目覚めたら、心も傷痕もひらいて見せて⑦

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目覚めたら、心も傷痕もひらいて見せて⑦

 優の肩に、震える唇をうずめて泣いた後、俺はしばらくぼんやりとしていた。  なんだかとても疲れていて、体が重くて、意識が時折おぼろげになっていく。 「本当は、瑠奈に会うのもいけないんだ」  ぽつりと言った俺の言葉を、聞いているよ、とでも言いたいかのように、優は俺の頭を撫でた。  その仕種が心地良くて、俺は優の肩に頬をもたせかけた。 「瑠奈の両親に頼まれたんだ。どうにか忘れていることを思い出させないでくれって。ようやく退院して、忘れているなら、そのまま平穏にさせてくれって。俺に会うと思い出すかもしれないから……でも、俺にはそれが出来なくて――俺には瑠奈の笑顔と言葉が必要で――」 「うん――」  優の掌が、俺の手を握ったままでいて、見下ろしてふと気が付いた。 「優、手が、汚れるよ」 「え?」  その掌を広げさせて、ベッドサイドにあるティッシュを取った。  俺の指は、自分で叫んで噛んだ時に、肌を破ってうっすらと血が滲んでいた。 「ご、ごめん! 痛かった? 葉司――」 「俺は、痛くない。優が、汚れるよ」  俺の血で汚れてしまった優の掌を、俺は何度もティッシュでぬぐった。 「もう大丈夫だって――葉司ってば!」  肩を揺すぶられて、はっと顔を上げた。 「朝になったら、絆創膏でももらおう」  長い指が、ティッシュを取って、俺の指を包むように握った。 「大丈夫……そんなに血が出てるわけでもないし。触ってたら、優が汚れるよ」  手を引っ込めようとしたけど、優は手を離さなかった。 「汚れるよ? 俺は汚いから」 「葉……」  優はびっくりしたように、瞳を大きく見開いた。 「葉司……何……?」 「こんな事件に遭って。被害者でも加害者でもあって。父親は俺についての噂を恐れて、遠くへと逃げた。母親は帰って来ない。祖父は事件の後に道場をたたんで亡くなった。祖母は腫れものに触るように遠まきにしてる」 「そんな――だって、葉司のせいじゃないじゃないか!」 「俺……は……」 「葉司のせいじゃない!」 「俺は……だって……」 「綺麗だなぁって、ずっと見てたよ? あんまり笑わない葉司が、俺に笑ってくれたら、どんなに綺麗だろうって思ってた」  両手が、ゆっくりと俺の頬を包んだ。 「これからは、俺といよう」  俺は不思議なものを見るかのように、首を傾げて優を見上げた。 「俺の葉司を、そんな――そんな風に言わないでよ。俺にとっては、葉司は、これまでも、今も、ずっと綺麗」  ふわりと温かな腕が、俺の頭を抱いて、優しい掌が背中をさすっていく。  そうされると、疲れと眠さがどっと体に押し寄せて、知らずに優に体重を預けていた。 「ごめん……こんな話をして。優に、重荷を背負わせて。嫌なことばかり……話して」  繰り返し、背中をさすっていく掌。 「葉司は、つよいよ。その心に――俺を入れてくれて、ありがとう」  囁く声は、深い波間に聞くようで、とても優しく穏やかに響いて、俺はふらりと意識が遠のいてくのを感じた。  最後に覚えているのは、優が体ごと俺を抱きしめてくれたことだった。  夢を見ていた。  白いスニーカーは、十歳のあの頃のまま、薄汚れてくたびれている。  月の光もない、人の気配もない山道を、十歳の自分が、ただ上へ上へと、歩いて登っている。  振り返ると、下の方には町のオレンジ色の灯りがともっていて、ただその景色は遠い。  かすかなざわめきのような音が聴こえて、それは町からの祭囃子だと知る。  そのお祭りには、行けない。  くるりと背を向けて、捧げられた生贄のように、俺は一人この山道にいて、歩き続ける。  黒くぽっかりと開いたトンネルの前に差しかかった時だった。  この向こうへと行けば、もう終わり、なんだ。  だけど、遠くから声がした。  それは幻聴に違いない。  だって、ここには誰もいないもの。 (……葉司……)  どこか懐かしい響きで名前を呼んだ。  はっとして期待を込めて呼び返した。 「おかあさん……!」 「葉司!」  ざあっと強い西風のように突然に、大きな翼にくるまれて、その金色の光の渦の中へと巻き込まれた。  俺の名前を呼んだ顔を知った。 「優!」  ガバッと起き上がって、はぁはぁと息をついた。  つもりだったけど、俺の体は起き上がれなかった。 「……っ!」  俺の体は、目の前で眠りこんでいる優の体にすっぽりと抱きしめられて、俺の腰には優の長い脚が乗っかっていた。  窓のカーテンの向こうは白々としていて、朝の世界は明るく照らされている。 「お、重い……っ」  腕を突っ張ってみたけど、安らかさそのもののように眠る優を起こすのは忍びなくなって、俺は諦めた。
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