女の期待を書き写したような男友達をまっとうし、好きでもないレモンティーに手をのばす。
「でも、このままいったら、冬までにはまた失恋かな。続かなそうな気配、大ありだよ」
そう言って、伏し目がちにうなだれる。
「がんばりなよ。どうしても無理だったら、また2人で淋しいクリスマスパーティーでもしようよ」
僕の提案に、えぇ~、またぁ~、と彼女はおかしそうに顔をゆがめる。
グラスに残った粗い氷を喉に流しこみ、彼女は唐突に『ちょっと眼が渇いた』なんて目薬を要求してくる。『はい、どうぞ』と手渡すと、二十三時に目薬を持参している僕の周到さはまったくの無視で、『はい、ありがと』とぶっきらぼうに返すだけ。
わがままを当たり前にこなす年上の女性。
でも、仕事なんてそれほどできなくてもいいから、こういうことを億劫だと思わない彼女の特別な人がいつか現れたらいいのにと願わずにはいられない。
この町に雪は降らないけれど、寄り添う季節にあなたののろけ話も聞いてみたい。
そしたら、僕はその人の悪い部分もちゃんと伝えてあげる。
そして、君のことを好きだったときもあるんだよと強がったうえで、君の恋を心から祈ってあげるから。
だから、せめて、このレモンティーは君の奢りでどうですか?
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