目覚めたら、心も傷痕もひらいて見せて⑤

2/2
前へ
/95ページ
次へ
「葉司……」 「剛田、ごめん。迷惑かけて。修学旅行、来るつもりなかったんだ。やっぱり来たらいけなかったよね」  剛田は大きな溜め息をついた。 「何だ? どうなってんだ、お前ら?」 「葉司が、安住さんと昨日抱き合っていたから、俺が怒ったんだ」  優がうつむいて言うのを、剛田はじっと聞いていた。 「いとこなんだろ?」 「いとこだったって、抱き合って、ずっと一緒にいるね、なんか言われてたら衝撃だよ……」 「仁木と、話はしたのか?」 「……」  それから、おもむろに口を開いた。 「まあ、俺の話をしようか」  剛田は、優も俺も見ずに、部屋の中をゆっくりと歩き出した。 「俺は、父親の仕事の都合で、十歳の時に引っ越したんだ。神矢町に」  俺は瞬間、ギョッとしてと剛田を見上げた。  剛田は俺を見なかった。  そのまま話が続いていく。 「引っ越してすぐに親父が担当することになった事件があった。その神矢町で、俺と同じ学年、同じ年のいとこの男児女児が連れ去りにあった。犯人は四十代無職、発見時には犯人と女児が意識不明、男児が負傷」 「子どもは無事だった……?」  優は恐る恐るという声色で問いかけた。 「そうだな。どうしてだと思う?」 「それは誰かが通報して――警察の発見が早かったから?」 「いいや。警察の発見は遅かった。現場ではすべてが終わっていた」 「じゃあ、二人は……」 「助かった。男児が正当防衛したからだ」  俺は遠いさざ波のように剛田の話を聞いていて、そこでふっと微笑して呟いた。 「正当防衛……? 良いように言えばだね……」  剛田はうつむいたまま、優はどこか固まった表情で俺を見た。 「俺は、衝撃を受けた。俺もその時、十歳だった。そんな現場で、大人と闘えたやつがいたのかと――大人と言うでもない、犯罪者とだ」  剛田は一度、息を吐いた。 「俺ならどうしたんだろうか?何か出来たか?それから考えた。俺も強くなりたい、と。俺は想像した――血濡れた現場で一人立つ少年を。それが、俺を警察官へと向かわせるきっかけになったことだ」  しばらく沈黙が落ちた。 「町内のことで、どこに載らなくても様子は流れてきた。女児は入院、男児はそのうち町から出て行った」  剛田は初めて、俺を見た。 「俺は最近、色々と迷いがあった。そんな時に仁木と出会った。自分の運命はやはり決まっているのだと――思い直せた。ありがとう。俺も前に進まないといけない。だから、明日にはこのきっかけの事件のことも忘れて、自分の道を作って歩いていくつもりだ。ただ忘れる前に、ありがとうと言いたかったんだ」  俺は返事をしなかった。  剛田は何も言わずに軽く頭を下げると、そのまま背を向けて、ガチャリとドアを開けて部屋を出て行った。  しん、と部屋にさらに静寂が落ちる。 「さっきの……」  優の掠れた声が、ベージュ色のカーペットに落ちて吸い込まれていく。  俺はそれが目に見えるようで、じっと床を見つめていた。 「さっきの……男児と女児っていうのは……仁木と、安住さん……?」  俺は答えない。  それがすべての答え。  オール・イズ・オーバー――  塞がれてきた七年の時間を、人前に晒して。 「仁木が、安住さんを、助けたから……だから、安住さんを……ずっと守るって、言ってた……?」 「俺は、瑠奈を、助けてなんかないよ」  俺が急にはっきりと告げて、優をまっすぐに見据えたから、優は驚いたように茶色い瞳を大きく見開いた。  その澄んだ瞳の色、清らかで温かな指先、なめらかな頬にさす無垢な血色。  俺が持たないすべての、憧れ。 「俺は瑠奈を助けてない」  静寂が二人の間を訪れて、この部屋ごと包んでしまう。  どこか彼方の遠くから、かすかに響いてくる。  アポカリプティック・サウンド――終わりの音が聴こえる。  第七の天使がラッパを鳴らして、神に選ばれなかった人間は終わりに飲まれていく。  ねえ、優――その前に、俺という刻印をその心に刻んで良いかな?  すべてを晒して、その心に、俺という闇を落としてしまっても良いかな? 「ごめんね、優」  出会ったその時から、きっと。  俺は静かに息を吸い込んだ。
/95ページ

最初のコメントを投稿しよう!

437人が本棚に入れています
本棚に追加