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「葉司……」
「剛田、ごめん。迷惑かけて。修学旅行、来るつもりなかったんだ。やっぱり来たらいけなかったよね」
剛田は大きな溜め息をついた。
「何だ? どうなってんだ、お前ら?」
「葉司が、安住さんと昨日抱き合っていたから、俺が怒ったんだ」
優がうつむいて言うのを、剛田はじっと聞いていた。
「いとこなんだろ?」
「いとこだったって、抱き合って、ずっと一緒にいるね、なんか言われてたら衝撃だよ……」
「仁木と、話はしたのか?」
「……」
それから、おもむろに口を開いた。
「まあ、俺の話をしようか」
剛田は、優も俺も見ずに、部屋の中をゆっくりと歩き出した。
「俺は、父親の仕事の都合で、十歳の時に引っ越したんだ。神矢町に」
俺は瞬間、ギョッとしてと剛田を見上げた。
剛田は俺を見なかった。
そのまま話が続いていく。
「引っ越してすぐに親父が担当することになった事件があった。その神矢町で、俺と同じ学年、同じ年のいとこの男児女児が連れ去りにあった。犯人は四十代無職、発見時には犯人と女児が意識不明、男児が負傷」
「子どもは無事だった……?」
優は恐る恐るという声色で問いかけた。
「そうだな。どうしてだと思う?」
「それは誰かが通報して――警察の発見が早かったから?」
「いいや。警察の発見は遅かった。現場ではすべてが終わっていた」
「じゃあ、二人は……」
「助かった。男児が正当防衛したからだ」
俺は遠いさざ波のように剛田の話を聞いていて、そこでふっと微笑して呟いた。
「正当防衛……? 良いように言えばだね……」
剛田はうつむいたまま、優はどこか固まった表情で俺を見た。
「俺は、衝撃を受けた。俺もその時、十歳だった。そんな現場で、大人と闘えたやつがいたのかと――大人と言うでもない、犯罪者とだ」
剛田は一度、息を吐いた。
「俺ならどうしたんだろうか?何か出来たか?それから考えた。俺も強くなりたい、と。俺は想像した――血濡れた現場で一人立つ少年を。それが、俺を警察官へと向かわせるきっかけになったことだ」
しばらく沈黙が落ちた。
「町内のことで、どこに載らなくても様子は流れてきた。女児は入院、男児はそのうち町から出て行った」
剛田は初めて、俺を見た。
「俺は最近、色々と迷いがあった。そんな時に仁木と出会った。自分の運命はやはり決まっているのだと――思い直せた。ありがとう。俺も前に進まないといけない。だから、明日にはこのきっかけの事件のことも忘れて、自分の道を作って歩いていくつもりだ。ただ忘れる前に、ありがとうと言いたかったんだ」
俺は返事をしなかった。
剛田は何も言わずに軽く頭を下げると、そのまま背を向けて、ガチャリとドアを開けて部屋を出て行った。
しん、と部屋にさらに静寂が落ちる。
「さっきの……」
優の掠れた声が、ベージュ色のカーペットに落ちて吸い込まれていく。
俺はそれが目に見えるようで、じっと床を見つめていた。
「さっきの……男児と女児っていうのは……仁木と、安住さん……?」
俺は答えない。
それがすべての答え。
オール・イズ・オーバー――
塞がれてきた七年の時間を、人前に晒して。
「仁木が、安住さんを、助けたから……だから、安住さんを……ずっと守るって、言ってた……?」
「俺は、瑠奈を、助けてなんかないよ」
俺が急にはっきりと告げて、優をまっすぐに見据えたから、優は驚いたように茶色い瞳を大きく見開いた。
その澄んだ瞳の色、清らかで温かな指先、なめらかな頬にさす無垢な血色。
俺が持たないすべての、憧れ。
「俺は瑠奈を助けてない」
静寂が二人の間を訪れて、この部屋ごと包んでしまう。
どこか彼方の遠くから、かすかに響いてくる。
アポカリプティック・サウンド――終わりの音が聴こえる。
第七の天使がラッパを鳴らして、神に選ばれなかった人間は終わりに飲まれていく。
ねえ、優――その前に、俺という刻印をその心に刻んで良いかな?
すべてを晒して、その心に、俺という闇を落としてしまっても良いかな?
「ごめんね、優」
出会ったその時から、きっと。
俺は静かに息を吸い込んだ。
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