夢を見る「私」

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 初の接触以降、いや、最初からだったのかもしれないが、その栗色の髪の少女は車椅子の子に付き纏うようになった。  どうして彼女がそんなことをするのか、理由はわからない。物好きか、はたまた興味本位か。だが、少なくとも悪意の類いは一切なく、親愛の情だけは確かに存在していた。  にも関わらず、いや、だからなのか。車椅子の子は彼女を避け続けた。場面が切り替わり続けても、壁を一枚隔てて、直接的な接触を忌避することだけはやめなかった。  なぜ「私」に理由がわかるのか。それは掴みかねるが、不思議とあの子のことに関しては、まるで手に取るように簡単に読めてしまう。 ──今抱いているそれは嫌悪でなく。ましてや敵意ですらない。憎からず思っているからこそ、近付けることを躊躇う。 ──怖いのだ。はじめて知った善意の温かみに触れるのが。それが、頁の一枚一枚から伝わってくる。  めくる頁が、いったん止まる。外がやけに騒々しく、漂う空気はぬるい。雨上がりか、随分と陽が照り返している。些細な呟きなら掻き消すような虫の音が残響する、夏の日だった。 「…なんで、そこまでして構う?」  首を上げて、車椅子の子は問う。既に車輪の回しかたを覚えてきたのか、歩幅を合わせてもらわなくとも並んで道を往けるようになっていた。 「なんでって、なんでよ?」 「…質問を質問で返さないで、答えてくれないか」  いつになく棘のある返しに首を傾げながら、栗色の髪の子は指を顎に添えながら、次に言うべき言葉を探る。  そんな中、車椅子の子もまた、何を思ったか、そっと指を眼帯に掛ける。どうしてそんな動作をする必要があったのか、それは不思議と「私」にはわかってしまう。  ここ最近の日々には、常に彼女の姿があった。そして、ふとした時に、車椅子を押してくれる彼女の姿を夢想する。  そんな、特別でもない光景に対して、存外な期待を抱いていた自分を見つめ返して、自嘲する。 「…バカだなぁ」  そんな、蝉の音に掻き消えるようなか細い呟きが口を突いて出た。…車椅子の子は気が付いていないが、その呟きに彼女が眉を動かしていた。 「だって…」  腕を組み、頭を捻っていた少女は、次に言うべき言葉を見つけて、一呼吸の後にハッキリと告げる。 「だって、辛そうだったから」 ──耳を疑った。何を言っている、この娘は。最初に抱いた感想がそれだ。 「ごめん。よくわかんないよね。あたし、あんまり頭良くないから、難しい話はできないけど。…でも、」 「…でも、何?」 「…あなたが苦しんでいたのは、よくわかってる。とっても息苦しそうで、周りの空気…みたいなのに、溺れてるみたいだった」 ──再び、耳を疑った。妄想に取り憑かれたか、と懸念するほどに。 「…ねえ。超能力って信じる?」  その子は問う。些細な思いつきのようなふうに、けれど、とても重要な話を振った。 「? どうしたの、急に?」 「いいから答えて」  有無を言わさずの圧力に、少女は思わず息を呑み身じろぐ。その一見すると他愛の無さそうな話に、途方もなく重いものを感じ取ったからだ。 「それって、手から炎とか電気を出したり、念力をビビビーってするヤツ?」 「…まあ、だいぶ偏りがあるけど。間違ってはない…かな」 「…うーん、正直、よくわかんない。でもそれって、フィクションの話でしょ?」  たどたどしくも、けれどはっきりと答える。それを受けて、 「…ま、そうだよね」  ある程度は予想していた、と言いたげにしながら返す。車椅子の子は、自分の顔の左側に手を掛けると、自らの目を覆うそれを外す。 「…? 眼帯を──」 「残念。ちゃんと、あるんだ。ここに」  車椅子の子は、どこか不敵な、それでいてニヒルな笑みを浮かべながら眼帯を外す。  