夜は果てしなく、君は遠く輝く光④

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   学校からの帰り道、駅へと向かうと、そこには既に瑠奈が立っていた。 「おっそーい」 「ごめん」  桜色の唇尖らす姿は、長い黒髪を流した凛とした姿を裏切って愛らしくて、謝りながらも微笑んでしまう。 「あっち行こ」  瑠奈はコーヒーショップを選んで、そこの一番奥まった席に決めた。  瑠奈は好きなキャラメルラテ、俺はカフェオレにして、瑠奈が落ち着いて話し出すまで、静かに待つ。  俺と瑠奈の家は、学校を真ん中にして、反対側になる。  もともとはいとこである瑠奈の家の近くに、俺も家族と住んでいた。  結局は、俺は家族を失って、父親は新しい家族と違う場所で住むようになり、俺は祖母の家の離れへと引っ越した。 「葉司」  幼い頃から、瑠奈から何度と呼ばれて来た呼び方。 「あのね」 「うん」  瑠奈は、コーヒーカップを細い指で持ったまま、ぼんやりとそのまま言葉を途切らせている。 「待ってる?」 「ううん。瑠奈の話を待ってるのは幸せだよ」 「葉司は私を甘やかすから。私、ダメになっちゃうよ?」  くすり、と小さく笑う姿が清楚で、なんだか幼い頃からの瑠奈の色んな姿を思い出してしまう。 「今度、鷹宮さんのおうちに行くことになったんだぁ」  鷹宮さんは、瑠奈の彼氏だ。瑠奈が通っている華道の先生の息子さんで、今は大学生で一人暮らしをしている。たまに華道教室に顔を出す鷹宮さんを瑠奈が好きになって、少し前に晴れて両想いになった。  瑠奈が幸せになると、俺も幸せに感じる。 「私……大丈夫かなぁ」 「あ……」  俺はちょっと言葉を失う。 「やっぱ、そういうことになるのかな?チューとかすることになるのかな?男の人はどういう気持ち?」  キャラメルラテのカップを両手で持って、ふうふうとくちびるをとがらせて息を吹く。  一口飲んでから、顔をあげた。 「葉司が小山田くんを、おうちに誘ったとしたら、どんな気持ち?」  俺は思わず、カフェオレを吐き出しそうになって、思い切りむせた。 「ごめんごめん!葉司は清純派なのに」 「いや別にそういうわけじゃ――」  瑠奈には、ずっと前から俺の想いはバレている。 「あー、緊張する!」  瑠奈は、ぶるぶると小さな顔を横に振った。 「もういっそ、葉司についてきてもらうっ?」 「ば――ばかだろっ。あり得ないから、それ!」 「あーもう、だって、緊張するじゃん!」 「鷹宮さんに緊張するって言えば良いじゃん。言う相手、俺じゃなくない?」 「だって、私ね、私――なんかあんまり記憶ないのが良くないと思うんだよね」  突然放たれた言葉に、俺はぎくりとして、慎重にカップをテーブルの上に置いた。 「あの時の――だから、いつまでも男の人が怖いのかなって思うの」 「……」 「鷹宮さんが好きだよ。でも、その気持ちと、これは、全然違うの」 「うん……」 「お母さんとお父さんに話されたことしか、わかんない。誘拐された、の?」 「……」 「誰もちゃんと話してくれない。葉司も知らないって言う。でも、葉司のことは覚えてるもん。私がとても怖かった時に、葉司の顔があった。それで、葉司が助けてくれた、んだよね? 最後に、葉司が私を抱きしめてくれたのを、覚えてるんだよ。葉司も、とても苦しそうな顔をしてた。それで、次に気がついたら病院で。それから、皆が葉司に会っちゃダメだって言うの。そんなのヘンだよね――」 「変じゃ、ないよ。俺を見たら、きっと瑠奈が思い出すって皆心配して」  話を聴いているうちに、俺の意識はぐるぐると暗い底のない奈落に落ちていくような錯覚に襲われる。 「男子の中で、葉司だけは安心する。ずっとずっと。それって、葉司が私を守ってくれたからでしょ? 葉司は私のナイトだもん。葉司が私を守ってくれたことも思い出したいのに」 「ダメ――だよ、それは」  自分の声が乾いて、掠れていくのを、どこか遠いことのようにぼんやり聞いている。 「瑠奈は、忘れたくって忘れたんだから。瑠奈は、何もなかったんだから。今のままで、安心していていいんだよ」  そうゆっくりと言葉を紡ぎながら、目の前も、この掌も、真っ赤に染まっていく幻覚に覆われて、ぐらりと倒れてしまいそうになる。 「葉司だけは怖くない。葉司が守ってくれたから」 「俺は……」  瑠奈を守ったのか?それとも――  じくりじくりと、下腹と内股の傷痕が疼くような気がする。 「なのに、葉司に会っちゃいけないなんて、おかしい。絶対いやだもん。葉司は、大変なのに――私、今度は葉司の力になりたい――葉司のお母さんは行方わかんないし、お父さんはアメリカ赴任して再婚しちゃったじゃん。ねえ、私、葉司を一人にしたくない」 「それは……」  俺が、原因なんだよ。  そんなことを言えば、瑠奈にすべてを話さざるをえない。  無数の黒い点々が目の前に広がって、舌の奥はざらりとして、掌もこの身体も醜く打汚れている気がする。  二度とは、拭うことのできない汚れ。  真っ赤に染まっていく視界と、俺だけが記憶しているすべて。  俺はあの悪夢を繰り返し続けて、あの地獄の時間を永劫に彷徨っている。  俺は強張った指先で、固まった唇で、なるべく優しく瑠奈に話しかけた。 「でも、瑠奈は鷹宮さんを好きになれたよ。それってすごいことだなって俺は思う。鷹宮さんは優しくて賢い人だし――これからは、鷹宮さんをもっと頼って、二人で乗り越えていくことなんだろうなって俺は思うよ」 「私は……葉司がいないとダメだよ」  溜め息のような小さな呟き。 「俺はいつでもいるよ。瑠奈がいらないっていうまでいるよ」 「いらなくなる日なんてない」  俺はそれに返事をしない。そう、いつか、俺を忘れてしまうほど、悩みも不安もない日々を過ごしてくれたらいい。  瑠奈はきちんと人を好きになって両想いになることもできた。そのまま高く羽ばたいてくれれば、俺は堕ちたままでも空を見上げることができるから。  それから、俺は意識が朦朧としてしまい、瑠奈との会話も定かでないまま、駅で別れた。  誰も待っていない家に帰る。誰かと居ることももう定かじゃない家に。  帰り道の灰色の曇天は、ぽたりぽたりと雨を落とし始めていた。  罪とは何だろう。  どんな罪を犯して、俺は罰を受けているんだろうか。  幼子の頃に見た、夜に落ちてゆく青白い花火のように。  冷たい雨が、体中をつたって落ちていった。  無償に小山田に会いたい。あの輝きを見て、ただ憧れに溺れてしまいたかった。  
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