くちびるに恋④

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「葉司がいるからって、表からこっちに案内してもらったんだけど、葉司はここで、ご両親と住んでるの?」 「……」  この離れは、ごく簡易で二階建てでも狭い造りだ。 「いや、ここには俺一人で」  小さく呟くように言って、俺は玄関先にいたままの優を招き入れた。  ダイニングに通すと、どこか物珍しそうにキョロキョロとしながら、行儀よくテーブルの椅子を引いて、静かに座っている。  完全の和風の造りで、簡易で狭いこの離れは、優のあの白い洋館のような家に比べると、あまりに貧相で、そして狭く古かった。  俺はキッチンで紅茶の缶を開け、ポットに入れると、沸かしたてのお湯を注いだ。茶葉がジャンピングして、ふんわりとした香りが湯気とともに立ってくる。  優に紅茶を出して、自分も椅子に座ってみたけど、どこか夢の中の幻のようで、優がこのあまり物もない家にいることが、性質の悪いジョークみたいに思えた。 「お母様は、仕事に?」 「ああ……母は、いなんだ。ずっと前に」 「え――? ごめん」  するりとそう言う優は真っ直ぐで、他の人が言えば、心が荒れそうなことさえ、胸にすとんと入ってくる不思議。 「じゃあ、お父様と二人?」 「父は、アメリカに」  アメリカで、新しい生活をしている。 「あ――そうなんだ」  優は紅茶を音も立てずに飲んで、それから、ふと顔を上げた。 「え、じゃあ具合悪い時は、さっきのお祖母様が葉司の看病に?」 「看病って――特に寝てるだけだし……食糧もこういう時用に買いこんであるから、特に誰の世話にもならないよ」 「えっ、じゃあ普段はどうしてんの?」 「普段って? ずっと一人でやってるけど――料理もできるし、身の回りのこともできるから、特に誰もいらないけど」 「え……」  優は軽い衝撃を受けたように、くっきりした茶色い瞳を見開いて、俺を見直した。  こうして真正面に優がいると、胸の奥から想いが込み上げて来て、愛しさに苦しくなる。 「優は、あのお母さんが色々してくれそうだよね」 「あぁ――まあ、そうだけど」 「うん。優は、そういうとこが良いな」  あの洋館みたいな白い綺麗な家で、大切に手をかけられて育った優の、幼い頃をふっと見てみたい衝動に駆られた。  剛田や原なら知っているんだろう――まどろむような空想に頭がさらわれていると、優がガタッと立ち上がって、俺の隣へと座り直した。 「俺に連絡くれたら良かったのに。そうしたら、すぐに来たのに」 「別に大したことないって」 「だって、俺が心配だから」  すぐ横から引き寄せられて、抱きすくめられて、その吐息が耳元にかかってカッと頭が熱くなった。  身じろぐと、さらに強く抱きしめられて、優は俺を離さなかった。 「ごめんって。葉司。もう焦らないから。そんな逃げないでって」  切羽詰まったような声に驚いて見上げると、哀しげな色の瞳にぶつかって、俺はすぐに目を伏せた。 「俺が焦って――嫌われたかと思って。本当に熱あったんだな。まだちょっと熱い? すぐに来れば良かった」 「優を嫌いになんて……なれるわけがない。だけど、俺は、やっぱり」  その時に、抱きしめられたまま、優の頬が俺の頬をすりっとなぞっていって、少し震えた。 「葉司」  ゆっくりと優しく両手で頬を囲まれて、俺は速まる鼓動を止められずに、息が出来なくなった。  突然、スマホの着信音が、静寂を引き裂くようにけたたましく鳴って、俺は慌てて手に取った。 「……」 「鳴ってるよ?」  少し体を離して、優が首を傾げて、俺のスマホを覗き込んだ。 「うん」  着信の名前を見て、俺はさっきまでの夢のような世界から、一気に現実の世界へと突き落とされたようで、指先まで体が鉛のように重くなった。 「葉司。元気だったか」  聴こえてきた声に、俺は立ち上がって、優から離れた。 「元気です、父さん」  絶対に出ないわけにはいかない電話――  やっぱり、なんとなく間の悪い人間、というのがいるなら俺に違いなかった。  
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