瞼に外気と陽光が触れると、久方振りに晒されて瞬きを繰り返す。  露になった双眸は、その色彩は普通の人には奇異に映る、灰と金の虹彩異色がそこにあった。 「その眼…」  そこから先は、すぐにわかった。喉を震わせなくとも、呑み込もうとしても、私にはわかってしまう。 「変わった眼、それと…へえ、綺麗って思ったんだ?」 「…え? うそ、あたし、なんか言った?」  思わず栗色の髪の娘は口に手を当てる。無論、彼女は何も話していない。眼を見ていただけだ。  彼女は今心持ちを当てられて、不快感よりも正体の知れない動揺が強く出ている。  普通はこの言動に気持ち悪がって、前者の方の反応が多いが、そうでないあたりこの娘の性格がよく出ている。 「──なんて、バカみたい」  誰に対して言うわけでもなく、車椅子の子は地面に向けて吐き出す。  それは一方的に批評家ぶっている自分への嫌悪か、はたまた別のものか。 「…ねぇ」  栗色の娘は声をかける。ふとした疑問を投げ掛けるような声色に、面持ちを上げて関心を示す。 「…何?」 「…あなた、どうして、泣いてるの?」  彼女は戸惑いの声を漏らす。徐に顔の上部へ触れると、確かに異なる色彩から、雫がこぼれ落ちていた。  車椅子の子自身も、どうしてそんなものを流しているのか疑問を抱かずにはいられなかった。  ただ、胸をきつく押さえ込まなくては、自分でもよくわからない何かが決壊しそうだという直感だけは確かにあった。  ふと水溜まりに映る、自身の顔を視る。瞳に映るその面持ちから、形のない心とやらを覗き見ようとしても、何も観れない。  彼女の眼は、写し身には効果はないからだ。故に、自分だけは汲み取れない。何も視えない。  どうして「私」がそんなことを常識のように知っていて、すらすらと口にできるのか疑問が湧いてくるが、そんなことに構ってはいられない。  車椅子の子が内に抱え、渦を巻く何かが、こちらに逆流してくる。まるで波に呑まれて溺れるような感覚だった。  彼女の姿を、あの異なる色彩の眼で視界に捉えると、濁流のような情報が「私」の脳を酩酊に似た感覚に誘う。 『…この子は、どうして泣いてるんだろう』 …目の前で立っている、栗色の髪の少女の声が視える。彼女は口を開いていない。直接脳に流し込まれるような感覚に見舞われる。 『…ど、どうすれば止められるのかな? えーっと、えーっと──』 ──耐えきれずに、目を剃らす。流し込まれる情報がにわかに和らいでいく。  今のは表情にもハッキリと表れていた。少なくとも、彼女は不気味がる様子はない。 「…優しいんだ、あんた」 「…え?」  車椅子の子の言葉に、彼女はまた困惑を見せる。なにがなんだかわからない、という風でありながら、自らの手を何処へ向かわせるか迷わせている。 「──どうにかして、この涙を止めたいって考えてるんだ。へぇ……」 「…えっ? ええっ?」  次々に吐き出される図星に、彼女は動揺しっぱなしだった。  一方の車椅子の子は、胸中に飛来する感情に、どう名前を付けるべきかを会議していた。  熱がある。火傷する程でもなく、この夏の陽気のように身を干上がらせるものでもない。  暖かくて、けれど、息苦しい。めくった頁の中身がぐるぐると頭を回る。  これは、そう。その感情を口にしよう。──さあ、 「……s『気」持ち悪い』 …光彩異色の子と、誰かの、不特定多数の声が、一斉に重なって、塗りつぶされる。  一言一言が、見えないナイフみたく身体の至るところに突き刺さって、見えない血が流れ出る。  それはノイズのように、はたまたズレた交響曲のように、痛みが「私」の脳内を不快な気持ちに侵食していくのだった。
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