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目覚めたら、心も傷痕もひらいて見せて⑥
怖いくらいに孤独。
そこは奈落の底の、さらに果て。
抑えようもなく、何も信じられない。
この暗い海の、寄せては返す黒い波のように、悪夢は繰り返し繰り返しやってくる。
潮騒が音を立てて、俺を殺してしまう。
言葉を失った、綺麗な絶望。
明日を眺めることもなく、明日を望むすべもないまま、あの日の場所に、今も立っている。
まるで哀しみを欲しているかのように、何処へも行けずに。
舌の奥が痺れて、このままもう生きてはいけない。
何も答えも出ないままに、ただ時は過ぎて、夜にじっと息を潜めている。
風も吹かない、音楽も鳴らない、この場所は。
このまま割れそうに真紅な世界は限りなく続くようでいて、身動きできないほどに狭い。
目の前で赤く広がる向こう側には、悪魔がいる。
誰かこの胸の棘を吸い出して、誰とも分かち合えないこの記憶を、連れ出して欲しい。
さあ、この綱渡りのような、赤い夢をひらいて見せて。
ほら、ごらん。やって来た。
「葉司―」
また俺はあの夢の住人になる。
もう七年前から何度も何度も繰り返し。
目覚めれば消えても眠ればまた戻ってきてしまう。
もうやめたいのに。
このリピートを止められない。
「葉司―」
鈴のなるように可愛らしく高い声。
この声をきくと振り返ってしまう。
振り返ってはいけない、振り返ればまた繰り返されてしまうとわかっているのに。
「瑠奈」
「ねっ!」
走って追いかけてきて飛びついた可憐な姿。
黒い髪が肩でゆらゆら揺れていて、まるでうつくしい日本人形みたい。
真新しい水色のワンピースのフリルの裾が揺れて、ひざのあたりでヒラヒラ舞っている。
こっそりと自分のグレーのパーカーの汚れを指でこすって、隠した。
「剣道道場もう終わり?」
「うん」
竹刀や道着の荷物を持ち直すと、瑠奈に並んで夕焼けの下の道を一緒に歩いた。
「お母さんの手がかり、何かあった?」
首を横に振ると、瑠奈は白い顔を曇らせた。
お母さんが家からいなくなって二週間、お父さんは何も言わないし、何が何かわからないまま、日を過ごしている。
「おうちには、全然?」
「何にも――ない」
「そっか……あ、また、アザ」
サッとパーカーの袖を引っ張って隠した。
「お祖父さんの道場、厳しい?」
「まあ――ね」
「勿体ないな、こんな傷。葉司、綺麗なのにな」
「俺は……全然」
「今日は、どこ探しに行く?」
「もう家も、他も探したし……もう手がかりがあるようなところは」
瑠奈は卵なりの顔を、こてんと傾げて、しばらく考えていた。
「うーん、葉司のところの、あの林道沿いの蔵はどう?」
「物置だよ、あれ」
「お母さんのもの、何かないかな?思い出の場所の手がかりとか――どこかに行ってるのかもしれない」
瑠奈は俺の返事を待たずに行き先を決めてしまうと、どんどんと先へと歩いて行ってしまった。
俺は慌ててその水色の背中を追い駆けた。
夕暮れも沈みかけた林道は人気もなくて、うっすらと暗くなっていく。
ひらりひらり舞うワンピースの水色が、その中の色彩だった。
瑠奈に追いついて、古い蔵の木戸の簡易な錠を抜いてしまうと、俺は片手で扉を押し開いた。
入口で竹刀と荷物を置いてから、中を見回すと、独特の埃っぽい匂いがする。
壁伝いに手で探って、スイッチを入れると、天井の裸電球のオレンジ色の灯りがぼんやりと点いた。
背後でガタン、と荒い物音がしたので振り返った。
「瑠――」
俺は後頭部に激しい痛みを受けて、そのまま目の前がまっくらになった。
「葉司――葉司!」
「ああ……どこまで、話したっけ……?」
肩を揺すぶられて、俺はベッドに座って隣にいる優に話していることを思い出した。
俺は眼鏡を外すと、こめかみを指先で押さえた。
「母親は、父親からの経済DVで耐えられずに失踪したんだ」
今ならわかること。探しても仕方ないって。
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