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『…ねえ。超能力って信じる?』
──声が聞こえる。子供のものだ。これは、誰のものだったか。記憶のない「私」にはわからない。
「それって、フィクションでしょ?」
また誰かの声が聞こえる。さっきのとは別の、年代が近そうな声だ。これとよく似たものを、ごく最近聞いた気がする。
『残念。あるんだ。本当に』
──瞬きをすると、また世界が移り変わっていた。今までとはうって変わって、ざわざわと声が耳障りだ。
ふと、鼻をくすぐるものがある。これは…お香だ。みんな揃って黒い服に身を包み、棺の前で一礼する。念仏と木魚を叩く音だけが静寂の満ちた空間に響く。
棺から顔は見えない。そこにはなにもない。空っぽの器に収められるべき女は、焼かれる前から既に灰になっている。
最後の挨拶を終えると、「私」の耳に声が届けられる。肉声ではない、けれど生の、偽らざる声だ。
「──自殺なんて、馬鹿なことを…」
「──嫁入りの身でよくも。一家の恥だな…」
「──もともとおかしな女だったのだ。おまけに…」
「──子供はどうする? わたしは御免だ」
──ここに、死者を悼む人間などいなかった。むしろ、こんな場所に来る義理すらないとでも言いたげだ。
この棺に入るべき女とは、いったい生前どれほどの悪行を積んだのか。果たして畜生にまで身を落としたとすれば、ここまでの謗りを受ける謂れはあるだろうが。
この場を俯瞰していると、ただひとりだけ涙を眼に溜めて、しかし流すことなくいる人物がいると気付く。
やや身の丈に合わない喪服を纏い、車椅子に座す其は、辺りから奇異の或いは忌避の目で見られていた。さながら腫れ物か、目に見える負債とでも言うべきか。とても個人として見ている者はこの場にいない。
どうも其が件の女の遺児らしい。見てくれは片眼に眼帯を着け、脚に怪我を負っている子供だ。これだけでは、とても件の極悪人の胎盤から生まれ出でたとは思えない。
式はつつがなく行われ、そして何事もなかったかのように陽が暮れ、そしてまた昇る。故人に対して、哀しみに暮れる者はいなかった。
「私」は再び瞬きをひとつする。また頁をめくるように、場面が入れ換わる。今度は一転して、数々の雑音が騒々しく立ち籠めている。
皆がお揃いの身なりなのは変わらないが、きっちりと着付けていた前とは異なり、いくらか着崩している者も多いからか、沈痛な思いは感じられない。
香の代わりに漂うはチョークの粉、念仏の代わりに若い声の協奏と外からの喧騒。今度は学校の教室…らしい。記憶がない手前、なんとなく「そういうもの」という曖昧な定義しか定められないが。
相変わらず、「私」はこの場所を俯瞰する立場にいる。幽霊、或いは部外者のようなものか。なんにせよ、身体は壁や机をすり抜けてしまうようで、さっきの箱のキャンバスみたく直接触れることは叶いそうにない。
車椅子の子供は、ここでも変わらず腫れ物のようだ。向けられる視線の意図は委細違えど、暇潰しの為の「噺の種」以上の価値はない。触れることを憚れる、猛毒のハリネズミだ。
「…ねえ、いいかな?」
そんな針のむしろに、おずおずと近付くものがあった。どこかおどおどした面持ちの少女は、最初に口にするべき言葉を探るような素振りを見せる。
そんな彼女を前にして、車椅子の子はその肩まで延びた、日本人にしては珍しい栗色の髪をまじまじと眺めていた。
「…校則違反」
「えっ?」
ため息混じりの呟きを放つ車椅子の子。目をぱちくりとさせて返答するその少女に、声色を変えずに、補足する形で続ける。
「髪染めるの、禁止じゃなかったっけ?」
淡々と、まるで取るに足らないような指摘。それを受けて、しばし思考が追い付いてこなかった様子の少女は、数秒かけて言葉の意図を咀嚼し終えると、腹の奥から湧き出るものを吐き出す。
「…プッ、アッハハハハっ!」
どっと押し寄せる笑い声に、一瞬視線がその場にいる二人に集中する。それを若干不快に思ったか、車椅子の子は眉をひそめる。
「…そんなにおかしなコト言った?」
「あはは…そうじゃなくて、あんまりにも普通すぎるな、って」
どういう意味だ、と首を傾げていると、彼女は自分の髪の生え際を見せる。
「残念、地毛でした」
どうだ、と言わんばかりの顔を浮かべる。それを一瞬だけ驚くふうに見せると、すぐに感情の薄い表情に戻る。
「そう。それは失礼」
「…謝れるんだ、君」
「…ケンカなら格安で買うけど?」
それが、彼女との最初の出会いだった。頁をめくると、淡い色合いの記憶が清水のように流れていく。不思議と、俯瞰しているだけの「私」も快く思えてくる。
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