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なんだかもう立っているのも億劫で、しゃがみこんで、両手で顔を覆ってみる。次の瞬間には大粒の涙がぼろぼろとこぼれてきた。
どこまでも真っ暗で、どこまでも鉄臭い暗闇の中。自分でもびっくりするほどくぐもった声で、私は泣いた。
どうして自分だけがこんなにも不幸なのか。誰に文句を言えばいいのかもわからなかった。
クスリで壊れてしまった母親、そのオトコは酒を飲んでは暴れるサイテー野郎。もの心ついた頃から、私はまともな人間に出会ったことがない。
暴力と暴言。タバコの匂いと、ガラス瓶の割れる音。そんなものしか私は知らない。もしも心に色がついていたなら、私の心は汚いヤニの、煤けた黄ばみ色をしているだろう。
何度も、何度もチャンスはあったはずなのに、大人たちは私を救ってはくれなかった。何かと理由を着けては、私は家に送り返された。その度にひどい目に遭った。
私の人生はどこに向かっているのだろう。
逃げ道なんてもうどこにもなくて、悪い大人たちにすり潰されるだけの人生が待っているんじゃないかって、本当は分かってた。
「ダイジョーブ?」
誰かの手が、震える私の薄い肩に触れる。
「…………」
私は返事を返さない。
浮ついた男の、独特な発音。顔を上げなくたってわかる。金髪で、鼻にまでピアスをしたような男が、私に触れているのだ。私は知っている。これは同情や優しさなんかじゃない。こいつらの目的は、女子高生の体。それだけ。もっとも、頬に傷を作った、涙でぐずぐずの女を抱こうと思うかどうか、だけれど。
わかっているのに。
誰も、助けてはくれない。全部、全部わかってる。
だけど誰かが、そう例えばこの人が、どうしようもない泥沼から私を掬い上げてくれるんじゃないかって。
無視していればいいものを、それでも期待してしまう。
私は、暗闇でもがく細い腕。
温かい誰かの手を、求め彷徨う白い指。
そっと顔を上げてみた。
「…………」
やっぱり。思った通りの男がそこにいた。派手な、ホスト風の明るいシャツに、黒いベスト。張り付いたような気持ちの悪い笑み。私にとって更に最悪だったのは、男が1人ではなく、3人もいたということ。誰も彼も、まともな人間じゃないのはすぐに分かった。だって、母親の再婚相手と同じ目をしてるもの。
男たちは私の顔を見て頬を弛めた。明らかな好色の目。女性を売り物か、おもちゃとしか思えない、差別の目。
「……大丈夫、です」
私は男たちの間を縫って、繁華街の大通りの戻ろうとする。
しかし、男の中の一人が私の腕を掴んだ。
「ケガしてるやん? ちょっと休憩してったら?」
私は自分の頬が引きつるのが分かった。こいつらの言う休憩って、ラブホテルのことだから。こいつらは、ケガした女の子をラブホテルに連れ込んで、どうするつもりなのだろう。
3人で好き放題犯して、その様子をビデオに撮って脅す?
「このビデオをネットに上げられたくなければ、言う事を聞け」それで、その後はこいつらのやってる違法風俗店で働かされるの?
簡単なパズルみたいに、容易に想像できる。
冗談じゃない。だから私は、この誘いには乗らない。
「いい……です」
腕を振り払って、足早に立ち去ろうとする。しかし、今度は金髪ツーブロックの男が道を塞いだ。
「いいの? やったーー」
私が拒否したのなんて、分かってるはずなのに。男はまた私の腕を掴んで、抑揚の極端に乏しい声で続けた。
「じゃ、ちょっと休んでいこうよ」
「いや……いいです。やめて……」
「いや、いいんやろ? だったら行こうよ」
私をからかって、男たちは笑った。絶対に、逃がすつもりはないらしい、と思った。
「いや、です……警察呼びますよ……」
ウソだった。私は携帯電話を持っていない。
でも、その一言で男たちの顔は豹変した。
「……は?」
金髪メッシュの男が低い声で唸る。
「お前、ナメてんのかよ……」
「い、痛っ……」男は私の腕を捻りあげて、大きな声を出した。「オメェが『いい』っつったんだろうがよ!」
私は委縮してしまって、何も言えない。男は耳元で「何とか言えよ、あぁ!?」と耳鳴りがするほど大声で脅してくる。脚が震える。壁に押さえつけられ、両手をバンザイみたいに上げさせられた私は、小さく首を振ることしかできない。
3人の男は、こんなにも弱い私にとっては、恐ろしい3匹の狂犬だった。
あんなに泣いたのに、また涙がこぼれてくる。
「な? ちょっと休憩していくだけやん」
さっきまで私を怒鳴りつけていた男が、私の頬を撫でてウソみたいな優しい声で囁いた。
いやだ。いやだ。いやだ……。でも、もう……。
逃げられないよ……。
ひっく、ひっくとしゃっくりを繰り返しながら、私は小さく、頷いた。
「ヒュー! やったぜー!」
男たちが騒いでいる。その中の一人が、なれなれしく私の肩に手を回してきた。
「じゃあ、いこかー」
私の細い身体が揺れる。涙がまた、頬を伝った。
ねぇ、お父さん。
ツラいとき、苦しいとき、いつも慰めてくれた、想像だけのお父さん。
会ったこともないお父さん。
私、もう生きてるのしんどいよ……。
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