目覚めたら、心も傷痕もひらいて見せて④

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 声をかけられるのに振り向かず、俺は急ぎ足でそのテーブルを立ち去った。  御膳を返して、次の予定になっている、隣接する体験工房の建物のほうへと歩き出した。  食べ終わった班から、各自選んだ体験をするようになっている。  確か、陶芸を選んだと思うけれど、俺はとても出来そうにない。  ぼんやり歩いていると、斜め前に日本庭園が広がっていて、誘われるようにそちらへと行った。  白砂が敷き詰められて、それは波紋を描いていて、その上に景石が置かれていた。  これから紅く染まっていくんだろう、まだ青い紅葉の清らかな緑色と、木製の腰掛にかけられた布の緋色の対比が美しくて、俺は束の間、しんと立ち尽くしていた。 「お前ら、マジでケンカしたのか」  ぼんやりと振り返ると、シャツの上からでも分かる逞しい腕を組んで、剛田が呆れたように俺を見ていた。 「ケンカ……でも、ないよ」 「じゃあ何だ? そんなんで過ごすつもりなのか?」 「うん――ごめん。夕飯も行けないや。ホテルでの食事だったよね? 俺、部屋にいるから――先生には具合悪いからって断っておくから」 「優が何か言ったのか?」  俺は力なく首を横に振った。 「俺から、優に言ってやろうか?事情は知らんが――ちっとはあいつも冷静になんだろ」 「言わないで――」  俺はサッと青ざめた。  剛田は難しい顔をして、俺を見つめた。 「そんな顔すんなよ。何て言ったら良いかわからん。ちッ、面倒だな、もう」 「ごめん」 「優だよ、優」 「……」 「別に、あいつが正しいってわけでもねぇだろ? どうせ。自分の言葉で、伝えなきゃなんねぇことは、言ったほうが良いぜ。人なんて言わなきゃわかんねぇこともあるし。優はこの学校で純金育ちだから、想像が追いつかねぇとこもあるしな」  剛田の低い声を聞いていると、同い年なのが不思議に思えてきて、少し可笑しかった。 「そんなの、剛田だって同じ育ちだろ」 「一緒にすんなよ」  剛田はちょっとムッとした顔をしたけど、短髪の頭を大きな掌で擦り、大きく溜め息をついた。 「まあ、頼まれもしないことをやる趣味はない。夕方は部屋にいるなら、あっちに売店があったから何か買っておけよ。何も食べてないと倒れるぞ。体調管理ちゃんとしろ」 「あの――」 「何だ」 「ありがとう」  剛田は太い眉を寄せて、珍しいものでも見たかのように俺を見直して、それから、にやりと笑った。 「じゃあ、あとでな」  俺は黙ってその広い背中の後ろ姿を見送った。  ホテルの部屋で一人、買っておいた軽食を食べて、ザッとシャワーを浴びた。  鏡には、黒髪の、青白い顔をした自分が映っている。  伸びた前髪から切れ長の目が覗いて、疲れた表情で、どこか沈鬱にさえ見えた。  ようやく一人になれた部屋で、俺は隅のベッドにドサリと寝転んだ。  ずっしりと身体が重くて、睡魔はもう眩暈とともに頭中を浸食して、もう一歩も動けない気がする。  体力は極限を迎えていて、ここまで動いて来られたほうがいっそ不思議だった。  わずかに開いたカーテンから見える空は暗くて、そこだけは切り取ったように、いつも通りの一人の部屋と同じような気がした。  瞼が重くて、もう抗うことは無理だった。  いつしか意識は茫洋と沈んでいって、眠りの深海へとゆるゆると引きずり込まれていった。  ゆらりゆらりと、波間を漂うように、流される。  沖彼方まで何もない海で、ただ目も耳も閉ざしてしまって、いつまでも何処までも果てしなく沈んでいきたい。  このままあてどなく海鳴りに流されたい。  なのに、ねえ、遠くで誰かがうるさい。  どうして、このまま静かに眠りにつかせてくれないんだろう?  騒音のように、うわんうわんと頭にまで響いてくる。 「うわあぁぁーッ」  うるさい! と叫びたいのに、自分の口は固まってしまって、ただぽかりと開いているだけだった。 「うわあッ! ああッ!」  うるさいうるさい―― 「仁木! 仁木、起きろ!」  強く揺すぶられて、がくりと意識が真っ赤に弾けた意識の中へ放り込まれたのが分かった。  急降下して、俺は突然にあの何度も繰り返した場面へと放り出された。  目の前に迫った闇の人影に、俺は手をかざして、拒んだ。  自分の体が硬直して、それからビクンビクンと波打つのを止められない。 「うわぁッ! ああぁッ!」  自分の叫び声が止めどなく漏れて、痙攣して、そして手を伸ばした。 「瑠奈! 瑠奈だけはやめろ!」 「仁木ッ!」 「ううぁ……ッ!」  ガバッと強い力が、俺の痙攣する体を押さえるのを感じた。  俺は叫びの止まらない口に無意識に手を突っ込んで、押し込んだ。 「仁木! やめろ!」 「ううぅ……!」  肌が破れて、血の味が広がっていく。  背骨までが軋んで、烙印のように焼き付けられた真紅のモーションを、俺は再び繰り返していた。
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